鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 保存刀装具 [N.B.T.H.K] Hozon Tousougu 江戸時代、細川家抱え工として活躍した西垣勘平の保存刀装具指定作品。西垣派は、平田彦三門人であった初代西垣勘四郎より創業され、林 、平田、志水家と共に細川家抱工として肥後金工群の主流を形成した。一般には、春日(木)派が精巧であるのに対して、西垣派は雅趣があると云われる。おおらかな肉取りで耳際が切羽台よりやや低くなって碁石形をしているのが、肥後鐔中ではこの一派だけに見られる。西垣勘平は寛永頃に初代勘四郎の次男として生まれた。実兄の二代勘四郎とは別家をたてて鉄の透鐔を専らに製作し、享保年間(1720年頃)に八十歳近い年齢で没したと云う。肥後高麗門住。勘平の作は初二代勘四郎の雅趣とも優美とも異なって概して固いと云われるが、よく初代勘四郎の風を襲っており、鉄物の透能を得意として手際がよい。地透に毛彫あるいは枯木象嵌を施す作風で「西垣勘平作」あるいは「勘平作」と切羽台裏右側に刻銘した作が多く、晩年には行年銘を入れている(六十二歳から七十五歳まで現存)落ち着いた艶の黒紫錆色を呈した障泥形鉄磨地に、毛彫を添えた地透で梅・松・桜を意匠し、耳の内側を雪輪にしている。増鏡や太平記をもとにした謡曲「鉢木」の画題で、大雪の晩に執 権北条時頼を松・梅・桜の三鉢の盆栽を薪にしてもてなした佐野源左衛門常世の心がけを表現している。北条時頼記が人気を博した江戸期の時代背景と理解される。肥後金工大鑑所載の鉢木透図鐔(無銘勘平、黒川古文化研究所蔵、p.243) とは同図同形で符号している。切羽台表側に西垣勘平と六十二歳是作が刻銘され、管見の限りでは行年銘の最初期作として史料的価値が高い。恐らく元禄(1688-1704)期頃の製作と推定される。精良な地鉄、細やかな質感の錆色、穏やかな平肉の働き、梅松桜の透かしの圭角、即興な毛彫の鏨跡など、勘平らしい作風が堪能できる。勘四郎に比べて雅味に乏しいと云われる勘平だが、透かしの構成に纏まりがあって秀逸な作品に仕上がっている。






勘平
江戸
肥後
在銘
保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在3点販売中
肥後 · 肥後
現在38点販売中
西垣派は、林・平田・志水と並ぶ肥後金工四大流派の一つである。祖の初代西垣勘四郎(吉弘)は慶長十八年(一六一三)、豊前国中津に神官の子として生まれ、平田彦三の門人となり相伝免許を得て独立開業した。細川家の抱え工として細川三斎忠興より二十人扶持を支給され、寛永九年十二月に主家の移封に随従して肥後国八代に転住、のち熊本の職人町に居を構えている。林又七とは同年配であり、素材・作風が似通う点もあることから、「君子の風格をもつ」[[c:1]]と言われる又七に対し、勘四郎は「高士の風雅をもつ」[[c:2]]と対比されてきた。利休七哲の一人として茶道にも造詣の深かった三斎の薫陶を受け、茶の美に通じる風韻を鐔の上に表現したのが西垣派の本質である。勘四郎は元禄六年(一六九三)六月、八十一歳で同地に没した。 初代勘四郎の作域は鉄地の地透鐔を中核とし、投桐(踊桐・二枚桐とも称される、草体の花桐文を図案化した透彫)を最も得意とした。菊花形・老松・枝桐・海鼠など肥後の掟物にも多彩な趣向を凝らしている。説示が繰り返し指摘する西垣の鑑定要点は、林に比してやや優しい彫口、葉脈の毛彫の線が細く賑やかなこと、耳の内側が菊花状となる特色、そして形に撓みをもたせた不整形で下張れの障泥形が多い点である。