説明

古美術 刀剣 太刀 銘 備州長船基弘 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、備前国(現在の岡山県)にて応安三年(1370年)十月に制作された、備州長船基弘による太刀です。基弘は南北朝時代中期から後期にかけて活躍した長船派の刀工です。 備前長船派の歴史 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖と伝えます。備前国において最大の流派であり、時の権力者や高名な武将から数多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士の間で広く愛用されました。 同派の中でも、長光・真長・景光の三名は「長船三作」として特に名高く、また長光・兼光・長義・元重の四名は「長船四天王」と称される名工です。 備前国は中国山地に近く、刀剣制作に不可欠な原料である良質な砂鉄が豊富に産出されました。さらに吉井川の流域に位置し、水や炭の確保にも適した地勢であったことが、高品質な刀剣の量産を可能にしました。備前伝の源流は平安時代末期の「古備前」に遡り、その伝統と高度な技術を継承した長船派は、鎌倉中期以降、空前の繁栄を極めました。 太刀とは 本作は銘の位置から、日本美術刀剣保存協会により「太刀」として鑑定されています。 太刀は平安時代から室町時代初期にかけて主流となった様式で、主に騎馬戦を想定して制作されました。深い反りと長寸な姿は、馬上で鎧を纏った敵を斬り下ろすのに適した形状となっています。 佩用(はいよう)の際は、刃を下に向けて腰から吊るす「履き」のスタイルをとります。これにより、抜刀から攻撃へと淀みなく移行することが可能でした。鎌倉から南北朝時代にかけて、太刀は武士の主力武器であると同時に、その権威と地位を象徴する格調高い存在でもありました。 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に認定されています。これは、美術品として価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀であることを証明するものです。 ※本作には数箇所、目立つ鍛え傷(きたえきず)がございます。詳細な写真や状態に関する情報をご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 刃長(長さ):62.7 cm(二尺七分) 反り:1.9 cm(六分強) 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(地鉄):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる持ち手部分 (日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に生じる黒錆をあえて残します。この茎の朽ち込みや錆色は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。)

Nanbokucho Antique Tachi signed by Osafune Motohiro for sale

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太刀

$6,511

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

62.7 cm

反り

1.9 cm

流派について

Osafune School長船派

1 重要文化財

備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。

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