参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
メニューへスキップ 商品番号:UJDI007 – カタログ第29号 – 売約済 突兵拵 大小 (Toppei-Koshirae Daisho) 突兵拵(とっぺいこしらえ)は、日本刀の歴史において最も興味深い変遷期の一端を象徴する様式です。明治維新後、フランス軍装の影響を受けた軍服が採用されると、幅広の「段袋(だんぶくろ)」ズボンの着用に伴い、刀の佩用様式も変化を余儀なくされました。ベルトから革製の「負革(おいかわ)」を用いて垂直に吊るすスタイルが登場したのです。鞘尻を鋭く細めた独特の形状は、負革の輪をスムーズに通すための工夫であり、その姿が「突ぱい兜」に似ていたことから、この名で呼ばれるようになりました。この短くも激動の時代を物語る「突兵拵」が大小揃いで現存している例は、極めて稀少と言えます。 大刀(刀)は、元禄頃(1688〜1704年頃)に活躍した江戸石堂派の光興(みつおき)による作です。石堂派が鎌倉一文字の血脈から受け継いだ、伝統的な備前伝復古の作風を顕著に示しています。一方、小刀(脇差)は室町時代末期の末古刀備前であり、戦国時代の助光や助定を彷彿とさせる、明るく冴えた腰開きの刃文が見どころです。両刀とも研ぎの状態は良好で、手持ちが非常に軽いのが特徴です。これは帯に差すのではなく、革のホルダーで吊るして携行するという実用上の要請に応えたものでしょう。 拵の細部にも、鑑賞の醍醐味が詰まっています。黒漆塗の鞘には、銀の縁金(えんきん)が揃いで施され、栗形には「旭日旗」を模した意匠が設えられています。このことから、本大小は帝国海軍の士官によって佩用されていた可能性が極めて高いと考えられます。赤銅の「右京柄(うきょうづか)」には鉄地の縁頭が締まり、金色の龍の目貫が華を添えています。その力強さは、鉄金具の厳格な佇まいと見事な調和を見せています。両刀の鐔は鉄地で、阿弥陀如来の後光を思わせる「阿弥陀安来目(あみだやすりめ)」が施されています。また、大刀の鞘には、浜野政随(はまのしょうずい)銘の精巧な小柄が添えられています。
在銘 · Edo Ishido · Shintô · Early Edo (genroku era: 1688–1704) · 長さ 68.8cm · 反り 1.2cm

新刀 · 武蔵
現在18点販売中
江戸石堂は、近江・京を経て武蔵江戸に根を下ろした石堂一門の分派であり、その本領は新刀の地に古一文字の丁子を再び挙げることにあった。石堂派はもともと近江に出て、福岡一文字の華麗な丁子乱れを範とした一統であるが、その一部の工が近江から京都へ、さらに江戸へと移って一派をなした。赤坂に残る銘がこの経路を示すとおり、これは近江からの直接移住ではなく、京を中継した段階的な江戸移住であった。江戸石堂を代表する工としては、日置光平、対馬守常光、越前守宗弘、そして運寿是一に至る石堂是一の系がある。彼らは寛永正保のころより筆を起こし、幕末新々刀期の是一に至るまで、都にあって備前丁子の伝統を一貫して保った。古作の写しを志向しつつ、その地刃は当代の明るい新刀のものであり、慶長新刀より寛文新刀へ移る過渡の体配を負う作も少なくない。 作風を貫くのは、意図して焼かれた備前丁子の乱れである。光平にあっては匂出来を主とし、互の目・小互の目・頭の丸い丁子・小丁子・尖りごころの刃を一線に交えて焼に高低をつけ、足・葉さかんに入り、匂口は明るく冴える。これを支えるのが、杢や流れ肌を交えた小板目をよく詰め、地沸を微塵につけた地の上に立つ乱れ映りであって、新刀の明るさのうちに古備前の趣を再び挙げたこの地こそ、一文字再興を最も徴づける見どころである。