江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣鑑定書付:近江守藤原継平 刀 【解説】 概要 本作は江戸時代前期から中期にかけて、越前下坂(現在の福井県)で活躍した近江守藤原継平(おうみのかみ ふじわら つぐひら)による銘入りの刀です。継平の名は数代続きますが、二代目以降は江戸へ移住しています。作風や銘振りから、本作は初代継平の手によるものと推測されます。 初代近江守藤原継平は、越前下坂派の三代康継の門人であり、本名を藤田興兵衛と称しました。師である三代康継が江戸へ召し抱えられた際、それに従って江戸へ移ったと伝えられています。 二代継平について 歴代の継平の中でも、二代目は特に著名な人物です。彼は徳川将軍家に伝来する名刀を自ら写し取った『継平押形』を著しました。八代将軍・徳川吉宗よりこの本の出版を許されたという事実は、二代継平がいかに徳川家から厚い信頼を寄せられていた名工であったかを物語っています。 越前下坂派 越前下坂派の祖は、初代康継とされています。彼は室町時代末期に近江国下坂(現在の滋賀県)で生まれ、慶長年間(1596年〜)の初め頃まで同地で活動していました。その後、主君の転封に伴い越前国へ移り、徳川家康の次男である結城秀康の知遇を得ます。 江戸時代初期、越前北荘藩主であった秀康の庇護のもと、初代康継は越前下坂派を確立し、その名は全国に轟きました。秀康の推挙により、初代康継は徳川将軍家の御抱工となり、家康・秀忠の両大御所からも高く評価されました。 初代康継は徳川家康より「康」の一字を賜って名を改め、さらに茎(なかご)に徳川家の家紋である「葵紋」を切ることを許されました。同派は江戸時代を通じて繁栄し、多くの優れた門人を輩出しました。 越前国 越前国は、実用性に富んだ鋭い切れ味を誇る刀剣の産地として知られていました。江戸時代を通じて、徳川幕府からも多くの注文がこの地の刀工たちへ寄せられました。 本作は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術的価値の高い本物の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身にはわずかな鍛え傷および薄い黒錆が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):66.2 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で折り返し重ねることで現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手にあたる部分。 日本刀の茎には、赤い錆を防ぐために意図的に黒錆(古色)が残されています。この茎の経年変化は、専門家が製作年代を推定する上での重要な指標となります。 拵(Koshirae):日本刀の外装。鞘、柄、鍔などの諸金具で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira)


























新刀 · 越前
現在55点販売中
茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
保存刀剣鑑定書付:近江守藤原継平 刀 【解説】 概要 本作は江戸時代前期から中期にかけて、越前下坂(現在の福井県)で活躍した近江守藤原継平(おうみのかみ ふじわら つぐひら)による銘入りの刀です。継平の名は数代続きますが、二代目以降は江戸へ移住しています。作風や銘振りから、本作は初代継平の手によるものと推測されます。 初代近江守藤原継平は、越前下坂派の三代康継の門人であり、本名を藤田興兵衛と称しました。師である三代康継が江戸へ召し抱えられた際、それに従って江戸へ移ったと伝えられています。 二代継平について 歴代の継平の中でも、二代目は特に著名な人物です。彼は徳川将軍家に伝来する名刀を自ら写し取った『継平押形』を著しました。八代将軍・徳川吉宗よりこの本の出版を許されたという事実は、二代継平がいかに徳川家から厚い信頼を寄せられていた名工であったかを物語っています。 越前下坂派 越前下坂派の祖は、初代康継とされています。彼は室町時代末期に近江国下坂(現在の滋賀県)で生まれ、慶長年間(1596年〜)の初め頃まで同地で活動していました。その後、主君の転封に伴い越前国へ移り、徳川家康の次男である結城秀康の知遇を得ます。 江戸時代初期、越前北荘藩主であった秀康の庇護のもと、初代康継は越前下坂派を確立し、その名は全国に轟きました。秀康の推挙により、初代康継は徳川将軍家の御抱工となり、家康・秀忠の両大御所からも高く評価されました。 初代康継は徳川家康より「康」の一字を賜って名を改め、さらに茎(なかご)に徳川家の家紋である「葵紋」を切ることを許されました。同派は江戸時代を通じて繁栄し、多くの優れた門人を輩出しました。 越前国 越前国は、実用性に富んだ鋭い切れ味を誇る刀剣の産地として知られていました。江戸時代を通じて、徳川幕府からも多くの注文がこの地の刀工たちへ寄せられました。 本作は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術的価値の高い本物の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身にはわずかな鍛え傷および薄い黒錆が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):66.2 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で折り返し重ねることで現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手にあたる部分。 日本刀の茎には、赤い錆を防ぐために意図的に黒錆(古色)が残されています。この茎の経年変化は、専門家が製作年代を推定する上での重要な指標となります。 拵(Koshirae):日本刀の外装。鞘、柄、鍔などの諸金具で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira)


























新刀 · 越前
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茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.