説明

刃長26.36センチ 茎の長さ34.7センチ 元幅24.2ミリ 元重ね12.0ミリ 物打幅19.2ミリ 物打重ね8.5ミリ 螻蛄首丸形 裸身重量373グラム 室町末期~江戸初期 The last years of Muromachi ~ The early years of Edo era 昭和50年11月27日 埼玉県登録 附属 保存刀剣鑑定書、白鞘、拵残欠 下坂派は、安土桃山の天正頃(1573年頃)、近江国・西坂本下坂に住した「下坂八郎左衛門」を祖とし、名高い越前康継の父または兄とも伝わる由緒正しき一派です。 「下坂」銘を冠する刀工は全国に散見されますが、その源流はいずれもこの近江・下坂に発しており、技脈の広さと影響力の大きさが窺えます。 本槍は、螻蛄首丸形で刃長は長め、フクラの枯れた姿が鋭気を湛える、実に古格ある造り込みを誇ります。元は銘が切られていたと推されますが、樫材による柄に長年装着されていたため、茎に腐食が進み、惜しくも銘の判別は叶いません。しかし、その造りの確かさが、下坂の流れを汲む技量を雄弁に物語っています。 地鉄は柾気強い小板目鍛えで、細かな地沸が付き、刃文は明るい匂口を備え、直刃調の中に小湾れ・小互ノ目を品よく交え、刃縁には匂口と繋がる湯走風の働きが見どころを添えており、鋩子は掃き掛けて大丸に返り、堂々たる古槍の風趣と気品を兼ね備えています。 時代を経てなお力強さと品格を失わぬ、資料的価値も鑑賞的価値も高い一筋。下坂派ゆかりの技を体現する、愛蔵にふさわしい逸品です。

無銘(下坂)- Mumei(Shimosaka)- 6-088

無銘(下坂)- Mumei(Shimosaka)- 6-088

¥132,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

26.36 cm

元幅

2.42 cm

先幅

1.92 cm

流派について

Shimosaka School下坂派

6 重要刀剣

茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥132,000

刀心で見る