説明

Stock No:WA-050326Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Echizen(Fukui), Middle Edo period about 1661~Blade length(Cutting edge): 54.5cmCurve(SORI): 1.4cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.12cmThickness at the Moto-Kasane: 0.64cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.40cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, Gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): SuguhaTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu then komaru round tipRegistration Card: Saitama 1963【Additional Information】山城守国清は江戸期を通じて数代続いた越前新刀を代表する刀工です。初代は信濃国松代出身と伝えられ、三代島田助宗の子として生まれ、初銘を助宗、のちに京へ上って堀川国広に学び国清と銘を改めました。松平忠昌に仕え、主君の転封に従い、越後高田を経て越前福井へ移住し、福井城下浜町に住して鍛刀しました。寛永年間に「山城大掾」及び「山城守」を受領し、併せて十六葉菊紋の使用を許されたとみられます。作柄は直刃を得意とし、乱れ刃も焼きます。本作体配は、刃長が一尺八寸、身幅重ね尋常、反り程よく利いて、中切っ先となる上品な刀姿の一振です。地鉄は、板目肌鍛で処々流れごころに地沸が付きます。刃文は直刃、刃縁一部ほつれ、小沸ふんわりと付き、匂口やや締まりごころに明るく冴えます。帽子はそのまま直ぐで先小丸に返ります。茎は生ぶ、筋違鑢で、刀工銘と材質銘のほか、菊紋と一の字を添えて刻します。越前新刀を代表する刀工の一人、山城守国清の一口。南蛮鉄を用いて鍛錬された一刀で、本工の特色がよく示された出来口であります。白鞘、金着二重はばき、特別保存刀剣鑑定書。

Wakizashi [Yamashiro-no-kami Fujiwara Kunikiyo][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Tokuho

Wakizashi [Yamashiro-no-kami Fujiwara Kunikiyo][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token

脇差

¥900,000

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仕様

長さ

54.5 cm

反り

1.4 cm

元幅

3.12 cm

先幅

2.4 cm

流派について

Horikawa School堀川派

堀川派は、山城国京都の一条堀川を本拠として、十六世紀末から十七世紀初頭にかけて成立した新刀期の一門である。祖の堀川国広はもと日向飫肥の城主伊東家に仕えた武士で、主家没落の後は諸国を遍歴して鍛刀の技を磨き、足利学校打や美濃大道との合作などにその足跡を銘文へ残した。慶長四年(一五九九)以後は京一条堀川に定住し、多くの俊秀を糾合してこれを育てた。その門からは出羽大掾国路、和泉守国貞(親国貞)、河内守国助、越後守国儔、大隅掾正弘、堀川国安らが輩出する。国広以前の関や末相州の作風を経て、定住後の一門は相州伝、就中、志津や貞宗、左文字の復興を共通の理想に掲げた。慶長新刀の姿に南北朝期の大太刀を磨上げた趣を写し、明寿と並んで新刀の創始を称えられる祖を戴いて、この派は京の鍛冶を改めた起点に立つ。 一門の作風は、地鉄にまず標識を持つ。板目に杢や大板目を交えて肌立つ、いわゆる「ザングリとした」枯れた肌合を呈し、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入る。区際より斜めに立つ水影は国広自身の手癖で、正弘や国安、国正にも伝わる。刃は浅いのたれを基調に互の目や尖り刃を交えて沸厚く、金筋や砂流しがかかり、処々に湯走りや飛焼を見せ、匂口が沈みごころとなるのが一派に通じる癖である。刃区を深く焼き込む態も国広に始まり門弟へ及ぶ。この共通の地刃の上に、各工は己の差を置く。国路は肌立ちザングリと枯れた地に厚く荒い沸の志津写しを焼き、浅くのたれ込んで先の尖る三品帽子を見せて、一門中随一の器用人と称された。国安は受領銘を用いず必ず二字に切り、左利きゆえに逆筋違の鑢目を切る唯一の工で、その手は最も祖に近い。正弘は大乱れを焼かず、焼を低く刃取りを抑えて目立つ杢を交え、作風も銘字の藤原の二字に至るまで祖に酷似する。国儔はかえって末関に向かい、頭の丸い互の目と締った匂口に兼之を思わせる美濃の一脈を担った。弘幸は一門ただ一人切り鑢を用い、黒みをおびた鉄に古作大和を想わせる直刃を本領とした。 蒐集家が堀川派を求める理由は、鑑定の勘所と、祖と高弟の格にある。在銘作を主体とし、慶長打は太鏨肩落の大振り二字銘や、日州古屋住から洛陽一条堀川住に至る受領銘を交えるため、銘そのものが工と時を定める手懸りとなる。国広の刀は、ザングリの地、斜めの水影、沈む匂口という手癖を写し物の中にすら宿し、相州伝復興の理想を最も高く体現する。高弟もまた、それぞれの極めの言うところで分かたれる。国路の三品帽子と長い金筋、国安の二字銘と逆鑢、正弘の抑えた焼と目立つ杢、国儔の頭の丸い互の目、弘幸の切り鑢と黒い鉄は、いずれも対手から借りた特徴ではなく己の地刃から引かれた標識である。代表作には伝後水尾天皇御寄進の拵を具して幡枝八幡宮に伝わる奉納太刀があり、伝来は日向伊東家、岡山藩家老伊木家、土佐山内家、大島津家、豊臣秀頼、皇室に及ぶ。最晩年の国広作は弟子の代作代銘と読まれるが、師の監督は厳重で偽物とは全く異なる。そして親国貞と河内守国助は国儔に学んで大坂へ下り、大坂新刀の草創に立った。国貞の嗣は井上真改として、その名を一層名高い世代へと継ぐ。京の堀川に始まった相州伝復興の手は、かくして後世の新刀へと流れていった。

刀剣商

銀座誠友堂

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