T440. Papered Higo Kinko tsuba. 6.8 x 7.3 x .5 cm. The nakago hitsu-ana is .8 x 2.8 cm. The metal is shinchu (brass) and the design is karakusa in ke-bori. The niku falls off from the seppa-dai outward, leaving a raised rim. The karakusa wraps nicely around the rim. Condition is excellent. The paper is Hozon from the NBTHK, dated 2017 and giving this to Kodai (later generation) Higo. This comes in a fitted box with pillow and a former owner’s label: Higo, Kanshiro Shodai, Shinchu-ji karakusa bori. $1,295.









肥後金工派
江戸
肥後
肥後 · 肥後
現在151点販売中
肥後金工は、肥後熊本において細川家の庇護のもとに桃山時代から江戸時代にかけて栄えた金工の総称であり、林・平田・西垣・志水の四家が本流を代表する。その初代の金工はすべて、名将の誉高く茶道の達人であった細川三斎忠興に抱えられ、指導を受けた。寛永九年(一六三二)に加藤家改易ののち、その子忠利が熊本五十四万石に封ぜられると、三斎は隠居の身となり、八代城を隠棲の場と定めた。平田家は正阿弥系であるが、此の派の祖、初代彦三は京で三斎に仕え、丹後・豊前を経て同家の移封に伴い熊本に下向し、寛永十二年同地で歿している。その門下からは甥の志水甚五、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。林派の祖又七は慶長十八年に熊本に生まれ、先祖は尾張国出身の鉄砲鍛冶で、父清兵衛の時に加藤清正に仕えて肥後熊本に移住し、加藤家改易後は細川家に仕え、元禄十二年、八十七歳で歿した。また細川三斎自らの作や、寛永十七年に細川忠利に仕えた宮本武蔵など、武人の余技的な作も広く肥後金工に含まれる。 三斎の指導により、この派はすべて武人好みの秀れた実用面と格調高い美術性とを兼備しているところに特色がある。林派の作風は、羊羹色にたとえられる如く、鍛えのよいねっとりとした鉄地が見どころで、地透に毛彫を加え、金布目象嵌を施した作が多く、その地鉄は抜群に優れて雅味があり、古来賞揚されて止まない。又七の嫡男重光の作に見られるように、林系の鐔は特有の美しい紫錆を有する。平田派は正阿弥の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・素銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、「平田がね」「彦三がね」と呼ばれる色金を巧みに駆使し、象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施して雅趣溢れる装飾性を加え、稀には七宝象嵌をも施している。小田原覆輪と呼ばれる特殊な覆輪を創始したことも彦三の見どころである。志水甚五は肥後の諸金工の中にあってひときわ強烈な個性を発揮し、槌目焼手仕立ての鉄地に、表には猛禽や梟・雨龍などの画題を真鍮据紋象嵌で大胆に配し、裏は空間を意図的に広くとって文様を小さく配し、寂の趣を深くする剛毅な作風を示す。西垣二代永久は後藤顕乗家に入門し、後に細川家の抱工となって、多くの色金を駆使した象嵌に妙技を見せた。桜花や蕨手は肥後鐔によく取り上げられた図柄で、中でも又七をもって嚆矢とする。 肥後金工は、細川流茶道の美を基調に寂の風雅を格調高くあらわし、桃山の豪毅な気風をもよく継承した点において、刀装具の世界に独自の地位を占めている。その造形は鐔にとどまらず、細川家の家紋である九曜紋を唐草文に散りばめた赤銅総金具の大小拵など、大名道具の全体にまで及んでいる。「又七をして皆三舎を避く」と謂われるように、その格調の高さは他工の企及し能わざるところであり、無銘の作が多いだけに、数少ない在銘作は各工の作域を知るうえでも貴重とされる。名品の多くは細川家に伝来して永青文庫に収められ、四大流派の伝統は後の上吉派にも受け継がれて、武家の美意識を体現する金工として今日まで高く賞揚されている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
3-day return window from receipt.
