説明

Stock No:WA-060226Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Settsu(Osaka), Middle Edo period about 1688~Blade length(Cutting edge): 45.4cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.23cmThickness at the Moto-Kasane: 0.70cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.70cmThickness at the Saki-Kasane: 0.55cmHabaki: One parts, Gold foill HabakiSword tang(Nakago): Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Mitsumune,Chu-kissakiEngraving: Front:Kenmaki-Ryu Back:Rendai,Bo-hi&Soe-hi,HojuJigane(Hada): Itame with Jinie , ChikeiTemper patterns(Hamon): Choji-midare and Ko-choji, Togariba etc.Temper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi then hakikake round tipRegistration Card: Tokyo【Additional Information】一竿子忠綱。初代忠綱の子であり、後に二代目となります。通称を万太夫、「一竿子」、「合勝軒」と号します。初期の作風は師伝である形の揃った丁子乱れを焼き、後年、越前守助広創始の濤瀾刃風の乱れ刃や大互の目乱れ、直刃なども焼いています。同工にあっては、新刀屈指の彫物の名手として著名であり、剣巻龍や梅木巻龍、玉追龍、毘沙門剣等、様々な図柄の刀身彫刻を刻します。本作体配は、刃長が一尺五寸弱。身幅広く確りとし、重ね尋常、反り適度で、フクラ豊かな中切っ先となる、がっしりとして堅牢な刀姿の一口です。地鉄は良く練りあげられ、詰んだ板目肌鍛で、地沸微塵につき、地景強く入ります。刃文は丁子乱れを主として、小丁子、尖り刃、逆がかる刃などが交じり、飛び焼き掛かって、処々腰開き、高低ついて、複雑な乱れ刃となります。刃中には、鍛肌が影響して金筋、砂流し、金線が幾重にも重なって長く掛かるなど、盛んに働きます。帽子はそのまま乱れ込み、先掃きかけて返ります。茎は、生ぶ、筋違鑢で刀工銘が刻されます。一竿子忠綱。彫物は別人ながら、表裏で巧みな彫口を見せており、特に差表では、烈しい出来の地刃と彫刻が相俟って、嵐の中に這う龍を想わせ、見事な景色を作り出しています。白鞘、金着一重ハバキ、特別保存刀剣鑑定書。

Wakizashi [Awataguchi Omi-no-kami Tadatsuna(Ikkanshi Tadatsuna)(Yoki-wazamono)][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Tokuho

Wakizashi [Awataguchi Omi-no-kami Tadatsuna(Ikkanshi Tadatsuna)(Yoki-wazamono)][N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token

脇差

¥1,800,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

45.4 cm

反り

1.2 cm

元幅

3.23 cm

先幅

2.7 cm

流派について

Osaka Shinto School大坂新刀派

大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。

刀剣商

銀座誠友堂

world-seiyudo.com

¥1,800,000

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