二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
骨董日本刀 脇差 銘:近江守藤原継広 延宝八年五月日 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、延宝八年(1680年)五月に越前下坂派の刀工、近江守藤原継広(おうみのかみふじわらつぐひろ)によって制作された一振りです。継広は寛文年間(1661-1673年)頃から特に活躍した名工で、本国である越前国(現在の福井県)のみならず、江戸や近江国(現在の滋賀県)でも作刀を行いました。その作域の広さは、当時の武士階級からの需要の高さと人気の証と言えます。彼は越前下坂派の長である三代越前康継の門人として知られ、その優れた技量により、朝廷より「近江守」の受領名を授かりました。 下坂派について 越前下坂派の祖は、初代康継とされています。初代康継は室町時代末期(16世紀後半)に近江国下坂に生まれ、慶長初期まで同地で活動していましたが、主君の転封に伴い越前国へ移住しました。その後、徳川家康の三男であり、江戸幕府開府初期の越前藩主であった結城秀康の知遇を得ます。 秀康の庇護のもと、初代康継は越前下坂派を確立し、その名は全国に轟きました。秀康の推挙により、初代康継は徳川将軍家の御抱え鍛冶となり、家康・秀忠の両大御所および将軍から厚い信頼を寄せられました。 初代康継は家康より「康」の一字を賜って名を改め、さらに茎(なかご)に徳川家の家紋である「葵紋」を切ることを許されました。同派は江戸時代を通じて繁栄し、多くの名工を輩出しました。継広の師である三代康継は、その正統な後継者にあたります。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値の高い真作の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※本作には数箇所、鍛え傷(きたえきず)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):58.9 cm 反り(Sori):0.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文・地肌(Jimon/Jihada):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この経年による錆色は、専門家が作刀年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、山水画の意匠の中に一人の漁夫が描かれています。東アジアの伝統的な山水画において、漁夫は文人墨客が憧れる象徴的な存在です。それは古代中国の詩『漁父辞』に触発された「俗世の制約からの解放」や、世に隠れた賢者の知恵を象徴しています。
取扱店 サムライミュージアム


























越前 · 1661-1673頃
藤代 中上作 · 刀剣大鑑 上位60%
現在6点販売中
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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