T440. Papered Higo Kinko tsuba. 6.8 x 7.3 x .5 cm. The nakago hitsu-ana is .8 x 2.8 cm. The metal is shinchu (brass) and the design is karakusa in ke-bori. The niku falls off from the seppa-dai outward, leaving a raised rim. The karakusa wraps nicely around the rim. Condition is excellent. The paper is Hozon from the NBTHK, dated 2017 and giving this to Kodai (later generation) Higo. This comes in a fitted box with pillow and a former owner’s label: Higo, Kanshiro Shodai, Shinchu-ji karakusa bori. $1,295.









肥後金工派
江戸
肥後
肥後 · 肥後
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肥後金工は、肥後熊本において細川家の庇護のもとに桃山時代から江戸時代にかけて栄えた金工の総称であり、林・平田・西垣・志水の四家が本流を代表する。その初代の金工はすべて、名将の誉高く茶道の達人であった細川三斎忠興に抱えられ、指導を受けた。寛永九年(一六三二)に加藤家改易ののち、その子忠利が熊本五十四万石に封ぜられると、三斎は隠居の身となり、八代城を隠棲の場と定めた。平田家は正阿弥系であるが、此の派の祖、初代彦三は京で三斎に仕え、丹後・豊前を経て同家の移封に伴い熊本に下向し、寛永十二年同地で歿している。その門下からは甥の志水甚五、西垣勘四郎が輩出し、尾張系の林又七と共に肥後金工の四大流派を形成した。林派の祖又七は慶長十八年に熊本に生まれ、先祖は尾張国出身の鉄砲鍛冶で、父清兵衛の時に加藤清正に仕えて肥後熊本に移住し、加藤家改易後は細川家に仕え、元禄十二年、八十七歳で歿した。また細川三斎自らの作や、寛永十七年に細川忠利に仕えた宮本武蔵など、武人の余技的な作も広く肥後金工に含まれる。 三斎の指導により、この派はすべて武人好みの秀れた実用面と格調高い美術性とを兼備しているところに特色がある。林派の作風は、羊羹色にたとえられる如く、鍛えのよいねっとりとした鉄地が見どころで、地透に毛彫を加え、金布目象嵌を施した作が多く、その地鉄は抜群に優れて雅味があり、古来賞揚されて止まない。又七の嫡男重光の作に見られるように、林系の鐔は特有の美しい紫錆を有する。平田派は正阿弥の伝統を多く継承し、素材には鉄地もあるが、山銅・素銅・真鍮・赤銅などの色金が多く、「平田がね」「彦三がね」と呼ばれる色金を巧みに駆使し、象嵌はもとより阿弥陀鑢や翁鑢を施して雅趣溢れる装飾性を加え、稀には七宝象嵌をも施している。小田原覆輪と呼ばれる特殊な覆輪を創始したことも彦三の見どころである。志水甚五は肥後の諸金工の中にあってひときわ強烈な個性を発揮し、槌目焼手仕立ての鉄地に、表には猛禽や梟・雨龍などの画題を真鍮据紋象嵌で大胆に配し、裏は空間を意図的に広くとって文様を小さく配し、寂の趣を深くする剛毅な作風を示す。西垣二代永久は後藤顕乗家に入門し、後に細川家の抱工となって、多くの色金を駆使した象嵌に妙技を見せた。桜花や蕨手は肥後鐔によく取り上げられた図柄で、中でも又七をもって嚆矢とする。 肥後金工は、細川流茶道の美を基調に寂の風雅を格調高くあらわし、桃山の豪毅な気風をもよく継承した点において、刀装具の世界に独自の地位を占めている。その造形は鐔にとどまらず、細川家の家紋である九曜紋を唐草文に散りばめた赤銅総金具の大小拵など、大名道具の全体にまで及んでいる。「又七をして皆三舎を避く」と謂われるように、その格調の高さは他工の企及し能わざるところであり、無銘の作が多いだけに、数少ない在銘作は各工の作域を知るうえでも貴重とされる。名品の多くは細川家に伝来して永青文庫に収められ、四大流派の伝統は後の上吉派にも受け継がれて、武家の美意識を体現する金工として今日まで高く賞揚されている。 詳しく見る →
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