石黒是常は、初代政常の子であり、二代政常と共に初代政常の代作の任を務めたと伝えられる。東岳子、種宝斎などと号す。壮年にして歿したとされており、初代是美に技術指導を行ったともいわれる。石黒派において、花鳥図を得意とし、初代政常に比肩するほどの優れた技量を有した刀工として位置づけられる。
是常の作風は、石黒派が得意とした花鳥図の意匠を基調とし、高彫色絵を駆使した荘厳華麗な作風を特徴とする。赤銅魚子地を高彫し、金、銀、赤銅、四分一、緋色銅などの色金を象嵌する。その彫法は堅実であり、老梅の幹から枝先まで力強く押し広がる形状や、猛禽の勇敢なる姿態など、対象を力強く表現する点に特色がある。また、平地は切羽台側から耳際にかけて平肉を貶しており、遠近感を効果的に感じさせる工夫が見られる。遺例は少ないながらも、その作風は石黒派の真骨頂を示すものとして評価されている。
是常の作品は、石黒派の中でも「壮厳華麗で堅実な彫法」を示すものとして高く評価されている。特に花鳥図においては、桐鳳凰図のように金を多用して豪華な趣を一層高めた作や、牡丹錦鶏図のように錦鶏が飛び出してきそうな迫力を伴った優品が見られる。その作品は、「是常の本領が十分に発揮された作」であり、「石黒派を研究する上で、非常に貴重な作品」と評される。腰間を飾った石黒派の中にあって、その特徴を有しており、優れた出来栄えを示した作品である。