時期未分類
時期区分に該当しない名工
950–1500
流派の歴史における様式の時期区分
本流派に属する下位流派
豊後派は九州豊後国を本拠とする一群の刀工であり、ここに収める作はその古い時代から室町期に及ぶ複数の系統にわたる。最も上代に位置するのは長円で、銘鑑に豊前あるいは豊後の人と伝え、永延頃とも元暦以前とも云われ、正倉院刀剣に通ずる古典的作風を墨守した九州古鍛冶として、経眼される同名の工中でも最も古い作に数えられる。中心をなすのは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した行平で、紀新太夫と称し、彦山の僧定秀の弟子とも師とも伝え、元久二年の紀年銘を有する太刀の現存によってその活躍期がほぼ定まる。定秀もまた英彦山の住僧と伝え、年紀のある作は知られないが、銘字の資料性が重んじられる。このほか行平に酷似する神息、行平の孫と伝える筑紫正恒があり、いずれも古豊後の範疇に属する。これに対し則貞は豊後国直入郡朽網郷の宝徳頃の工で、後代の高田一派に連なる作風を示し、上代の行平らとは時代も系統も隔たる。
作風の核には、九州古典派に共通する地鉄と刃文の特色がある。鍛えは小板目あるいは板目が流れごころを交えてねっとりと練れ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、かねは白けごころを帯びる。一種の色沢を見せ、淡い映りの立つものもある。刃文は直刃調を基本とし、小乱れ・小互の目・小丁子などを交え、小足や葉が入り、匂口は総じてうるみ、小沸がつき、金筋・砂流し・湯走り風の働きを処々に見せる。区上を大きく焼き落とす手癖は行平に顕著であり、定秀・神息ら同時代の工にも通う。帽子は直ぐに小丸、あるいは焼詰め風となる。彫物は行平に多く、倶利迦羅・地蔵菩薩・梵字・松喰鶴・桜花を櫃や棒樋の中に浮彫したものが見られ、この種の彫刻は彼以前の作には見られないとされる。銘は一般の刀工と反対に佩裏に切るのが行平の常法で、定秀の銘振りもこれに近い。後代の則貞に至ると、中直刃に小互の目を交えて匂口がうるみごころに沈む滋味な出来となり、地鉄の流れと淡い映りに古豊後以来の地脈を残しつつ、高田鍛冶の作域へと移る。
鑑定上は、細身で腰反りが高く踏張りがつき、先が伏さりごころとなって小鋒に結ぶ古雅な太刀姿、ねっとりとした地鉄、うるんだ直刃調の刃文、そして区上の焼落しを併せ見ることが眼目となる。行平には元久二年紀の太刀のほか、光山押形・草薙迺舎押形に所載の作があり、徳川将軍家・丹後宮津藩本庄家など伝来の明らかな作も伝わる。本庄家の長円の刀は源氏の宝刀薄緑と伝えられ、本阿弥光忠の折紙を帯びる。定秀には毛利家が後水尾天皇より拝領したと伝える太刀があり、在銘の少ない同工の銘字は資料的価値が高い。則貞は光山押形所載の在銘年紀作として、朽網鍛冶および豊後高田の研究に資する。古豊後の行平を頂点とする系統と、後代高田に連なる則貞とは、九州物としての地刃の脈を共有しながらも、それぞれ別個の時代相を担う工として位置づけられる。
57 指定 · 14 名工数
重み付け指定指数 1.13(指定 56 点)
流派中 上位4%
2026/6/18 時点
伝来記録のある作品 22 点
伝来指数 3.25(伝来 22 点)
流派中 上位18%
上位指定の希少度で順位付け
950–1500
流派の歴史における様式の時期区分
本流派に属する下位流派
豊後派は九州豊後国を本拠とする一群の刀工であり、ここに収める作はその古い時代から室町期に及ぶ複数の系統にわたる。最も上代に位置するのは長円で、銘鑑に豊前あるいは豊後の人と伝え、永延頃とも元暦以前とも云われ、正倉院刀剣に通ずる古典的作風を墨守した九州古鍛冶として、経眼される同名の工中でも最も古い作に数えられる。中心をなすのは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した行平で、紀新太夫と称し、彦山の僧定秀の弟子とも師とも伝え、元久二年の紀年銘を有する太刀の現存によってその活躍期がほぼ定まる。定秀もまた英彦山の住僧と伝え、年紀のある作は知られないが、銘字の資料性が重んじられる。このほか行平に酷似する神息、行平の孫と伝える筑紫正恒があり、いずれも古豊後の範疇に属する。これに対し則貞は豊後国直入郡朽網郷の宝徳頃の工で、後代の高田一派に連なる作風を示し、上代の行平らとは時代も系統も隔たる。
作風の核には、九州古典派に共通する地鉄と刃文の特色がある。鍛えは小板目あるいは板目が流れごころを交えてねっとりと練れ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、かねは白けごころを帯びる。一種の色沢を見せ、淡い映りの立つものもある。刃文は直刃調を基本とし、小乱れ・小互の目・小丁子などを交え、小足や葉が入り、匂口は総じてうるみ、小沸がつき、金筋・砂流し・湯走り風の働きを処々に見せる。区上を大きく焼き落とす手癖は行平に顕著であり、定秀・神息ら同時代の工にも通う。帽子は直ぐに小丸、あるいは焼詰め風となる。彫物は行平に多く、倶利迦羅・地蔵菩薩・梵字・松喰鶴・桜花を櫃や棒樋の中に浮彫したものが見られ、この種の彫刻は彼以前の作には見られないとされる。銘は一般の刀工と反対に佩裏に切るのが行平の常法で、定秀の銘振りもこれに近い。後代の則貞に至ると、中直刃に小互の目を交えて匂口がうるみごころに沈む滋味な出来となり、地鉄の流れと淡い映りに古豊後以来の地脈を残しつつ、高田鍛冶の作域へと移る。
鑑定上は、細身で腰反りが高く踏張りがつき、先が伏さりごころとなって小鋒に結ぶ古雅な太刀姿、ねっとりとした地鉄、うるんだ直刃調の刃文、そして区上の焼落しを併せ見ることが眼目となる。行平には元久二年紀の太刀のほか、光山押形・草薙迺舎押形に所載の作があり、徳川将軍家・丹後宮津藩本庄家など伝来の明らかな作も伝わる。本庄家の長円の刀は源氏の宝刀薄緑と伝えられ、本阿弥光忠の折紙を帯びる。定秀には毛利家が後水尾天皇より拝領したと伝える太刀があり、在銘の少ない同工の銘字は資料的価値が高い。則貞は光山押形所載の在銘年紀作として、朽網鍛冶および豊後高田の研究に資する。古豊後の行平を頂点とする系統と、後代高田に連なる則貞とは、九州物としての地刃の脈を共有しながらも、それぞれ別個の時代相を担う工として位置づけられる。
57 指定 · 14 名工数
重み付け指定指数 1.13(指定 56 点)
流派中 上位4%
2026/6/18 時点
伝来記録のある作品 22 点
伝来指数 3.25(伝来 22 点)
流派中 上位18%
上位指定の希少度で順位付け