青木春貫は、甚吉といい、文化二年に京都で生まれた。春貫は、小柄笄の裏師で、世に山甚裏と呼ばれた名手であった。はじめ父の甚助について学んでおり、のちに大月派の川崎加賀春に師事したとも、また上杉加寿貫や後藤一乗の教えを受けたともいうが定かでない。「春貫」「青春貫」「青柳軒春貫」などと隷書風の特色ある書体で銘をきる。安政五年に五十四歳で歿し、門人に政貫がいる。京都大月派の金工とされており、幕末時代に活動した。
作品の多くは赤銅や四分一などの地がねに、精巧な高彫や象嵌色絵を駆使したものが多く、和漢の人物、動物、草花図の作品を見る。作風は、高彫、色絵、象嵌など多様な技法を駆使し、特に象嵌の技術に優れる。魚子地はきめ細かに蒔かれ、水紋や雲文に淀みがない。霊物の彫技はいずれも緻密で、鱗や毛並みの細部にいたるまで神経の行き届いた仕上がりを見せ、しかも面持ちは皆威厳に満ちている。金の色絵を最小限に控えながらも、それが全体の調子を引き締めている点も特徴である。
春貫の作は、「格調高く引き締まった傑作」と評される。その作風は、精巧な彫技と象嵌色絵の技術によって、見る者に強い印象を与える。特に人物の表情は豊かであり、平象嵌の技術が見事である。同作中の傑作と評されるものも多く、総体に格調高く纏まった作品が多い。青木春貫のこれ程の三所は少ない、と評されるように、揃いの拵えは貴重である。