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概要·鑑定·指定·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 法城寺
  3. 永國

Hojoji Nagakuni

永國

重要
巻 47, 番 176 · 刀

Hojoji Nagakuni

永國

評価作品4点

国肥後時代Kanbun (1661–1673)時代区分江戸流派Hojoji伝法相州伝藤代Jo saku刀工大鑑350(上位49%)種別刀工コードNAG33
4重要刀剣

概要

河内守源永国は、寛文八年(一六六八)に一刀を銘し、裏に古賀次左衛門久友による弐つ胴の截断切付銘を伴う。説明書はこれを永国の代表作とも称すべきものとし、地刃の出来が極めて優れていると記す。本工は寛文期の新刀工で、越前に寛永十年(一六三三)頃生まれたといい、その生年は、寛文八年に三十六歳の作と銘した遺作より逆算して定められる。江戸で法城寺国正門とも肥後守吉次門とも伝えられて修業し、のち肥後熊本で鍛刀し、一刀には鍛刀地を記す駐鎚銘を留める。藤代の極めは上作である。通説は本工を法城寺一門に列ね、その校名のもとに収めるが、説明書自身はその師について確言を控える。

本工の典型は、説明書が「典型的な寛文新刀の姿恰好を呈しており」と称する刃である。小板目つみの地に、直ぐに焼き出し、その上を直刃調に互の目連れて交じり、この連なる互の目を刃の一定の軸とする。足太くよく入り、匂深く、沸つき、砂流し・金筋刃中を走り、匂口明るく、帽子は大丸風に返り先掃きかける。説明書はこの匂深く匂口明るい作柄を、一見、上総介兼重や法城寺吉次あたりの作柄を想わせるとし、彼の立つ江戸の名工に比する一方、その一刀を地刃の出来が長曽祢虎徹の一門に迫るものと判ずる。

地鉄は精緻な見どころである。鍛えは小板目よくつみ、優作では杢を交え、地沸微塵に厚くつき地景細かによく入る地で、説明書がとりわけ精良と判じ、優作が虎徹に比される拠りどころである。その地に焼く直刃基調の刃は、静かな刃にとどまらない。最も豊かな遺作では、下半は互の目連れて乱れ小足さかんに入り、上半は互の目に小のたれ・小互の目・尖りごころの刃を交え、葉入り、処々に湯走り・飛焼を交え、金筋・沸筋よく入り、帽子は大丸に長く返る。なかでも砂流しと匂深が、その小さな現存作を通じて、直刃と互の目を平板に見せぬ。

本工の作は一つの手の二様に分かれる。第一は右に述べた寛文の典型、直刃の焼出しより連なる互の目へ、匂深く匂口明るい手で、説明書はこれを典型的な寛文新刀とし、兼重・吉次に通うものとみる。第二は精緻な晩年の手で、最優の遺作にみられ、乱れがいよいよ豊かに湯走り・飛焼を加える。この一刀について説明書は「常々の同工の作に比して、一際匂深で、小沸が厚くつき、刃中も働いて、匂口が明るい点が特筆され」と記す。作は鎬造・庵棟、反り浅く元先の幅差つき中鋒つまる寛文の体配を常とするが、一口の特異な脇指は表を切刃造、裏を鎬造に造り込み、幅広大鋒を呈して、同時代の江戸物に通う造込みとされる。指定の四口はいずれも生ぶ茎に在銘で、茎の鑢のかけ出しが徐々に深くなって大筋違となり、六字または七字の銘を切り、うち一口に長銘と金象嵌截断銘をみる。

本工を分かつものは、遠い他派にではなく江戸の地のうちに論じられる。通説は本工を法城寺一門とするが、説明書は、連なる互の目、互の目に交える小のたれ、厚くつく小沸、そして大筋違となる茎の鑢を大和守安定を想わせるものと読み、「或は永国は安定一門の刀工とも思われる」とまで述べて、その適否を今後の研究に俟つとする。本工自身の徴は、連なる互の目の下の直刃基調、砂流しに乗る匂深、晩年の地の細かな地景、説明書が立ち返る明るい匂口にある。肥後への移住は自らの鉄に記される。彼は熊本で南蛮鉄を用いて鍛刀し、説明書はこれを「おそらく、熊本藩主細川家からの招きによるものであろう」と推す。その交流は、彼が幼少の頃に歿した宮本武蔵にではなく、武蔵の弟子村上正雄・寺尾信行に辿られ、天和二年(一六八二)紀の作の銘文に彼らの名がみえる。

