説明

日本刀 備前国住長船清光(永禄九年八月日) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣 【解説】 本作は、室町時代末期の永禄九年(1566年)八月に「備前国住長船清光」によって打たれた短刀です。清光の名は数代にわたって受け継がれていますが、製作年より、五郎左衛門清光の子である二代清光の作と推測されます。 銘にある「備前国」は、作者が当時、現在の岡山県にあたる備前国に居住していたことを示しています。当時の刀工が銘の冠に居住地を刻むのは一般的な慣習であり、清光は名門・備前長船派を代表する工の一人です。 室町時代末期(1492年〜1569年頃)に備前国で活躍した刀工たちは、後世「末備前」と呼称されます。清光はその中でも最も著名な名跡であり、長船派の正系として代々その名が継承されました。 室町時代は戦国時代の只中にあり、有力な戦国大名たちの間で武器としての刀剣需要が極めて高まった時期です。本作のような戦国乱世の真っ只中に鍛えられた一振りは、当時の武将たちの覇気を感じさせ、上級武士による注文品であった可能性も十分に考えられます。 【備前長船派の歴史】 長船派は、鎌倉時代中期の光忠を始祖とすると伝えられています。備前国における諸流派の中でも最大の勢力を誇り、時の権力者や高名な武士から数多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士の間で深く愛好されました。 同派からは、長光、真長、景光の「長船三作」をはじめ、長光、兼光、長義、元重の「長船四天王」など、日本刀の歴史に名を刻む名工を数多く輩出しています。 備前国は中国山地に近く、刀剣の主原料である良質な砂鉄が豊富に産出されました。さらに吉井川の流域に位置したことで、作刀に不可欠な水や炭の確保にも恵まれていました。こうした地政学的な利点が、高品質な刀剣の量産と洗練を可能にしたのです。備前の作刀の歴史は古く、平安時代末期には「古備前」と呼ばれる一派が登場し、その伝統と技術を継承することで、鎌倉中期以降の長船派の隆盛へと繋がりました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い貴重な真作であることを証明するものです。 【刀身】 長さ(Nagasa):27.5 cm 反り(Sori):0.1 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に「黒錆」を残します。この経年による錆色(朽ち込み)は、専門家が製作年代を特定する上での重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などで構成される刀剣の外装。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられる一対の意匠を凝らした金具。

Antique Japanese Sword Tanto Signed by Osafune Kiyomitsu NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Tanto Signed by Osafune Kiyomitsu NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

短刀

$6,077

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

27.5 cm

反り

0.1 cm

流派について

Kiyomitsu School清光派

清光は、室町時代後期の備前長船の地に興った一群の刀工である。説示が繰り返し述べるとおり、室町時代末期の備前長船鍛冶およびその作刀を汎称して末備前と呼び、清光はその中にあって祐定と並んで作品の多い名跡として位置づけられる。清光を名乗る刀工は数多く、五郎左衛門尉、孫右衛門尉、与三左衛門尉、彦兵衛尉、孫兵衛尉などの俗名を有する工の存在が認められ、早見出では十人を挙げるとも記す。中でも五郎左衛門尉と孫右衛門尉清光の両名が上工、筆頭格として知られ、銘鑑に所載されぬ治衛門尉清光のような例も遺存して、その欠を補う資料として貴重とされる。作刀地は備前長船を本拠とするが、播州龍野の城下で打った一口や、備前の守護代浦上宗景のために天神山で製作した作も伝わり、戦国期における一派の動向を伝えている。 作風について、説示が記す共通の語法はおおむね一定している。鍛えは小板目肌がつみ、小杢目あるいは杢目を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、淡く映りが立つ。ただし清光は他工に比して板目に杢が交じってやや肌立つ傾向のものが多く、それが一派の見どころともされる。刃文は二様に分かれ、一つは清光家の看板とも称される広直刃で、これに小互の目・小足・葉を交え、匂口締まりごころに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかって明るく冴える。直刃の名手としては末備前中で忠光・祐定にも見られる作風だが、清光はとりわけ広直刃に葉の入った作を代表作とする。いま一つは腰の開いた互の目乱れで、小丁子・蟹の爪風の刃・角張る刃・尖りごころの刃などを交え、足・葉がさかんに入り、処々に湯走りや小さな飛焼を交える。さらに棟焼がさかんにかかって皆焼となる作もあり、その場合は重ねが薄くなるのが見どころとされる。姿は身幅広く、元先の幅差さまで目立たず、重ね厚く踏張りがあり、先反りの目立つ中鋒延びごころの打刀姿で、室町時代末期特有の体配を示す。同じ末備前でも数打物が多い中、俗名を銘した上工の作には肌目のつんだ精良な鍛えと匂口の冴えが備わる点で見分けられる。 伝承と鑑定の要点としては、俗名のない作でも銘振りから五郎左衛門尉と鑑せられる例が説示に明記され、銘の位置や鏨の太細、年紀の所在が手がかりとなる。評は、地刃ともに覇気を感じ取れること、匂口が明るく冴えること、肉置きが豊かで手持ちのずっしりと重い頑健な刀姿が豪壮である点に集まる。代表作としては、五郎左衛門尉の広直刃に葉のさかんに入った天文・弘治・永禄紀の打刀、互の目乱れの典型作、皆焼を焼いた龍野城下作、孫右衛門尉の広直刃および腰の開いた互の目乱れの代表作などが挙げられる。伝来の知られる一口に忍の松平家伝来の作があり、浦上宗景の注文銘を持つ作も複数伝わる。総じて清光は、直刃を本領としつつ互の目乱れや皆焼にまで及ぶ広い作域をもち、祐定と並んで末備前を代表する名跡として位置づけられる。

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