説明

古美術 刀剣 太刀:伝 高田時行(特別保存刀剣鑑定書付) 【解説】 概要 本作は、南北朝時代中期(応安頃:1368-1375年)に活躍した高田時行の作と伝わる一振りです。時行は高田派に属し、同派は南北朝時代(建武頃:1334-1338年)に時行の父である高田友行が大分県高田の地で興しました。友行は備前国(現在の岡山県)へ渡って備前伝の作刀技術を修めた後、故郷に戻り門弟を育成しました。これが高田派の始まりです。江戸時代以前に高田で打たれたものは「平高田」、江戸時代以降のものは「藤原高田」と呼ばれますが、特に室町時代以前の作は「古高田」と分類され、時行の作品はこの古高田にあたります。 古来、九州地方はアジア諸国との交易の歴史が長く、作刀が盛んな土地でした。交易の利権を巡る諸大名の抗争が絶えなかったことから、高田派はこれら武将たちの需要に応え、大いに繁栄しました。また、高田近郊の祖母傾山系は良質な砂鉄や木炭などの原料が豊富であったことも、同派が地理的優位性を活かして発展した要因と考えられています。 太刀(たち)とは 本作は、その体配や特徴から、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「太刀」として鑑定されています。 太刀は平安時代から室町時代初期にかけて発展した様式で、主に甲冑を着用した武士が騎馬戦で用いるためのものでした。深い反りと比較的長い刀身は、馬上から振り下ろす際に威力を発揮するよう設計されており、当時の戦闘様式を色濃く反映しています。 太刀は刃を下に向けて腰から吊るす「佩用(はいよう)」という形で装着されます。この装着法は、馬上から地上にいる敵を素早く抜き放ち、そのまま斬りつける動作に適していました。 鎌倉時代から南北朝時代にかけて、太刀は武士の主力兵器となりました。戦場での実用性のみならず、権威や地位の象徴としても重んじられ、武士のエリート層の威信とアイデンティティを象徴する存在でもありました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値の高い真作の日本刀に対してのみ授与されるものです。 ※刀身には経年による鍛え傷および微細な零れ(こぼれ)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):69.7 cm 反り(Sori):1.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この茎の錆色は長い年月をかけて形成されるもので、専門家が作刀年代を推定する際の重要な指標となります。 拵(Koshirae):刀の外装。鞘、柄、鍔などの諸部品で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭の意匠は「龍」であり、赤銅地に四分一などの色金を用いた意匠が施されています。

Antique Japanese Sword Tachi Attributed to Den Takada Tokiyuki NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate
Tokuho

Antique Japanese Sword Tachi Attributed to Den Takada Tokiyuki NBTHK Tokubetsu Hozon Certificate

太刀

$7,131

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

69.7 cm

反り

1.5 cm

流派について

Takada School高田派

豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。

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