室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
古美術日本刀 大刀 大宮盛景(伝) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 重要刀剣指定品 【解説】 本作は、南北朝時代中期から後期(14世紀中頃〜後半)にかけて備前国で栄えた大宮派を代表する名工、盛景の作と極められた一振りです。盛景の名は、延文(1356年)から室町時代の永享(1435年)頃まで四代にわたって受け継がれていますが、本作は日本美術刀剣保存協会の鑑定により、南北朝期よりやや下る室町初期頃の盛景(後代)の作と比定されています。 大宮派は、鎌倉時代末期の国盛を始祖と伝えています。伝承によれば、国盛はもともと山城国(現在の京都)猪熊大宮の地に住していましたが、後に備前国(現在の岡山県)大宮村へ移住し、一派を成したことから「大宮」の呼称がついたとされています。国盛の確実な有銘作が現存しないことから、実質的な開祖であり、同派で最も技量の優れた名手は、この初代盛景であると目されています。 大宮派は、備前長船派の巨匠・兼光らと同時期に活躍しました。この時代、力強い相州伝の特色と、洗練された備前伝の美を融合させた「相伝備前(そうでんびぜん)」と呼ばれる画期的な作風が確立されました。盛景をはじめとする大宮派の刀工たちは、この高度な技術を完璧に習得していたことで知られています。相伝備前の刀剣は、その強靭さと優美さを兼ね備えた姿から、当時の武士たちに極めて高く評価されました。 同派には盛景のほか、盛次や盛重といった名工がおり、一門の伝統として名に「盛」の字を冠するのが通例となっています。 【地鉄・刃文】 地鉄:板目細かにつみ、大肌交じる 板目肌が細かくよく詰んだ美しい地鉄に、大肌が交じり、力強い鍛えを見せています。 刃文:逆の目に小互の目丁子交じり、沸よくつき、砂流し・金筋入る 逆がかった互の目に小互の目や丁子が交じり、刃縁には沸(にえ)が厚くつきます。刃中には砂流しや金筋といった働きが盛んに入り、極めて変化に富んだ見事な乱れ刃を焼いています。 誉疵(ほまれきず) 本作には、実戦で用いられた証である「誉疵」が見受けられます。これは武士にとっての名誉ある疵とされ、単なる損傷ではなく、この刀が歩んできた歴史と実戦における信頼性を物語る貴重な資料として、愛刀家の間で珍重されています。 【鑑定】 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「重要刀剣」に指定されています。重要刀剣とは、特に保存状態が良く、資料的価値および芸術的価値が極めて高い名刀に対してのみ与えられる格付けです。これは「特別保存刀剣」の上位ランクであり、指定を受けるには厳格な審査を通過しなければなりません。現存する古刀の中でも重要刀剣に指定されるものは極めて稀であり、コレクターにとって垂涎の逸品と言えます。 ※棟(むね)の部分に僅かな錆が見られます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):73.2 cm 反り(Sori):2.7 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。赤錆を防ぐため、当時のままの黒錆が残されています。
大宮派は備前国長船に住したが、いわゆる長船正系ではなく、鎌倉期に山城国猪熊大宮から移住したと伝えられる。 この作は互の目やや逆がかる作風を示し、南北朝期をやや下る大宮盛景の作と鑑られる作で、地刃の出来がよい。
無銘 · Omiya · 室町 · 長さ 73.2cm · 反り 2.7cm






























大宮派は備前国長船に住したが、いわゆる長船正系ではなく、鎌倉期に山城国猪熊大宮から移住したと伝えられる。 この作は互の目やや逆がかる作風を示し、南北朝期をやや下る大宮盛景の作と鑑られる作で、地刃の出来がよい。
備前伝 · 備前 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
盛景の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在8点販売中
大宮派は、備前国長船の地に働きながら、その出自を京都山城に持つ点において他の備前鍛冶と趣を異にする一派である。説明書はこの一門を、もと山城国猪熊大宮の住人であった遠祖国盛に遡らせ、これが鎌倉時代の文応の頃に備前へ移り住んだと伝える。すなわち京の大宮の血が備前の地に根を下ろし、山城の精美な地鉄と備前の華やかな丁子乱れとを併せ呑んだところに、この一派の本質がある。初期の国盛・助盛の作は稀有で、一門が最も栄えるのは南北朝時代に入ってからであり、応安・貞治・永和・嘉慶の各年にわたり「備州長船盛景」などと長銘を切った盛景がその中心に立つ。説明書は「南北朝時代の同派中では盛景が最も作品が多く上手でもある」[[c:1]]と端的に記し、盛重がこれに続いて南北朝から室町へと一派を伝えた。 この一派を貫く手は、長船本流の丁子そのものではなく、山城の地を帯びた相伝備前の刃である。