是一に至っては、同じ御家芸の丁子を匂出来ではなく沸出来で焼くところに独創を見せ、よく詰んだ小板目に丁子を主として互の目・小丁子・尖りごころの刃を交え、匂深く沸厚く、刃中を砂流しと長い金筋が走る。これは相州の地に運ばれた備前の刃であり、群がる新々刀の備前伝再興のなかで別格をなした。重花丁子の華やぎ、映りを伴う明るい地、沸づく丁子という三つの手は諸工に通じつつ、光平が映りの上の匂の丁子に最もよく成り、是一が沸の丁子に踏み出したように、同じ家の手が工ごとに分かれて働く。なお大和守安定のごとく、この一統に系を引きながらも、角張るのたれに互の目を交えて虎徹の傍らに立つ頑健な刀を本領とし、丁子の華麗には拠らぬ工も同じ江戸石堂の名のうちに数えられる。 鑑定の勘所は、新刀の明るい地に焼かれた復興丁子という一点に帰する。すなわち、よく詰んで地沸のついた小板目、ものによっては乱れ映りの立つ地の上に、足・葉のさかんに入る多種の丁子乱れが焼かれ、匂口が明るく冴えるところを見れば、まず江戸石堂を疑うべきである。匂出来か沸出来か、映りの有無、互の目の角張りの度合いによって工が分かれ、映りの上の冴えた丁子に光平を、沸出来の丁子に是一を読む。主要工のうち光平は江戸石堂を代表する最も技量の卓抜した工の一人とされて常光と双璧をなし、是一は幕末の上手の列に立って次郎太郎直勝・細川正義と肩を並べる。作はおおむね在銘で、銘より経歴と続柄を読み取れる開かれた記録をなし、無銘の極めに頼らぬ点も一派の特色である。伝来は概して私蔵・公蔵に静かに伝わるものが多く、なかには皇室の蔵する是一の一口も知られる。在銘の江戸石堂は折々市場に現れるに過ぎず、古備前の映りの上に立つ明るい丁子乱れを一見で知る者にとって、現れれば一事である。 詳しく見る →
参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.
メニューへスキップ 商品番号:UJDI007 – カタログ第29号 – 売約済 突兵拵 大小 (Toppei-Koshirae Daisho) 突兵拵(とっぺいこしらえ)は、日本刀の歴史において最も興味深い変遷期の一端を象徴する様式です。明治維新後、フランス軍装の影響を受けた軍服が採用されると、幅広の「段袋(だんぶくろ)」ズボンの着用に伴い、刀の佩用様式も変化を余儀なくされました。ベルトから革製の「負革(おいかわ)」を用いて垂直に吊るすスタイルが登場したのです。鞘尻を鋭く細めた独特の形状は、負革の輪をスムーズに通すための工夫であり、その姿が「突ぱい兜」に似ていたことから、この名で呼ばれるようになりました。この短くも激動の時代を物語る「突兵拵」が大小揃いで現存している例は、極めて稀少と言えます。 大刀(刀)は、元禄頃(1688〜1704年頃)に活躍した江戸石堂派の光興(みつおき)による作です。石堂派が鎌倉一文字の血脈から受け継いだ、伝統的な備前伝復古の作風を顕著に示しています。一方、小刀(脇差)は室町時代末期の末古刀備前であり、戦国時代の助光や助定を彷彿とさせる、明るく冴えた腰開きの刃文が見どころです。両刀とも研ぎの状態は良好で、手持ちが非常に軽いのが特徴です。これは帯に差すのではなく、革のホルダーで吊るして携行するという実用上の要請に応えたものでしょう。 拵の細部にも、鑑賞の醍醐味が詰まっています。黒漆塗の鞘には、銀の縁金(えんきん)が揃いで施され、栗形には「旭日旗」を模した意匠が設えられています。このことから、本大小は帝国海軍の士官によって佩用されていた可能性が極めて高いと考えられます。赤銅の「右京柄(うきょうづか)」には鉄地の縁頭が締まり、金色の龍の目貫が華を添えています。その力強さは、鉄金具の厳格な佇まいと見事な調和を見せています。両刀の鐔は鉄地で、阿弥陀如来の後光を思わせる「阿弥陀安来目(あみだやすりめ)」が施されています。また、大刀の鞘には、浜野政随(はまのしょうずい)銘の精巧な小柄が添えられています。
