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概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 下坂
  3. 康繼

Shimosaka Yasutsugu

康繼

特重
巻 14, 番 36 · 脇差

Shimosaka Yasutsugu

康繼

評価作品74点

国武蔵時代Keicho (1596–1615)時代区分江戸流派Shimosaka伝法Shinto代1st藤代Jo-jo saku刀工大鑑1,500(上位5%)種別刀工コードYAS974
2重要文化財
13重要美術品
12特別重要刀剣47重要刀剣

概要

初代康継は近江国坂田郡下坂郷の出身で下坂市左衛門と称し、越前に移住して結城秀康に仕え、初期には「肥後大掾下坂」と銘した。慶長十年の末から十一年の初めにかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀し、その褒賞として「康」の一字と葵紋を茎に切ることを許されて康継と改名した。説明書はこの経歴をほぼ同文で繰り返し、「世に康継を「葵下坂」「御紋康継」と称するのはこれに因る」と記す。以後、将軍家の御抱工として越前と江戸を一年おきに勤務し、元和七年(一六二一)に歿した。

その茎は当代に類がない。葵紋は銘の上に切られる下賜の紋であって銘そのものではなく、これに材料の添銘が併う。説明書に「彼は南蛮鉄の処理法にだけ、当時唯一人、堂々と以南蛮鉄と切添えている」という。隔年勤務もそのまま銘に残り、「本国打には「越前住」と切り、江戸打には「於武州江戸」と切添えている」。大御所家康の駿府滞在中の鍛刀は「駿州打」と称して珍重され、現存は数口、刀は長大のものが多く、地鉄が精美で焼刃の穏やかなものと、地鉄が荒びて焼刃のさかんに乱れたものの二様に分かれると説かれる。その一口は「駿府御分物之一」、すなわち家康が秀忠・義直・頼宜・頼房にかたみ分けした内の一口で、紀州徳川家に伝来した。指定七十四口のうち七十二口が在銘、無銘は一口に過ぎず、慶長の年紀や金象嵌の截断銘が優品の銘に併う。

作風はまず地鉄に立つ。鍛えは板目に杢が目立って交じって肌立ちごころとなり、地沸厚く、地景細かに入り、かねが黒みをおびる。説明書はこれを「越前がねの特色」と名指す。刃文は浅いのたれ・中直刃調を基調に小互の目が連れて交じり、小足頻りに入り、葉を交え、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、金筋・砂流しかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先が尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて返りを長く焼く。姿は身幅広く元先の幅差少なく、重ね厚く反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。説明書はこの出来口を「初代康継の典型的な作域」と呼ぶ。彫物は彫口深く力強く、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・素剣などが多く、記内ら越前彫物師の手と読まれる。

作域は時期と目的とで分かれる。下賜以前の作は稀で、「肥後大掾下坂銘の刀は現存が少なく数口を数えるに過ぎない」とされ、いずれも比較的おだやかによく整った穏やかな作風を示す。初期銘は同国の貞国・兼法と非常に似通い、その極めは銘振りによる。他方の極が写し物である。大坂落城の折に焼失した太閤御物の多くを再刃したことから様々な名物写しを試み、「中でも貞宗写しを最も得意としている」。切刃・安宅・梅竹・獅子の各貞宗写しのほか、本阿弥光徳の刀絵図にのみ遺る若江正宗、宗近の海老名小鍛冶(再刃の本歌は今日徳川美術館に現存)、吉光の鯰尾藤四郎・親子藤四郎の写し、長谷部写しと思われる皆焼の作が遺る。その評価は明快で、「地、刃の出来は、彼独自の作風を示しており、徒らに模倣していないところに特色がある」。本科の焼失した今日、写しそのものが特に貴重とされる。表裏の出来が極端に異なる「児の手柏」も他の越前新刀にまま見られるが、彼の作はそのお手本というべき出来と評される。

短刀は稀で、「初二代通しても短刀の製作は極めて少ない」。その一口は地刃が古作則重をほうふつさせ、龍乗不動の彫は同工中この一口のみという。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、「継」の字形以外では殆ど区別し難いと評され、永く江戸三代とされてきた著名な脇指は「二代康継の代銘による初代康継の作であるという説が有力視されている」。二代の後、家は江戸・越前の両下坂家に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。

