石黒政常は、柳川直政の門人である加藤直常に学んだと伝えられる。のちに柳川直政にも師事して独立開業し、直政の「政」と直常の「常」の各一字を組み合わせて政常と名乗ったという。石黒派の祖として位置づけられ、同家は明治まで代々栄えた。宝暦十年(1760年)に生まれ、通称は善蔵、のちに周助と改めた。日本橋の呉服町に住み、安永の頃の金工銘は是常といったとされるが、その作品は確認されていない。政常門下からは政美、政明をはじめ、是常、政英、政広など多くの上手が輩出している。雅号を東嶽子(のち東岳子)といい、還暦を迎えてからは「石黒斎寿命政常(花押)」と銘をきったという。文政十一年(1828年)に六十九歳で没した。
政常は文化文政の江戸文化を代表する金工の一人であり、柳川家の作風を脱し、花鳥図に工夫を凝らし独自の作風を確立した。その彫技は実直細密であり、仕上げの磨きも綺麗で気品があり、いかにもすっきりと仕上げている。石黒派の特色として、形のよさに加えて魚子地が整然としている点が挙げられる。意匠は花鳥を主題としたものが多く、空間を巧みに生かした構図は清澄な気韻に満ちている。赤銅魚子地を高彫とし、金、銀、朧銀、素銅、四分一、茶四分一、緋色銅など様々な色金を駆使した色絵を施す。特に金据文、置金、象嵌などの技法を駆使し、華麗な花鳥の世界を見事に展開している。作風は華麗典雅で、武士好みの勇猛さを内包するとも評される。晩年には家彫の構図を取り入れ、丁寧で細密な彫で格調高く仕上げた作品も見られる。
石黒政常の作は、石黒派の真骨頂を示す優品として高く評価されている。特に花鳥図を得意とし、写生風に表した作品は、構図に無理がなく、配色にも意を用いている。猛禽図も得意とし、鷹の端然とした姿を精緻な鏨使いで雄々しくかつ上品に彫り上げている。その作風は、写実的であるのみならず、大胆で少しもいじけた様子がないと評される。また、後藤家の這龍を写した目貫など、家彫を研究し我物とした作品も見られる。政常の作は、華麗さの中にも武士好みの勇猛さを内包しており、町彫の雄として豪華精巧に仕上げている点が特徴である。