肉置きに工夫があり、陰陽透の構図——すなわち外形と地透の内側を異なる花形に取り合わせる手法——は勘四郎が殊に得意としたものと評される。鉄地は柔らかみのある地がねで、錆色はいわゆる「羊羹色」を呈し、その潤いと質感は肥後特有のものとされる。鉄以外にも師・平田彦三と同じく素銅地や真鍮地を使用し、漆仕立の作も存在する。二代勘四郎(永久、吉当とも称す。寛永十六年生、享保二年七十九歳没)は初代の長子で、弟に勘平がいる。後藤家七代顕乗に学んだとされ、象嵌技術に長じ、真鍮や素銅地に巧みな象嵌を駆使した作品に本領を見る。初代が全て無銘であるのに対し、二代には「西垣勘四郎永久」銘や「西垣永久 七十歳作之」[[c:3]]の在銘作が遺る。その作域は鐔にとどまらず、縁頭・小柄・目貫にも及んでいる。 西垣派の鐔は、細川流茶道の「わびの美」を鐔上に結晶させたものとして高く評される。初代勘四郎の鉄透鐔は、故意の歪みと不均衡の妙、柔らかな地がねの鉄味、空間の余情によって、静かに豊かな雅趣を醸し出す。その代表的名品として、二代永久の重要美術品「田毎の月図鐔」は赤銅・四分一・銅・朱銅など多くの色金を駆使し、畦に区切られた田面ごとに映る月影を細い金象嵌で変化させた傑作であり、認定時は細川護立の所蔵、現在は永青文庫に伝わる。細川家の家紋・九曜紋に唐草を配し同家の永遠の繁栄を祈願した意匠や、『延喜式』の祥瑞に取材した「白兎は月の精でその寿は千歳」[[c:4]]の四兎図鐔など、西垣派の作品は藩主家の美意識と深く結びついている。華美と濃厚を避け、地味の中に垢ぬけした雅味を求めるという肥後拵の精神を、初代の風雅と二代の巧緻とが相補い、脈々と伝えた一派である。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 保存刀装具 [N.B.T.H.K] Hozon Tousougu 江戸時代、細川家抱え工として活躍した西垣勘平の保存刀装具指定作品。西垣派は、平田彦三門人であった初代西垣勘四郎より創業され、林 、平田、志水家と共に細川家抱工として肥後金工群の主流を形成した。一般には、春日(木)派が精巧であるのに対して、西垣派は雅趣があると云われる。おおらかな肉取りで耳際が切羽台よりやや低くなって碁石形をしているのが、肥後鐔中ではこの一派だけに見られる。西垣勘平は寛永頃に初代勘四郎の次男として生まれた。実兄の二代勘四郎とは別家をたてて鉄の透鐔を専らに製作し、享保年間(1720年頃)に八十歳近い年齢で没したと云う。肥後高麗門住。勘平の作は初二代勘四郎の雅趣とも優美とも異なって概して固いと云われるが、よく初代勘四郎の風を襲っており、鉄物の透能を得意として手際がよい。地透に毛彫あるいは枯木象嵌を施す作風で「西垣勘平作」あるいは「勘平作」と切羽台裏右側に刻銘した作が多く、晩年には行年銘を入れている(六十二歳から七十五歳まで現存)落ち着いた艶の黒紫錆色を呈した障泥形鉄磨地に、毛彫を添えた地透で梅・松・桜を意匠し、耳の内側を雪輪にしている。増鏡や太平記をもとにした謡曲「鉢木」の画題で、大雪の晩に執 権北条時頼を松・梅・桜の三鉢の盆栽を薪にしてもてなした佐野源左衛門常世の心がけを表現している。北条時頼記が人気を博した江戸期の時代背景と理解される。肥後金工大鑑所載の鉢木透図鐔(無銘勘平、黒川古文化研究所蔵、p.243) とは同図同形で符号している。切羽台表側に西垣勘平と六十二歳是作が刻銘され、管見の限りでは行年銘の最初期作として史料的価値が高い。恐らく元禄(1688-1704)期頃の製作と推定される。精良な地鉄、細やかな質感の錆色、穏やかな平肉の働き、梅松桜の透かしの圭角、即興な毛彫の鏨跡など、勘平らしい作風が堪能できる。勘四郎に比べて雅味に乏しいと云われる勘平だが、透かしの構成に纏まりがあって秀逸な作品に仕上がっている。






