説明

Skip to content ITEM# UJKA404 – Catalogue 41 – Sold A Munetsugu Tameshigiri Katana (於東都固山宗次作之) Crafted in Edo (modern-day Tokyo) in August 1841, this formidable katana is the work of Koyama Munetsugu, one of the great maestros of the shinshintô period. Fujishiro ranks him as jôjô-saku – a highly superior swordsmith – and this blade demonstrates exactly why. Born in the castle town of Shirakawa in Mutsu Province, Munetsugu served Lord Matsudaira Sadanobu before eventually settling in Edo as a retainer of the ruling clan of Ise, with Koto Tsunahide believed to have been his teacher there. He is best known for his Bizen-style chôji hamon in nioi-deki and finely forged mokume-hada, though here he works in a flowing nagare-hada – a beautiful, wavy grain that ripples across the polished surface. The gunome chôji-midare hamon dances with tremendous energy along the full length of the blade, punctuated by lines of kinsuji cutting through with conviction, and tobiyaki tempering marks leaping across the body. The boshi is a dramatic kaen – flames burning like a candle through the tip. At 63.3cm, this thick, robust katana was inspired by the one-handed katate-uchi swords of the late Muromachi period, evoking the practical lethality of the Sengoku civil war era. Munetsugu had a well-documented relationship with the sword tester Yamada Asaemon, and the nakago of this blade bears chiselled proof of their connection: a tameshigiri cutting test recording that the sword severed cleanly through the chest of a convicted criminal below the armpits and into the earthen mound at the notorious Senju execution ground – a site responsible for some 200,000 executions between 1651 and 1873. The test is dated the 8th month of Tenpô 11 (August 1840), a year before the blade’s completion date, suggesting the cutting test inscription commemorates an earlier trial. The sword comes with a complete custom uchigatana-koshirae produced in Japan, lacquered in lustrous black with fine particles of mothe

A MUNETSUGU TAMESHIGIRI KATANA (於東都固山宗次作之)
売切れ
Tokuho売切れ

A MUNETSUGU TAMESHIGIRI KATANA (於東都固山宗次作之)

売却済

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仕様

長さ

63.3 cm

反り

1.3 cm

元幅

3.12 cm

作者について

Koyama Munetsugu宗次

51 重要刀剣

固山宗次は、享和三年に奥州白河に生まれ、俗名を宗兵衛、号を一専斎・精良斎といい、江戸時代の終わりに備前伝復古の第一人者となった。説明書は、その師は米沢の加藤綱英といわれると伝えつつ、その作風から勘案すれば「むしろ弟の加藤綱俊の影響力が大きい」と慎重に付け加える。初め白河松平家に仕え、藩が移封されると勢州桑名藩の藩工となって江戸麻布永坂に住し、弘化二年に備前介を受領、文政後半から明治初年に至るまで作刀し、西山・固山・備前介藤原宗次など数様に銘を切った。その遺例は新々刀の工のうちでも甚だ多く、天保・嘉永・安政・慶応に亘って年紀が明らかであり、説明書はその作風が「作風は一貫して備前伝」であったと評する。 本工の特徴の手は備前風の丁子・互の目丁子で、その作を何よりも分かつ見どころである。丁子に互の目・尖りごころの刃・小丁子・小互の目を交え、足長くよく入り、説明書はこの作域を鎌倉の備前兼光に通うものとする。一貫して変わらず、彼が範を求めた古作と分かつのは匂口であって、匂勝ちに締まって明るく冴え、小沸よくつき、刃中の明るい点こそ極めの繰り返し挙げるところである。ある天保の刀を、最も華やかな調子に仕上げたものとして、説明書は「常にも増して華やかな丁子主調の乱れ刃に仕上げており」と評し、匂口ふっくらとして柔らか味があり、刃中が明るいとする。 地鉄もまた終始変わらぬところである。常の地鉄はよくつんだ小板目で、細かに綺麗に鍛えて無地風に見えるほどであり、地沸細かにつき、時に細かな地景が入る。説明書はこの二つを併せて本工の成功を要約し、「地鉄のよくつんだ綺麗な鍛えに、匂勝ちの丁子乱れを焼いて成功している」とする。つまり緊まって綺麗な地鉄に匂勝ちの丁子乱れを焼き上げた、というのである。帽子は乱れ込んで小丸に返り、時に先尖って掃きかけ、彫物はある場合棒樋に添樋、時に梵字・護摩箸・倶利迦羅や神号を伴う。 本流のかたわら、彼は意識的な写しの工でもあり、説明書はその写し物を直に記す。ある大小を写し物の典型とし、刀は末備前ことに与三左衛門尉祐定を、脇指は応永備前の盛光・光を写したもので、短い刀身に映りを出すことに成功しているとする。別の作域として、天保年間の幅広・長寸・大鋒の作があり、身幅広く重ね厚く、地鉄は常々の緊まった肌とは相違して、板目に杢・流れ肌を交えて肌立ち、地沸・地景が一段と力強い感を与え、説明書はこの態が天保の作にまま見るところとする。より静かな直刃・直刃調の小調子も残り、本工の手のうち最も稀なものである。在銘・年紀の明らかな工であるから、宗次をめぐる鑑賞の問いは極めにあらず、その出来の質にあり、師についても説明書は同じ正直さで、その手がむしろ加藤綱俊に負うところが大きいと記す。 彼の幕末における位置を示すのは、備前伝復古の完成度と、その刀身の記録の豊かさである。多くが千住などで試された山田家の截断銘を帯び、息義次がその一部に彫物を施した。一刀は予州宇和島藩主伊達宗城侯の命により、外国船の折れた桅の環鉄を以て鍛えられ、説明書はその銘文を「幕末史の上からも貴重」とする。明るく締まった丁子乱れと、その下の無地風に近い小板目は、彼が写した鎌倉の手本の深く柔らかい匂口と分かち、新々刀の備前伝の工の筆頭に彼を据える。 収集の観点では、宗次は稀品というよりは在銘の豊かな名工である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、重要文化財もない。記録の上の位置はもっぱら重要刀剣にあり、その作はよく代表され、幅広の丁子乱れの刀を本工の典型作・代表作とし、ことに匂深く匂口の明るいものを地刃ともに健全な優品とする。その作は美術館よりも来歴の明らかな手を経ており、記録される伝来は古河藩主、庄内藩家老松平親懐、宇和島の伊達宗城侯に及び、一口は鎌倉の荏柄神社に長く伝わった。多く作られて多く残り、いずれも取引の及ぶ級にあるため、出来のよい在銘・年紀の宗次は同格のいかなる名工よりも世に出ることが多く、記録の確かな、試し斬りまで備えた幕末備前伝の一刀を収集家が手にする、最も近づきやすい道の一つであり続けている。

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