藤代の極めは上々作。指定は七十四口、内訳は重要文化財二口・重要美術品十三口・特別重要刀剣十二口・重要刀剣四十七口である。伝来は三十口に録され、後援者本多飛騨守成重の所持銘が優品に多く、特重の獅子貞宗写しには本多家定紋付きの生ぶの拵が附属する。結城秀康の次男松平忠昌が大坂夏の陣の初陣に帯びた号「風雷神」の刀は久しく越前松平家に伝来し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、その他は尾張徳川黎明会・三井高公・榎本武揚らの手を経た。中川清秀の孫中川左平太の金象嵌截断銘も特重二口に残る。国宝はなく重要文化財も僅かであり、市場に現れ得るのは在銘の特重・重刀級の刀・脇指で、折々見かけ得るが、名物写しや駿州打、本多家所持銘の優品が現れることは稀で、現れれば刮目すべき一口となる。

鑑定

説明自身が殆ど同文で繰り返す型。受領銘「肥後大掾下坂」期の初期作、葵紋下賜後の本領(隔年勤務がそのまま銘に残り、本国打は「越前住」、江戸打は「於武州江戸」、稀に駿府の「駿州打」)、そして両期を貫いて大坂落城の焼失名物に発する写し・再刃の作域が直交して立つ

初代康継は近江国坂田郡下坂郷の出身で下坂市左衛門と称し、越前に移住して結城秀康に抱えられ、初期には「肥後大掾下坂」と銘した。慶長十年から十一年の間に江戸に召され、家康・秀忠両将軍の前で鍛刀して「康」の一字と葵紋を茎に切ることを許され、世に「葵下坂」「御紋康継」と称される将軍家御抱工となり、元和七年(一六二一)に歿した。見どころは、黒みをおびた越前がねの板目に杢交じりの鍛え、浅いのたれ・中直刃調に小互の目が連れて交じり小足の頻りに入る刃文、ばさけた荒めの沸を交えて沈みごころとなる匂口、先の尖る三品風の掃きかけ帽子、銘の「以南蛮鉄」の添銘、そして貞宗を第一とする名物写しの作域であり、その写しにも彼自身の作風が必ず現れる。

鑑定の決め手

作品の75%

作品の36% ・ 同時代の慶長相州復古の雄・堀川国広比 13.1倍

写しの本歌・相州貞宗にはない特徴

作品の18% ・ 堀川国広比 26.2倍

作風の変遷

「肥後大掾下坂」期(葵紋下賜以前、慶長十・十一年まで)

越前結城家仕官期の「肥後大掾下坂」銘。刀のほか笹穂槍一筋が遺る。現存は少なく、同国の肥後大掾銘の貞国・兼法と銘振りが似通うため、その内の極めは銘振りによると説かれる

現存稀な初期作の一群。「肥後大掾下坂銘の刀は現存が少なく数口を数えるに過ぎない」とされ、しかも皆比較的おだやかによく整った同様の作風を示すと特記される。直刃調浅くのたれて小互の目を交え、鍛えは板目に杢立って既に黒みのある鉄色を見せ、姿は身幅広く大鋒の慶長姿である。説明はこれらを端的に康継初期作と読み、本領期よりも穏やかな作域とする。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon

葵紋下賜後の本領(将軍家御抱工期、慶長十・十一年〜元和七年)

銘の体系そのもの。銘上の葵紋、当時彼唯一人が堂々と切り添えた「以南蛮鉄」の添銘、そして隔年勤務がそのまま刻まれた住銘、本国打の「越前住」(一八口)と江戸打の「於武州江戸」(五九口)。慶長の年紀や截断銘がこれに併う

康継本領の作域。姿は慶長新刀体配で、身幅広く元先の幅差少なく、重ね厚く、反り浅く、鋒延びごころ、平造脇指は幅広寸延びとなる。鍛えは板目に杢が目立って交じって肌立ち、地沸厚く、地景頻りに入り、かな色が黒みをおびて、説明はこれを越前がねの特色と名指す。刃文は浅いのたれ・中直刃調を基調に小互の目が連れて交じり、小足が頻りに入り、葉を交え、沸厚く、荒めの沸がむらにばさけ、金筋・砂流しがかかり、棟焼・飛焼を見せ、総じて匂口は沈みごころとなる。帽子は乱れ込み、先が尖りごころに三品風を呈して掃きかけ、返りを長く焼く。彫物は梵字・倶利迦羅・素剣・護摩箸など多くかつ上手で、多くは越前の彫物師記内らの手に併う。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
駿州打(駿府打ち、現存稀少で珍重)— 「於駿州」「於駿府」銘。大御所家康の駿府滞在中の鍛刀で、現存は数口(説明七口)に過ぎず、刀は長大のものが多い。作風は地鉄が精美で焼刃の穏やかなものと、地鉄が荒びて焼刃のさかんに乱れたものの二様に分かれると説かれる