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西垣派は、林・平田・志水と並ぶ肥後金工四大流派の一つである。祖の初代西垣勘四郎(吉弘)は慶長十八年(一六一三)、豊前国中津に神官の子として生まれ、平田彦三の門人となり相伝免許を得て独立開業した。細川家の抱え工として細川三斎忠興より二十人扶持を支給され、寛永九年十二月に主家の移封に随従して肥後国八代に転住、のち熊本の職人町に居を構えている。林又七とは同年配であり、素材・作風が似通う点もあることから、「君子の風格をもつ」[[c:1]]と言われる又七に対し、勘四郎は「高士の風雅をもつ」[[c:2]]と対比されてきた。利休七哲の一人として茶道にも造詣の深かった三斎の薫陶を受け、茶の美に通じる風韻を鐔の上に表現したのが西垣派の本質である。勘四郎は元禄六年(一六九三)六月、八十一歳で同地に没した。 初代勘四郎の作域は鉄地の地透鐔を中核とし、投桐(踊桐・二枚桐とも称される、草体の花桐文を図案化した透彫)を最も得意とした。菊花形・老松・枝桐・海鼠など肥後の掟物にも多彩な趣向を凝らしている。説示が繰り返し指摘する西垣の鑑定要点は、林に比してやや優しい彫口、葉脈の毛彫の線が細く賑やかなこと、耳の内側が菊花状となる特色、そして形に撓みをもたせた不整形で下張れの障泥形が多い点である。肉置きに工夫があり、陰陽透の構図——すなわち外形と地透の内側を異なる花形に取り合わせる手法——は勘四郎が殊に得意としたものと評される。鉄地は柔らかみのある地がねで、錆色はいわゆる「羊羹色」を呈し、その潤いと質感は肥後特有のものとされる。鉄以外にも師・平田彦三と同じく素銅地や真鍮地を使用し、漆仕立の作も存在する。二代勘四郎(永久、吉当とも称す。寛永十六年生、享保二年七十九歳没)は初代の長子で、弟に勘平がいる。後藤家七代顕乗に学んだとされ、象嵌技術に長じ、真鍮や素銅地に巧みな象嵌を駆使した作品に本領を見る。初代が全て無銘であるのに対し、二代には「西垣勘四郎永久」銘や「西垣永久 七十歳作之」[[c:3]]の在銘作が遺る。その作域は鐔にとどまらず、縁頭・小柄・目貫にも及んでいる。 西垣派の鐔は、細川流茶道の「わびの美」を鐔上に結晶させたものとして高く評される。初代勘四郎の鉄透鐔は、故意の歪みと不均衡の妙、柔らかな地がねの鉄味、空間の余情によって、静かに豊かな雅趣を醸し出す。その代表的名品として、二代永久の重要美術品「田毎の月図鐔」は赤銅・四分一・銅・朱銅など多くの色金を駆使し、畦に区切られた田面ごとに映る月影を細い金象嵌で変化させた傑作であり、認定時は細川護立の所蔵、現在は永青文庫に伝わる。細川家の家紋・九曜紋に唐草を配し同家の永遠の繁栄を祈願した意匠や、『延喜式』の祥瑞に取材した「白兎は月の精でその寿は千歳」[[c:4]]の四兎図鐔など、西垣派の作品は藩主家の美意識と深く結びついている。華美と濃厚を避け、地味の中に垢ぬけした雅味を求めるという肥後拵の精神を、初代の風雅と二代の巧緻とが相補い、脈々と伝えた一派である。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません