説明

刀剣 銘 越中守正俊(保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、関兼道の四男であり、京五鍛冶の一人として名高い初代越中守正俊による一振りです。正俊は慶長二年(1597年)に越中守を受領し、慶長から元和年間(1600-1624年)にかけて目覚ましい活躍を見せました。 父である関兼道はもともと美濃の鍛冶で、名将・武田信玄の抱え鍛冶を務めたと伝えられています。文禄二年(1593年)、兼道は四人の息子(伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊)を連れて京へ上り、江戸時代初期を代表する名門「三品派」を確立しました。 初代正俊は三品四兄弟の中でも最も技量に優れていたと評され、その卓越した技術は二代目正俊へと継承されました。二代正俊はその技量を認められ、朝廷より菊紋を切ることを許されています。これは刀工にとって極めて名誉なことでありました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に鑑定されています。これは、歴史的・芸術的価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身にわずかな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):67.0 cm 反り(Sori):2.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に黒錆を残します。この茎の錆色や経年変化は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた日本刀の外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し、装飾する一対の金具。 本作の縁頭には「雷紋(稲妻)」が施されています。この意匠は雷の強大なエネルギーを象徴しており、古来日本では神の力の顕現、あるいは厄除けの象徴として尊ばれてきました。自然の驚異を敬い、強さを求める武士に好まれたモチーフです。 柄・目貫(Tsuka / Menuki):柄は握る部分、目貫は柄の装飾金具。 この目貫の意匠は「馬具」と推察されます。婚礼や盛儀などの特別な儀式で用いられる華やかな馬具は、権威や祝祭、そしてその行事の重要性を象徴するものです。儀式を彩る装飾的な馬具は、当時の格式の高さを物語っています。 鍔・鎺(Tsuba / Habaki):鍔は拳を守る護法具、鎺は刀身を鞘内に固定し、刀身が鞘に触れて錆びたり傷ついたりするのを防ぐ金具。 鍔の側面には龍の装飾が施されています。龍は古来より伝わる想像上の瑞獣であり…

Antique Japanese Sword Katana signed by Masatoshi NBTHK Hozon Certificate

Antique Japanese Sword Katana signed by Masatoshi NBTHK Hozon Certificate

$8,729

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

67 cm

反り

2 cm

作者について

Mishina Masatoshi正俊

1 重要美術品2 御物2 特別重要刀剣26 重要刀剣

初代越中守正俊は美濃関の兼道の四男、すなわち末子であり、その作刀に見る最も古い年紀は慶長五年、最終は寛永六年である。父および三兄の伊賀守金道・来金道・丹波守吉道と共に美濃より京に上り、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力として三品派を興した。四兄弟のうち説明書は末弟を最も高く評し、「器用さは兄弟中第一」とし、作風も「その作域は一門中最も広く、極めて器用人である」と記して、その多彩を堀川派の国路に比す向きもある。藤代の極めは上々作。その記録は一つの作風を全力で押し通したものではなく、幾通りもの手を一人の器用な工が修めたものであり、まさにそのように読まれる。 その記録の中心は、説明書が「最も得意とした志津」とする作域にある。板目に杢・大板目・流れ肌を交えてやや肌立ち、かねが時にやや黒みをおびる地に、浅いのたれを基調とした大乱れを焼き、互の目・小互の目・角がかった刃・尖りごころの刃を交える。沸は強く時に荒く、むら立って凝り、砂流しさかんに金筋長く入り、小さな飛焼・湯走りを交えて二重刃状を呈し、匂口は沈みごころとなる。説明書はこれらを彼が好んだ志津の作域に範をとったものとし、野趣に富み古色を帯びるとして、その最上手を同作中の出色と称える。 地鉄は全ての手を支える終始変わらぬところである。流れて流れ肌となり肌立ち、しばしば刃寄りで柾となる板目は、美濃関の継承を京の作にまで伝え、地沸微塵に厚くつき地景のよく入る。その上の働きこそ見どころで、砂流しはほぼ常にあって備前の地よりはるかに豊富であり、本工は帽子と焼頭の二所に己を刻む。帽子は尖りごころに突き上げ、時に小丸に返り、先に掃きかけをみせるものが多く、説明書はこの浅くのたれ込んで尖り掃きかける形を三品帽子とし、四兄弟中正俊に最も顕著とし、しばしば「絵に書いたような典型的な三品帽子」と評する。焼頭の上には強い沸が飛焼・湯走りを伴って凝り縞をなす「簾刃の萌」を見せ、極めはこれを「正俊にまま見受けられる」と記す。後代の三品派を特徴づける簾刃の見どころの種である。 器用なるがゆえに、その記録は段階というよりむしろ作域に分かれる。志津の典型の傍らには濃い美濃色の手が立ち、下半は華やかな互の目丁子に互の目を交え、説明書が孫六兼元に範をとったとする三本杉風の尖り刃を見せ、刃寄りは柾に流れ、刃中には焼がぬけたような丸い玉が凝る。第三の静かな手は大和で、板目が柾に流れて締まった中直刃を焼き、刃縁に打のけ・小さな二重刃・ほつれを交え、一口の直刃の刀は尻懸則長を意識した作と読まれる。これに相州伝の皆焼が加わり、一つの刃文が彼を定めることはない。彼を定めるのは、全てを貫く帽子と砂流しと流れる地鉄である。年紀作は稀ながら、一門の上京、文禄年中の越中守受領、そして慶長二十年頃よりの銘中「越中守」の「守」の第六画の変化が、在銘作に確かな年代の手掛りを与える。 一派の中での位置は極めが明らかに言うところである。三品四兄弟中最も器用で作域が広く、志津風を共有した長兄伊賀守金道に対し、正俊はこれを最も推し進め、一門の帽子をその最も明快な形に示す。名は数代続くが、説明書は「二代以下は技術が頗る劣っている」とし、初代を一派中の手本、他の世代が比較される手とする。その特色は借り物の類似ではなく、本工自身の広い見どころの広がりであり、説明書が繰り返し上手・堅実と評する技をもって担われている。 収集の観点では、京新刀草創の世代に属する、在銘で知りうる名である。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は特別重要刀剣二口・重要刀剣二十六口および戦前の重要美術品、特別重要刀剣・重要刀剣の級で合わせて二十八口を通じ、そのほとんどが在銘である。来歴は数こそ少ないが立派で、織田有楽斎・織田家、皇室、北野天満宮の手を経ている。彫物の稀な一門にあって本工には数口に彫物が見られ、不動明王・倶利迦羅などは彼の手の研究に貴重と極められる。指定を受けた作の多くは私蔵か否かを問わず保たれて流通せず、その記録のうち市場に出うる級はわずかであるから、在銘の越中守正俊が世に出るのは時折のことで容易ではない。されど一たび出れば、三品派がその最も器用な草創の手と認めた工を、健全かつ多彩に語る一口である。

刀剣商

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