地鉄は肌立ちごころの板目に杢を交え、処々肌の開いた地に地沸細かにつき、地景入り地斑を交えて、その上に備前の乱れ映りが在銘無銘いずれにも立つ。地刃ともに沸の強い点が、本派における相伝備前の証と判ぜられる。刃文は小のたれを基とし、これに互の目、角ばる刃、尖りごころの刃を交え、足・葉よく入り、匂を主調に小沸つき、刃中に細かく砂流し・金筋がかかる。匂口は同時代長船一流の明るく華やかな刃に対して、やや沈みごころに傾くところに一派の気質があらわれる。なかでも尖りごころの刃は作域を越えて繰り返し現れ、長船本流の丁子主調と大宮の手とを分かつ静かな看どころとなる。作域は広く、のたれを主調とするもの、丁子や互の目の交じる華やかな乱れ刃、角互の目を主調とするもの、さらに青江風の直刃にまで及び、説明書は永和二年紀の盛景の太刀を「正に青江や雲類を想わせる直刃の作柄」[[c:2]]と評してその多彩を示す。帽子は乱れ込んで尖りごころまたは小丸に返り掃きかけ、彫物は棒樋から二筋樋、最上手の梵字・三鈷剣に及ぶ。盛重に至っては大宮派の特色が薄れ、末備前の長船と異ならぬ作も見え、これは一派が次第に長船派へ併呑されていったことを示すと読まれている。 鑑定の勘所は、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に長船嫡流との別を分かつことにある。明るい乱れ映りと沈みごころに丁子を交えた刃は、より広くおおどかな兼光の刃から本派を分かち、その近さの一方で長義一派の箱がかった大乱れとも異にする。とはいえ長義との近接は確かで、ある特別重要刀剣の刀の説明書は大宮派が兼光や長義に隠れがちであることを述べたうえで「作風は長義に似て並ぶ程である」[[c:3]]と記し、薙刀直しののたれが兼光ほどおおどかにならず裾野短く頭やや角ばる点をもって盛景の手を明示するとする。主要工の格は盛景を筆頭とし、藤代はこれを上々作に位置づけ、現存に最も時代の溯る鎌倉末期の在銘太刀は同名作と地刃を異にして資料的に頗る貴重とされる。なお近年、作風および逆鏨に切る銘字の共通性より、長銘の盛景はむしろ近景・義景に連なる長船傍系の工で、二字に太鏨大振りに銘を切る鍛冶こそが真の大宮鍛冶ではないかとする説が説明書に記され、一派の名そのものがなお研究に委ねられている。伝来は大名家のそれで、肥前鍋島家、上杉家、伊達家、松山藩久松松平家などに伝わり、一口は皇室の御物として記録される。在銘年紀の大宮盛景が世に出ることは時折に限られるが、現れればそれは、京の大宮の精美を備前の地に移し、相伝備前の第一線に身を置いたこの一派の手を、確かに伝える証である。 詳しく見る →
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
古美術日本刀 大刀 大宮盛景(伝) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 重要刀剣指定品 【解説】 本作は、南北朝時代中期から後期(14世紀中頃〜後半)にかけて備前国で栄えた大宮派を代表する名工、盛景の作と極められた一振りです。盛景の名は、延文(1356年)から室町時代の永享(1435年)頃まで四代にわたって受け継がれていますが、本作は日本美術刀剣保存協会の鑑定により、南北朝期よりやや下る室町初期頃の盛景(後代)の作と比定されています。 大宮派は、鎌倉時代末期の国盛を始祖と伝えています。伝承によれば、国盛はもともと山城国(現在の京都)猪熊大宮の地に住していましたが、後に備前国(現在の岡山県)大宮村へ移住し、一派を成したことから「大宮」の呼称がついたとされています。国盛の確実な有銘作が現存しないことから、実質的な開祖であり、同派で最も技量の優れた名手は、この初代盛景であると目されています。 大宮派は、備前長船派の巨匠・兼光らと同時期に活躍しました。この時代、力強い相州伝の特色と、洗練された備前伝の美を融合させた「相伝備前(そうでんびぜん)」と呼ばれる画期的な作風が確立されました。盛景をはじめとする大宮派の刀工たちは、この高度な技術を完璧に習得していたことで知られています。相伝備前の刀剣は、その強靭さと優美さを兼ね備えた姿から、当時の武士たちに極めて高く評価されました。 同派には盛景のほか、盛次や盛重といった名工がおり、一門の伝統として名に「盛」の字を冠するのが通例となっています。 【地鉄・刃文】 地鉄:板目細かにつみ、大肌交じる 板目肌が細かくよく詰んだ美しい地鉄に、大肌が交じり、力強い鍛えを見せています。 刃文:逆の目に小互の目丁子交じり、沸よくつき、砂流し・金筋入る 逆がかった互の目に小互の目や丁子が交じり、刃縁には沸(にえ)が厚くつきます。刃中には砂流しや金筋といった働きが盛んに入り、極めて変化に富んだ見事な乱れ刃を焼いています。 誉疵(ほまれきず) 本作には、実戦で用いられた証である「誉疵」が見受けられます。これは武士にとっての名誉ある疵とされ、単なる損傷ではなく、この刀が歩んできた歴史と実戦における信頼性を物語る貴重な資料として、愛刀家の間で珍重されています。 【鑑定】 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「重要刀剣」に指定されています。重要刀剣とは、特に保存状態が良く、資料的価値および芸術的価値が極めて高い名刀に対してのみ与えられる格付けです。これは「特別保存刀剣」の上位ランクであり、指定を受けるには厳格な審査を通過しなければなりません。現存する古刀の中でも重要刀剣に指定されるものは極めて稀であり、コレクターにとって垂涎の逸品と言えます。 ※棟(むね)の部分に僅かな錆が見られます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):73.2 cm 反り(Sori):2.7 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。赤錆を防ぐため、当時のままの黒錆が残されています。
