説明

出羽大掾藤原国路(上々作・新刀脇差) 流派:堀川派 時代:江戸時代初期(元和頃:1615-1624年) 鑑定:日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣 銘:出羽大掾藤原国路 刀工大鑑評価:850万円 藤代鑑定:上々作 種別:脇差 長さ:40.0 cm(一尺三寸二分) 反り:腰反り 姿:鎬造 棟:庵棟 重ね:2.5 mm(耳)、6 mm(鎬) 元幅:2.9 cm 先幅:2.04 cm 切先:大切先(7.5 cm) 茎状態:生茎 茎形状:標準、栗尻 目釘穴:二個(忍穴埋め) 鑢目:大筋違 刃文:小沸出来、匂口明るく冴える。穏やかな湾れに中互の目乱れが交じる。刃中には砂流し、金筋が頻りに掛かり、岩間を流れる急流を彷彿とさせる。 鍛え:板目に木目交じり、肌流れる。肌立つも荒れず、地景入り、地沸厚くつく。鍛錬の妙が遺憾なく発揮された、精緻かつ力強い肌合いである。 帽子:湾れ込み、三品帽子風となって中返る。 解説: 出羽大掾国路は堀川派を代表する名工であり、江戸初期に活躍しました。当初は伊賀守金道に学び、後に堀川国広の門人となりました。承応二年(1653年)作の刀に「七十七歳」と銘があることから、天正四年(1576年)の生まれと推測されます。初期の銘には「道」の字を用いていましたが、慶長十四年(1609年)頃より「路」の字に改めています。出羽大掾の受領銘は元和元年(1615年)頃から見られ、本作の銘振りからも元和年間の制作と極められます。没年は不詳ながら、明暦三年(1657年)に八十二歳で作刀した記録があり、非常に息の長い活躍を見せました。 本作が打たれた時代は、戦国の余韻が色濃く残る一方、乱世の需要に追われる量産期を脱し、一振の完成度を極めるに理想的な環境にありました。本作は国路の技量が存分に発揮された志津写しの優品です。大切先の豪壮な姿は手に取れば圧倒的な覇気を感じさせ、匂口は元から先まで均一に明るく冴え渡っています。 研ぎの状態も極めて良好に保たれており、昭和六十三年(1988年)には日本美術刀剣保存協会の機関誌「刀剣美術」にも掲載されました(本間薫山先生の連載「刀剣日記」内)。 鞘書(本間薫山先生): 「出羽大掾藤原国路 志津風 刃長一尺三寸二分」 付属品: 本間薫山先生鞘書付白鞘(1982年)、金着二重箔鎺、「刀剣美術」掲載誌コピー、特別保存刀剣鑑定書、上質刀袋。 国路の真髄を示す、資料的価値も極めて高い一振りです。

出羽大掾藤原国路
Tokuho

出羽大掾藤原国路

脇差

$8,500

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仕様

長さ

40 cm

元幅

2.9 cm

先幅

2.04 cm

流派について

Horikawa School堀川派

堀川派は、山城国京都の一条堀川を本拠として、十六世紀末から十七世紀初頭にかけて成立した新刀期の一門である。祖の堀川国広はもと日向飫肥の城主伊東家に仕えた武士で、主家没落の後は諸国を遍歴して鍛刀の技を磨き、足利学校打や美濃大道との合作などにその足跡を銘文へ残した。慶長四年(一五九九)以後は京一条堀川に定住し、多くの俊秀を糾合してこれを育てた。その門からは出羽大掾国路、和泉守国貞(親国貞)、河内守国助、越後守国儔、大隅掾正弘、堀川国安らが輩出する。国広以前の関や末相州の作風を経て、定住後の一門は相州伝、就中、志津や貞宗、左文字の復興を共通の理想に掲げた。慶長新刀の姿に南北朝期の大太刀を磨上げた趣を写し、明寿と並んで新刀の創始を称えられる祖を戴いて、この派は京の鍛冶を改めた起点に立つ。 一門の作風は、地鉄にまず標識を持つ。板目に杢や大板目を交えて肌立つ、いわゆる「ザングリとした」枯れた肌合を呈し、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入る。区際より斜めに立つ水影は国広自身の手癖で、正弘や国安、国正にも伝わる。刃は浅いのたれを基調に互の目や尖り刃を交えて沸厚く、金筋や砂流しがかかり、処々に湯走りや飛焼を見せ、匂口が沈みごころとなるのが一派に通じる癖である。刃区を深く焼き込む態も国広に始まり門弟へ及ぶ。この共通の地刃の上に、各工は己の差を置く。国路は肌立ちザングリと枯れた地に厚く荒い沸の志津写しを焼き、浅くのたれ込んで先の尖る三品帽子を見せて、一門中随一の器用人と称された。国安は受領銘を用いず必ず二字に切り、左利きゆえに逆筋違の鑢目を切る唯一の工で、その手は最も祖に近い。正弘は大乱れを焼かず、焼を低く刃取りを抑えて目立つ杢を交え、作風も銘字の藤原の二字に至るまで祖に酷似する。国儔はかえって末関に向かい、頭の丸い互の目と締った匂口に兼之を思わせる美濃の一脈を担った。弘幸は一門ただ一人切り鑢を用い、黒みをおびた鉄に古作大和を想わせる直刃を本領とした。 蒐集家が堀川派を求める理由は、鑑定の勘所と、祖と高弟の格にある。在銘作を主体とし、慶長打は太鏨肩落の大振り二字銘や、日州古屋住から洛陽一条堀川住に至る受領銘を交えるため、銘そのものが工と時を定める手懸りとなる。国広の刀は、ザングリの地、斜めの水影、沈む匂口という手癖を写し物の中にすら宿し、相州伝復興の理想を最も高く体現する。高弟もまた、それぞれの極めの言うところで分かたれる。国路の三品帽子と長い金筋、国安の二字銘と逆鑢、正弘の抑えた焼と目立つ杢、国儔の頭の丸い互の目、弘幸の切り鑢と黒い鉄は、いずれも対手から借りた特徴ではなく己の地刃から引かれた標識である。代表作には伝後水尾天皇御寄進の拵を具して幡枝八幡宮に伝わる奉納太刀があり、伝来は日向伊東家、岡山藩家老伊木家、土佐山内家、大島津家、豊臣秀頼、皇室に及ぶ。最晩年の国広作は弟子の代作代銘と読まれるが、師の監督は厳重で偽物とは全く異なる。そして親国貞と河内守国助は国儔に学んで大坂へ下り、大坂新刀の草創に立った。国貞の嗣は井上真改として、その名を一層名高い世代へと継ぐ。京の堀川に始まった相州伝復興の手は、かくして後世の新刀へと流れていった。

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