肥後大掾藤原貞国と銘し慶長十年の年紀を切る短刀が第六十回重要刀剣に指定されている。それまで説明書が知る年紀作は慶長十四年紀の短刀のみで、これによって慶長新刀期の活躍が窺われてきた。貞国は越前下坂一派の刀工で、説明書は「康継と最も密接な関係にあった下坂一門の刀工」と位置づける。その近さはかつて文字通りに受け取られた。江戸時代以来の刀剣書及び銘鑑には殆ど記載がなく、たまたま載せるものも肥後大掾の銘振りの近似から康継同人とするが、今日では両者は別人と解される。銘は肥後大掾藤原貞国、裏に越前住と切るものが多い。本間による御物台帳は若打と思われるものに「越前国下坂貞国」の銘があると記す。肥後大掾藤原下坂・越前住と銘する小脇指は初期作と断じられ、慶長初年に下坂銘で肥後大掾を冠したのは後の康継と貞国と兼法の三人であったという。
その手は何よりも直刃の手である。説明書は「直刃を得意として乱刃の作は殆んどなく」と記し、また「直刃調のものが多く、僅かにほつれ、小足が入り、地刃共に沸も穏やかな感がある」とする。刃には僅かに小湾れ・小互の目が交じり、沸は小づき静かで、匂口は冴えるよりも沈み、細い砂流しと折々の金筋を見る。帽子は直ぐに先小丸へ掃きかけ、時に長く焼下げ、また先尖りごころとなる。本間の御物台帳所載の刀は広直刃調に浅く湾れて小乱を交え、総体に匂口沈みごころとなる。台帳はその作を、殆ど皆直刃調の出来を得意とし、短刀には互の目の出来もあり、短刀の作が多く刀は少なく、稀に薙刀もあるとまとめる。
地鉄こそ説明書が康継と分かつところである。康継に比して「黒ずんだ杢肌などは少なく、概ね鍛えがつみ」と記される。板目が流れ、杢を交え、鎬地は柾がかり、肌はやや立って地沸がよくつく。ある説明は端的に「板目が流れているものが常で」とする。上作では常の越前物に比べよくつんで精緻な鍛えを呈し、説明書はこれをこの工の見どころとする。慶長十年紀の短刀では地鉄が黒味を帯びるものの、その精緻な点にやはりこの見どころが現れる。
数口の脇指は直刃の常を破り、説明書はこれを作域の広さの証とする。一口は身幅広く寸延びた片切刃造の脇指で、精美な地に焼の低い小のたれを基調に互の目を交え、小足入り小沸つき、細かに金筋・砂流しがかかり、貞国が「古作の貞宗や信国に範をとった」作で渋い味わいを示すと読まれる。今一口は常を全く離れる。身幅一段と広く寸延びた平造の脇指に、焼幅広めの丁子乱れを主調に互の目・頭の丸い互の目・尖りごころの刃を交え、足長く頻りに入り、沸厚く荒目の沸を交え、砂流し・沸筋さかんにかかる。説明書はこれを「一派の中でも最も丁子の目立つ日向大掾貞次」に相通じるとし、直刃調の穏やかな作域を通例とする貞国がかくも華やかな丁子乱れを焼く点に注目する。二口はともに「貞国会心の一口」とされ、後者は「同作中抜群の出来映え」を示すという。他の作はより常に近く、短刀には浅いのたれに小互の目を交えたものがある。
彫物は第三の筋である。刀身には深く力強い越前彫が施され、説明書は「越前彫独得のもの」とする。櫃中の岩上不動、倶利迦羅、護摩箸、素剣などで、下坂銘の初期作の岩上不動について説明書は越前彫の典型であり恐らく自身彫であろうとする。本間の御物台帳はさらに、鶴亀の御目出度彫と枝梅を施した短刀を載せ、梅竹等を得意とするのは越前彫の源泉であろうかとし、初代康継の作刀に初め貞国が彫を施したとの所伝もあながち故なしとせず、恐らく康継と不和となり終生越前に終ったものであろうと記す。師伝・弟子は明らかでない。
藤代の評価は上作。指定を受けた作は十一口で、すべて在銘、重要刀剣九口と本間の御物台帳所載の短刀・刀の二口である。重要刀剣を超える指定はなく、伝来や所蔵機関の記録もない。幾口かは細鏨の長銘を備え、藤原を入れない六字銘の刀は珍しいとされる。重要刀剣の一口は薙刀で、説明書は薙刀もまま現存するが生ぶ茎のものは特に少ないとする。収集家にとって貞国は名高い名ではなく、丹念で個性的な名である。その作が市に現れるのは折々のことで、重要刀剣級の短刀ないし脇指が時に出るのみであり、在銘かつ年紀のある一口こそ待つに値する。