大宮派は備前国長船に住したが、いわゆる長船正系ではなく、鎌倉期に山城国猪熊大宮から移住したと伝えられる。 この作は互の目やや逆がかる作風を示し、南北朝期をやや下る大宮盛景の作と鑑られる作で、地刃の出来がよい。
無銘 · Omiya · 室町 · 長さ 73.2cm · 反り 2.7cm






























大宮派は備前国長船に住したが、いわゆる長船正系ではなく、鎌倉期に山城国猪熊大宮から移住したと伝えられる。 この作は互の目やや逆がかる作風を示し、南北朝期をやや下る大宮盛景の作と鑑られる作で、地刃の出来がよい。
備前伝 · 備前 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
盛景の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在8点販売中
大宮派は、備前国長船の地に働きながら、その出自を京都山城に持つ点において他の備前鍛冶と趣を異にする一派である。説明書はこの一門を、もと山城国猪熊大宮の住人であった遠祖国盛に遡らせ、これが鎌倉時代の文応の頃に備前へ移り住んだと伝える。すなわち京の大宮の血が備前の地に根を下ろし、山城の精美な地鉄と備前の華やかな丁子乱れとを併せ呑んだところに、この一派の本質がある。初期の国盛・助盛の作は稀有で、一門が最も栄えるのは南北朝時代に入ってからであり、応安・貞治・永和・嘉慶の各年にわたり「備州長船盛景」などと長銘を切った盛景がその中心に立つ。説明書は「南北朝時代の同派中では盛景が最も作品が多く上手でもある」[[c:1]]と端的に記し、盛重がこれに続いて南北朝から室町へと一派を伝えた。 この一派を貫く手は、長船本流の丁子そのものではなく、山城の地を帯びた相伝備前の刃である。地鉄は肌立ちごころの板目に杢を交え、処々肌の開いた地に地沸細かにつき、地景入り地斑を交えて、その上に備前の乱れ映りが在銘無銘いずれにも立つ。地刃ともに沸の強い点が、本派における相伝備前の証と判ぜられる。刃文は小のたれを基とし、これに互の目、角ばる刃、尖りごころの刃を交え、足・葉よく入り、匂を主調に小沸つき、刃中に細かく砂流し・金筋がかかる。匂口は同時代長船一流の明るく華やかな刃に対して、やや沈みごころに傾くところに一派の気質があらわれる。なかでも尖りごころの刃は作域を越えて繰り返し現れ、長船本流の丁子主調と大宮の手とを分かつ静かな看どころとなる。作域は広く、のたれを主調とするもの、丁子や互の目の交じる華やかな乱れ刃、角互の目を主調とするもの、さらに青江風の直刃にまで及び、説明書は永和二年紀の盛景の太刀を「正に青江や雲類を想わせる直刃の作柄」[[c:2]]と評してその多彩を示す。帽子は乱れ込んで尖りごころまたは小丸に返り掃きかけ、彫物は棒樋から二筋樋、最上手の梵字・三鈷剣に及ぶ。盛重に至っては大宮派の特色が薄れ、末備前の長船と異ならぬ作も見え、これは一派が次第に長船派へ併呑されていったことを示すと読まれている。 鑑定の勘所は、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に長船嫡流との別を分かつことにある。明るい乱れ映りと沈みごころに丁子を交えた刃は、より広くおおどかな兼光の刃から本派を分かち、その近さの一方で長義一派の箱がかった大乱れとも異にする。とはいえ長義との近接は確かで、ある特別重要刀剣の刀の説明書は大宮派が兼光や長義に隠れがちであることを述べたうえで「作風は長義に似て並ぶ程である」[[c:3]]と記し、薙刀直しののたれが兼光ほどおおどかにならず裾野短く頭やや角ばる点をもって盛景の手を明示するとする。主要工の格は盛景を筆頭とし、藤代はこれを上々作に位置づけ、現存に最も時代の溯る鎌倉末期の在銘太刀は同名作と地刃を異にして資料的に頗る貴重とされる。なお近年、作風および逆鏨に切る銘字の共通性より、長銘の盛景はむしろ近景・義景に連なる長船傍系の工で、二字に太鏨大振りに銘を切る鍛冶こそが真の大宮鍛冶ではないかとする説が説明書に記され、一派の名そのものがなお研究に委ねられている。伝来は大名家のそれで、肥前鍋島家、上杉家、伊達家、松山藩久松松平家などに伝わり、一口は皇室の御物として記録される。在銘年紀の大宮盛景が世に出ることは時折に限られるが、現れればそれは、京の大宮の精美を備前の地に移し、相伝備前の第一線に身を置いたこの一派の手を、確かに伝える証である。 詳しく見る →
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.