在銘 · Edo Ishido · Shintô · Early Edo (genroku era: 1688–1704) · 長さ 68.8cm · 反り 1.2cm

新刀 · 武蔵
現在18点販売中
江戸石堂は、近江・京を経て武蔵江戸に根を下ろした石堂一門の分派であり、その本領は新刀の地に古一文字の丁子を再び挙げることにあった。石堂派はもともと近江に出て、福岡一文字の華麗な丁子乱れを範とした一統であるが、その一部の工が近江から京都へ、さらに江戸へと移って一派をなした。赤坂に残る銘がこの経路を示すとおり、これは近江からの直接移住ではなく、京を中継した段階的な江戸移住であった。江戸石堂を代表する工としては、日置光平、対馬守常光、越前守宗弘、そして運寿是一に至る石堂是一の系がある。彼らは寛永正保のころより筆を起こし、幕末新々刀期の是一に至るまで、都にあって備前丁子の伝統を一貫して保った。古作の写しを志向しつつ、その地刃は当代の明るい新刀のものであり、慶長新刀より寛文新刀へ移る過渡の体配を負う作も少なくない。 作風を貫くのは、意図して焼かれた備前丁子の乱れである。光平にあっては匂出来を主とし、互の目・小互の目・頭の丸い丁子・小丁子・尖りごころの刃を一線に交えて焼に高低をつけ、足・葉さかんに入り、匂口は明るく冴える。これを支えるのが、杢や流れ肌を交えた小板目をよく詰め、地沸を微塵につけた地の上に立つ乱れ映りであって、新刀の明るさのうちに古備前の趣を再び挙げたこの地こそ、一文字再興を最も徴づける見どころである。是一に至っては、同じ御家芸の丁子を匂出来ではなく沸出来で焼くところに独創を見せ、よく詰んだ小板目に丁子を主として互の目・小丁子・尖りごころの刃を交え、匂深く沸厚く、刃中を砂流しと長い金筋が走る。これは相州の地に運ばれた備前の刃であり、群がる新々刀の備前伝再興のなかで別格をなした。重花丁子の華やぎ、映りを伴う明るい地、沸づく丁子という三つの手は諸工に通じつつ、光平が映りの上の匂の丁子に最もよく成り、是一が沸の丁子に踏み出したように、同じ家の手が工ごとに分かれて働く。なお大和守安定のごとく、この一統に系を引きながらも、角張るのたれに互の目を交えて虎徹の傍らに立つ頑健な刀を本領とし、丁子の華麗には拠らぬ工も同じ江戸石堂の名のうちに数えられる。 鑑定の勘所は、新刀の明るい地に焼かれた復興丁子という一点に帰する。すなわち、よく詰んで地沸のついた小板目、ものによっては乱れ映りの立つ地の上に、足・葉のさかんに入る多種の丁子乱れが焼かれ、匂口が明るく冴えるところを見れば、まず江戸石堂を疑うべきである。匂出来か沸出来か、映りの有無、互の目の角張りの度合いによって工が分かれ、映りの上の冴えた丁子に光平を、沸出来の丁子に是一を読む。主要工のうち光平は江戸石堂を代表する最も技量の卓抜した工の一人とされて常光と双璧をなし、是一は幕末の上手の列に立って次郎太郎直勝・細川正義と肩を並べる。作はおおむね在銘で、銘より経歴と続柄を読み取れる開かれた記録をなし、無銘の極めに頼らぬ点も一派の特色である。伝来は概して私蔵・公蔵に静かに伝わるものが多く、なかには皇室の蔵する是一の一口も知られる。在銘の江戸石堂は折々市場に現れるに過ぎず、古備前の映りの上に立つ明るい丁子乱れを一見で知る者にとって、現れれば一事である。 詳しく見る →
参勤交代が集めた日本最大の帯刀人口が江戸にあった。御用鍛冶康継は茎に葵紋を許され、虎徹の刀は截断銘の金象嵌を帯びる。この町では、証こそが物を言った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.