名物写し・再刃の作域

本歌を仮名書きで添銘する「しし貞宗のうつし」「あたきさたむねのうつし」「なんばんかね」の類と、後援者本多飛騨守成重(豊原城主)の所持銘。所持銘のあるものには出来のよいものが多いとされ、写しは平造脇指・短刀に集中する

大坂落城の折に焼失した太閤御物の多くを再刃し、そこから説明が彼の本領と呼ぶ写し物の作域が立つ。中でも貞宗写しを最も得意とし、切刃貞宗・安宅貞宗・梅竹貞宗・獅子貞宗の各写しのほか、若江正宗、宗近の海老名小鍛冶、吉光の鯰尾藤四郎・親子藤四郎の写し、長谷部写しと思われる皆焼の作が遺る。説明はその写しを「地、刃の出来は、彼独自の作風を示しており、徒らに模倣していない」と評し、本科の現存しない今日、写し物のもつ意義は大きいと説く。これらの彫物は本歌に忠実で、越前の彫物師記内・喜内知相らの手と読まれる。

刃文 Hamon
研究

経歴は説明の定型句として殆ど同文で繰り返される。近江の出自、越前移住と結城秀康への出仕、初期の「肥後大掾下坂」銘、慶長十年から十一年の間の江戸召出、家康・秀忠両将軍の御前鍛刀、「康」の一字と葵紋の下賜である。

隔年勤務は銘から直読される。「本国打には「越前住」と切り、江戸打には「於武州江戸」と切り添えている」と、その規則自体が繰り返し明文化される。

駿州打は一類として珍重される。大御所家康の駿府での鍛刀銘は現存数口に過ぎず、刀は長大のものが多く、地鉄が精美で穏やかなものと、地鉄が荒びてさかんに乱れたものの二様に分かれると説かれる。

児の手柏、すなわち表裏の出来が極端に異なる作は他の越前新刀にもまま見られるが、本工の作はそのお手本というべき出来栄えと評される。

初期の肥後大掾銘については、同国の貞国・兼法と銘振りが非常に似通い、活躍年代も同時代とされ、その極めは銘振りによると説かれる。

彫物の問題は両様に記される。越前の彫物師記内・喜内知相の手が多くの作に読まれ、あるいは彫物師銘が切付けられる一方、本間順治は「自身彫であるか同国の彫内彫であるかについては定説がない」と談ずる。

指定

国宝—
重要文化財2
重要美術品13
御物—
特別重要刀剣12
重要刀剣47

名工ランク

0.79 (指定作品74点)

刀工の上位3%

伝来

伝来記録39件 の鑑定作品における Yasutsugu

伝来ランク

名家所蔵4点、伝来記録39件

刀工の上位10%

素点:2.50 / 10

刀姿

評価作品74点の分布

銘

評価作品74点の銘の種類

販売中

系譜

Yasutsugu
弟子(8名)
  1. 1.康繼Yasutsugu1 販売中27指定
  2. 2.貞國Sadakuni11指定
  3. 3.康繼Yasutsugu3 販売中8指定
  4. 4.重高Shigetaka3 販売中6指定
  5. 5.貞國Sadakuni2指定
  6. 6.繼平Tsuguhira2指定
  7. 7.康繼Yasutsugu7 販売中2指定
  8. 8.康繼Yasutsugu1指定

Shimosaka派

Shimosaka派の他の刀工

  1. 1.康繼Yasutsugu1 販売中27指定
  2. 2.康繼Yasutsugu3 販売中8指定
  3. 3.貞國Sadakuni11指定
  4. 4.重高Shigetaka3 販売中6指定
  5. 5.貞次Sadatsugu1 販売中5指定
  6. 6.國次Kunitsugu1指定
  7. 7.國次Kunitsugu1 販売中1指定
  8. 8.貞國Sadakuni2指定
  9. 9.繼平Tsuguhira2指定
  10. 10.康繼Yasutsugu1指定
  11. 11.國清Kunikiyo1指定
  12. 12.下坂八郎左衛門Shimosaka Hachirozaemon1指定