説明

Stock number:TA-070117Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Satsuma(Kagoshima)・Edo era 1823Blade length(Cutting edge): 33.9cmCurve(SORI): 1.5cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.08cmThickness at the Moto-Kasane: 0.75cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.75cmThickness at the Saki-Kasane: 0.6cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Hirazukuri,IorimuneJigane(Hada): Mokume with Jinie and ChikeiTemper patterns(Hamon): Ogunome-midare with NieTemper patterns in the point(Bohshi): KomaruRegistration Card: Tokyo【Additional Information】奥大和守平朝臣元平:名はを奥孝左衛門といい、延享元年十月に奥元直の長男として生まれます。天明五年、三十八歳にして薩摩藩工となります。寛政元年十二月に大和守を受領し鍛刀に励みつつ、遠方から薩摩の元平を尋ね入門した多くの門弟にその技を伝授しました。元平は長命で文政九年七月十五日八十四才で没しました。老いて尚腕前は確かで亡くなる前年の八十三歳までの作品にも優れた刀を残されています。元平は伯耆守正幸と共に薩摩新々刀の双璧と言われ、薩摩新々刀屈指の名工です。本作、30センチを超える刃長なので、登録上は脇差に分類されていますが、製作当時は短刀として造られた御刀で。寸が延びて身幅が広くドップリとして力強く、僅かに反りが利くなど、いかにも物切れしそうな一振です。地鉄は杢目がよく錬れて地沸がつき地景入る薩摩相州伝の地鉄です。刃紋は大互の目乱れ刃紋で、匂い柔らかく深く、明るい沸がぶ厚く付く焼刃で、刃中には砂流しと、金線が踊るように働いており、「元平の釣針」と呼ばれる打ちのけや湯走りも現われ、お見事と言いたい覇気ある刃です。帽子はそのまま乱れながら小丸へ返ります。茎は生ぶで銘と年紀、それと八十歳と刻されています。保存状態は薩摩刀によく有りがちな朽ち込みが無く非常に良い保存状態です。茎尻には元平名物の隠し鏨が一本キッチリと入っています。本刀は欠点がなく、出来映えも特上な一振りであり自信を持ってお薦めできる逸品です。薩摩新々刀の双璧、奥大和守平朝臣元平の特徴と高度な技量が顕現に示された地刃共に健全で姿豪壮な、正に元平の傑作刀と称讃したい出色の出来映えの拵付き優刀です。

Sunnobi Tantou [Oku Yamatonokami Taira Ason Motohira] [N.B.T.H.K]Tokubetsu hozon Token
売切れ
Tokuho売切れ

Sunnobi Tantou [Oku Yamatonokami Taira Ason Motohira] [N.B.T.H.K]Tokubetsu hozon Token

脇差

売却済

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仕様

長さ

33.9 cm

反り

1.5 cm

元幅

3.08 cm

先幅

2.75 cm

作者について

Satsuma Motohira元平

38 重要刀剣

奥元平、通称奥孝左衛門は、奥元直の嫡男として延享元年に生まれた。父に鍛刀を学んで夙に出藍の誉があり、明和年間より作刀を見、安永八・九年頃より急に作刀が多くなる。説明書は本工を一つの繰り返される併称で位置づける。「伯耆守正幸と並んで薩摩新々刀の双璧」と称えられ、正幸より十一歳の後輩である。銘そのものがその経歴を写し、安永・天明初めは「薩陽士元平」、天明五年以後は「薩藩臣奥元平」、寛政元年に大和守を受領して後は「奥大和守平朝臣元平」と切るものが多い。作歴は長く、歿年の文政九年、八十三歳の年紀と行年を切る作さえある。 本領は、説明書が本工得意の相州伝と称する身幅広く堂々たる刀である。体配は身幅広く平肉豊かに中鋒延び、刃文は浅いのたれ調の互の目乱れに尖りごころの刃を交え、時に腰開きの尖り刃となり、あるいは大互の目に広がる。匂深く、沸厚く強くつき荒沸を交え、これに頻りな砂流しと長い金筋がかかる。これが薩摩で芋蔓と称される沸の流れ筋であり、ある一口について説明書は、金筋が太く入って「芋蔓状の沸筋」を見せると記す。尖り刃と流れる蔓とが、丁子にあらず荒い沸に読む相州伝であり、本工を認める背骨である。 下地の地鉄は終始変らぬところである。よく練れた板目、多くは小板目つみて流れ肌を交え、地沸厚く地景入り、最上の作では明るく冴える。その上で帽子は乱れ込みあるいは直ぐに小丸に返り、先を掃きかけて最も覇気のある作では火焰風となる。説明書が茎そのものに鑑定点として挙げる一つの見どころがある。茎は殆んど生ぶで、舟形風に先を細くし剣形に近い茎先となり、その仕立が終生変らないと記し、太鏨の大振りの長銘を切り行年を添えるものが多い。 記録は時期で明らかに分かれる。前期、安永から天明初めの作は、相州伝の手が現れる前の、より穏やかな作風として読まれる。浅いのたれ調の刃、時に広直刃が浅いのたれに湾れ、匂深く沸よくつき匂口明るく冴える。説明書はこれに名を与え、天明五年の作を前期作に見る真改風の浅いのたれ調とし、天明二年の作を同工の前期作に見られる大阪新刀の真改風の出来とする。下地の地沸厚い板目は、すでに本領に持ち込む鉄であり、前期の直刃は同じ手を静かに保ったもので、別の伝ではない。またしばしば弟の元武・元安と合作し、彼らの単独銘は極めて少なく技も長兄に及ばないと説明書は記すが、二人・三人の合作銘が残りそれ自体貴重とされ、その出来は単独銘のものと変るところがない。 同国の中で本工を位置づけるのは、まさに極めの言う併称と説明書の立ち返る手である。まず年長の同郷の工正幸に対して読まれ、両者は薩摩新々刀の双璧として併べられる。そして説明書は同じ描写に立ち返る。その作刀は一般に「身幅が広く、堂々とした」ものが多く、互の目乱れを得意として荒沸を交え華やかであり、そして「相州伝を得意」とされる工である。明るく匂深い互の目に尖り刃を交え、流れる芋蔓と火焰風の帽子とが、他と分かつ本工自身の描かれた見どころであり、借りものの比較ではない。本工は奥家の筆頭に立ち、この系の薩摩新々刀を読む手である。 収集の観点では、本工は薩摩末期の屈指の名であり、藤代の極めは上々作である。国宝はなく、重要文化財もない。現代の指定は重要刀剣の級を通じ、二十六口がこの級にあり、安永から歿年に及ぶ作歴にわたって殆んど生ぶ・在銘で、一口は松江松平家の伝来を持つ。指定を受けた作の多くは、私蔵のものを含めて取引されず保たれており、本工得意の相州伝の在銘の良品が市に出るのは時に、そして忍んで初めてであり、出た際には収集家にとって相応のものである。本工の作は、古伝の固く保たれた遺産に比べては、一流の新々刀の名工の中では比較的見出しやすいが、年紀と行年を切った覇気のある相州伝の刀はなお節目の収集であり、薩摩の学が末期の頂に至った証である。

刀剣商

銀座誠友堂

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売切れ