松下亭元広は、江戸時代後期に京都で活躍した金工家である。苗字は仲上、家号を播磨屋、通称を新平と称した。初め大月光芳に学び、後に光興に師事したと伝えられる。晩年に入道して元広と改名したという。大月派に属し、後藤流の作風も学んだことが指摘されている。同時代の金工家としては、細野惣左衛門政守や山崎一賀らがおり、風物風景画を得意とした点で共通する。
元広の作風は、四分一磨地や赤銅魚子地を高彫色絵で飾ることを得意とする。東海道五十三次図や六歌仙図など、庶民的な題材を好んで取り上げた。後藤流の彫技に加え、大月流が得意とする庶民的な優しさを加味して上品に表現したところに特色がある。細野政守が平象嵌毛彫を用いるのに対し、元広は高彫色絵を駆使し、山崎一賀がより後藤風を表わすのに対し、元広はより写生風で庶民的な味わいを出すところに特徴がある。銘は「松下亭元広(花押)」と切り、松下亭と元広(花押)を二行に分けることが多い。
元広の作品は、微細な高彫色絵が駆使された入念作として評価されている。人物の表情や衣の文様の細部に至るまで写影し、きめの細かい着色が見事であり、かつ全体に調和がとれている点が評価される。東海道五十三次図を題材とした作品においては、江戸日本橋から京都三条大橋に至る各地の名所・旧跡・景勝地を細密に描き出す力量を示している。総じて、後藤流と大月流の彫法を融合させ、庶民的な題材を上品に表現した点が、元広の作風における持ち味といえる。