杉浦乗意は、元禄十四年(一七〇一)に生まれ、信州松本の人で江戸に出て奈良利治門の寿永に学んだと伝えられる。通称を初め太七といい、後に仙右衛門、永春という。一蚕堂と号し、利寿、安親と並んで奈良三作と称せられた名工として名声を博し、宝暦十一年(一七六一)に六十一歳で歿した。利寿同様奈良派の作風を行う。
乗意の作では小柄の作品が多く、彼独特の肉合彫という新技術を駆使し、象嵌や色絵をあまり施さずに鏨の力量のみで意匠を彫り上げたものに傑作が多い。作風は朧銀磨地を地金とし、肉合彫を駆使して人物や故事、動物などを題材とした作品を多く残している。その彫技は、僅かな高低差を活かした肉合彫により対象の表情を豊かに表出し、臨場感溢れる作風を特徴とする。また、高彫、象嵌色絵の手法を用いた作品も遺されており、真鍮や素銅を地金とし、高彫のなめらかさ、強弱の毛彫に的確な象嵌色絵を施し、鏨の勢いをもって対象を大胆に捉え表現するところに、乗意ならではの力量が認められる。鐔においては、鉄地を地金とし、平肉を薄く盛り上げて切羽周辺を落とし、鐔全体の肉置きをふっくらと豊かに見せた作が見られる。雪花透唐子雪遊図鐔のように、雪華の透しで櫃孔を仕立てるなど、意匠に工夫を凝らした作もある。
乗意の作品は、その卓越した彫技と独創的な意匠により高く評価されている。特に肉合彫においては、他工に見られない独自の境地を開き、奈良三作の一人として名を連ねるに相応しい力量を示している。重要刀装具に指定されている児落獅子図小柄は、乗意の独壇場ともいえる見事な肉合彫を駆使して、千尋の谷に我が子を投げ込む獅子の姿を彫り上げたもので、落下しつつある児獅子の力強さや、崖の上で見守る親獅子の表情に児獅子を気遣う様子が感じられ、臨場感が溢れている。また、蝦蟇鉄拐仙人鐔は、鉄磨地に蝦蟇仙人と鉄拐仙人を卓越した肉合彫にて彫りあげ、僅かな高低差を駆使した肉合は乗意の独壇場であり、金象嵌の配置も見事である。乗意の鐔は非常に稀少であり、且つ優れた作品で両仙人の表情が実に素晴らしい。これらの作品は、乗意の技術の高さを示すとともに、刀装具の世界に新たな表現をもたらした点においても高く評価されている。