秀国は、大月派の掉尾を飾る金工である。文政八年に伯耆国米子に生まれ、旧姓は中川氏、通称を代蔵という。十八歳にして京都に出、大月光興の高弟である川原林秀興の門人となり、後にその次女と結婚し、同家の二代目を継いだ。天光堂・金龍斎と号した。川原林家を継いだ後も、大月派の作風を色濃く継承し、同派の様式美を後世に伝える役割を担った。
作風は各種色金を用いて高彫工法を得意とし、また毛彫・片切彫も熟す。写生に徹した動植物の他、人物・風景を手懸ける。鉄地、四分一磨地などを用いて、鋤出高彫による立体感のある表現を特徴とする。金、銀、赤銅、素銅などの色金を象嵌し、色彩豊かな作品を制作した。特に、顔や尻に素銅の色絵を施すなど、細部にわたる色彩効果へのこだわりが見られる。図の構成においては、空間を大きくとって動きを与えることを意識し、余白を効果的に用いて叙情的な世界観を表現する。作風は大月流を好く伝えており、なお後年の光興に表徴される、飄逸とした作品も見られる。
秀国の作品は、大月派の伝統を受け継ぎながらも、独自の写実性と技巧の高さを示している。その彫技からは空前絶後ともいえる臨場感が伝わってくる。神経の行き届いた彫技を披露し、同派同工の真骨頂を顕現すると評されるように、卓越した技術と美的センスによって、刀装具の世界に新たな境地を開いた。黒蠟色塗の鞘塗に四分一磨地の金具が清々しく映えた上品な打刀拵など、総合的な美意識の高さも評価されている。