永国は藤代の極めで上作、刀工大鑑の評価は三五〇万円である。指定の記録は重要刀剣四口にとどまり、それを越える指定を数えず、これは名匠というより、力量ある個性的な寛文の手としての位置を示す。説明書は本工の遺例を「同工の遺例は比較的少ないが、その中にあって傑出した一口であり」と繰り返し、その小さな一群にあって指定品は傑出した遺作であって、いずれも在銘、数口は年紀をもち或は截断を帯び、截断銘と駐鎚銘とが、資料の薄い本工の作域と動向を知る上に貴ばれる。大名家や博物館への伝来は記録されず、いずれも私家を経たもので、截断と熊本の駐鎚銘が、資料の薄い新刀がしばしば欠く伝来の名を補っている。蒐集の上では、永国は国宝のように手の届かぬものではないが、稀である。指定は四口にとどまり、いずれも在銘で多くが年紀か截断を帯び、市にかかることは稀で、匂口明るく説明書の称する精緻な地に鍛えた出来のよい一口は、俟つに値する初期江戸の在銘作である。

鑑定

寛文新刀の江戸・肥後の手:小板目つみ地景細かに入る地に、直刃の焼き出しから直刃基調の互の目連れる刃へ、匂深く沸つき砂流し・金筋かかり、匂口明るく帽子は大丸に掃きかける。説明書はこれを虎徹に迫り、茎を安定に通じると読む

河内守源永国は寛文期の新刀工で、越前に寛永十年(一六三三)頃生まれ、江戸で法城寺国正門とも肥後守吉次門とも伝えられて修業し、のち細川家の招きにより肥後熊本で鍛刀したという。作風は典型的な寛文新刀の体配を呈し、反り浅く、元先の幅差つき、中鋒つまる。小板目肌よくつみ地沸微塵に厚くつき地景細かに入る地に、直刃に焼き出し、その上を直刃調に互の目連れて交じり、足太くよく入り、匂深く、沸よくつき、砂流し・金筋かかり、匂口明るく、帽子は大丸風に返り先掃きかける刃を焼く。説明書はその優作をしばしば虎徹に迫るものとし、茎の仕立てを同国の大和守安定に通じるものと読むため、通説では法城寺一門に列ねられながらも、説明書はむしろ安定一門の工たるかを問うている。遺例は少なく、裏に「於肥州熊本」の駐鎚銘を留める作は、その動向を示す資料として貴ばれる。

鑑定の決め手

作品の75%

作品の100%

作品の50%

作品の75%

駐鎚銘

作品の50%

作風の変遷

寛文の典型(直刃焼出しより互の目連れる刃へ)

小板目つみ、地沸微塵につき地景細かに入る地に、説明書は直ぐに焼き出し、その上を直刃調に互の目連れて交じり、足太くよく入り、匂深く、沸よくつき、砂流し・金筋かかり、匂口明るくみる。帽子は大丸風に返り先掃きかける。これを説明書は典型的な寛文新刀の姿恰好とし、一見、上総介兼重や法城寺吉次あたりの作柄を想わせるとする一方、茎の鑢のかけ出しが徐々に深くなって大筋違となる点に、同国の大和守安定に相通じるものをみる。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

晩年の精緻な手(乱れ豊かに湯走り・飛焼を交える)

第二の、より豊かな手は最優の遺作にみられ、小板目肌よくつみ杢交じり地沸微塵に厚くつき地景細かに入る地に、直ぐに焼き出し、下半は互の目連れて乱れ小足さかんに入り、上半は互の目に小のたれ・小互の目・尖りごころの刃を交え、共に匂深く小沸厚くつき、処々に湯走り・飛焼を交え、砂流しかかり金筋・沸筋よく入り匂口明るい。説明書は、常々の同工の作に比して一際匂深く、小沸厚くつき、刃中も働いて匂口明るい点を特筆し、これを彼の本領を余す所無く表す傑出した一口とし、殊に地鉄を精緻で優れたものと判ずる。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

「寛文八戊申二月日 河内守源姓永国三十六歳作」と銘した作刀が遺存し、これより逆算して説明書は彼の生年を寛永十年(一六三三)と定める、その年代の拠りどころである。

通説は永国を法城寺一門とするが、説明書は、連なる互の目、互の目に交える小のたれ、厚くつく小沸、大筋違となる茎の鑢が大和守安定を想わせるとし、或は彼が安定一門の工たるかとし、その適否を今後の研究に俟つとする。

指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品—
御物—
特別重要刀剣—
重要刀剣4

名工ランク

0.02 (指定作品4点)

刀工の上位28%

刀姿

評価作品4点の分布

銘

評価作品4点の銘の種類

販売中

系譜

Nagakuni
弟子(2名)
  1. 1.長吉Nagayoshi
  2. 2.照光Terumitsu

Hojoji派

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