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概要·鑑定·栄誉·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定栄誉指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 豊後
  3. 古豊後
  4. 行平

Ko-Bungo Yukihira

行平

特重
巻 21, 番 31 · 太刀

Ko-Bungo Yukihira

行平

評価作品38点

御番鍛冶享保名物帳
国豊後時代Shoji (1199–1201)時代区分鎌倉流派豊後>古豊後伝法Wakimono藤代最上作刀工大鑑2,000(上位2%)種別刀工コードYUK53
1国宝
10重要文化財
5重要美術品
2御物
5特別重要刀剣15重要刀剣

概要

元久二年(一二〇五)二月紀の太刀が現存する。同作は再刃ながら、行平の活躍期を平安時代末期から鎌倉時代初期に定める資料として貴重とされる。行平は豊後国の刀工で紀新太夫と称し、説明書は「九州古典派の中でも技術と名声が最も高く、現存する作品も比較的多い」と繰り返し記す。彦山の僧定秀とは弟子とも師とも、また子とも伝えられて所伝が分かれ、後鳥羽院番鍛冶の一人とも伝える。年代は明確である一方、一見すると更に古く見える作風である。

作風は定秀に全く近似すると評される。鍛えは軟らかくねっとりとして「一種の色沢があり」、刃文は直刃か小乱れで、いずれも匂口がうるみ、「区上で焼き落す手癖も同様」とされる。焼落しは大きく、磨上の作では「焼落は磨上の為なくなっている」と注意される。姿は細身で小鋒、腰反り高く踏張りがつき、二尺二寸前後のやや小振りの太刀をまま見掛け、大太刀は例外的である。

鍛えは板目が処々流れ、まま大肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景を交えて白け映りが立つ。刃文は細直刃調に小乱れ・小互の目・浅いのたれを交え、小足が入り、小沸がつき、金筋・砂流しがかすかにかかり、湯走りが刃縁に沿い、まま二重刃ごころとなる。帽子は焼き弱く直ぐに小丸、ときに焼詰め風、掃きかけを交える。重要刀剣の一口はこれを「豊後の行平の典型的な太刀である」と要約する。

彫物と銘とに同工の見どころがある。多くの作は腰元に小さく古雅な彫物を伴い、櫃内の倶利迦羅の浮彫を筆頭に、梵字、まま地蔵菩薩・松喰鶴・桜花・樋中の素剣を見るが、「この種の彫刻は彼以前の作には見当らない」とされ、御物の解説はこの手法が後の豊後物に伝わったと記す。彫のない作は却って稀で、徳川家達旧蔵の一口は本間順治により同工中屈指の出来と評された。「銘は当時の一般刀工とは反対に佩裏にきるのを常としている」。一般太刀銘のものも現存するが僅かである。銘字は「ひっかいたような稚拙なところに彼の独特さがある」とされ、最古の刀剣書たる正和銘尽は既に偽物の多さを載せ、「銘字の巧みなものは皆偽銘」と説く。造込みでは在銘の剣は珍しく出来がよく、その時代の短刀は稀有、小太刀も類例が少なく『光山押形』所載の一口がある。

これらの見どころのすべてが彼一人のものではない。軟らかい地がね・匂口のうるみ・焼落しは古波平など九州古作に共通する特色とされ、御物の解説は正倉院御物に見る最も古典的な様式の忠実な伝承と説く。その中で行平を筆頭たらしめるのは、白け映りの立つねっとりした板目、穏やかな直刃調、腰元の彫物、佩裏の長銘という固有の組合せである。名声は鎌倉時代から既に高く、刀剣書が偽銘を戒めねばならぬほどであり、腰元の彫物は刀身彫刻の濫觴として後世の彫りの名手を先取りし、豊後鍛冶の伝統はその一門に発する。

藤代の格付けは最上作。指定を受けた作は三七口を数え、うち三三口が在銘である。御物の太刀二口、重要文化財一〇口、戦前の重要美術品五口(元久二年紀の太刀=九條道秀旧蔵、徳川家達旧蔵の太刀、上杉憲章旧蔵の短刀を含む)、特別重要刀剣五口・重要刀剣一五口、両指定で二〇口に上る。伝来は徳川将軍家・水戸徳川家・紀州徳川家に及び、寛文元年(一六六一)の本阿弥光温折紙を附帯する太刀が二口ある。御物と重要文化財は伝世の重宝として収まり、蒐集家が現実に出会い得るのは特別重要・重要の二〇口で、その多くは典型の在銘太刀である。市場に現れることは稀であり、銘尽以来七百年の偽銘への戒めが今も生きるだけに、佩裏の稚拙な長銘と区上の焼落しを完備した一口が出れば、鎌倉時代最初期の在銘作として出色の機会となる。

鑑定

典型=ねっとりした鍛えにうるみごころの直刃調・焼落しの一様式に、彫物の作域と佩裏長銘の銘式+剣・短刀・小太刀の稀な造込みの一類。現存はほぼ在銘

行平は紀新太夫と称した古豊後の名工で、彦山の僧定秀の弟子とも師とも、また子とも伝え、後鳥羽院番鍛冶の一人とされる。元久二年(一二〇五)紀の太刀が現存し、その活躍期は鎌倉時代最初期に定まる。太刀は細身で優美、腰反り高く踏張りがついて小鋒に結び、鍛えは一種の色沢のあるねっとりとした軟らかい板目に白け映りが立ち、刃文はうるみごころの直刃調に小乱れを交え、区上で焼落す。多くの作は腰元に古雅な彫物を伴い、この種の刀身彫刻として最初期のものである。銘は当時の一般刀工とは反対に佩裏に長銘を切る。

鑑定の決め手

作品の67%

作品の57%

作品の70%

作品の33%

作風の変遷

典型(ねっとりした鍛えに、うるみごころの直刃調、焼落し)

細身の太刀で腰反り高く、踏張りがついて小鋒に結び、平安末を承けた鎌倉最初期の姿である。鍛えは板目が処々流れ、まま大肌を交えて、ねっとりと軟らかく、地沸・細かな地景がつき、白け映りが立つ。刃文は直刃調に小乱れ・小互の目・浅いのたれを交え、小足が入り、小沸出来で匂口は総体にうるみ、湯走りがかかり、まま金筋・砂流し・二重刃風を交え、区上を大きく焼落す。帽子は直ぐに小丸、ときに焼詰め風、掃きかけを交える。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
銘式(佩裏の長銘)— 「豊後国行平作」の長銘を佩裏の棟寄りに切るのを常とし、当時の一般刀工とは反対である。一般太刀銘のものも現存するが僅かである
彫物のある作(最初期の刀身彫刻)— 多くの作は腰元に小さな彫物を伴う。櫃の中の倶利迦羅の浮彫、梵字、まま地蔵菩薩・松喰鶴・桜花、樋中の素剣などで、この種の彫刻は彼以前の作には見当らないと記される

稀な造込み(剣・短刀・小太刀)

確証はやや弱い造込みそのものに繋がる作域。剣は珍しく出来がよいとされ、その時代の短刀は稀有、小太刀も類例が少ない。二尺二寸前後のやや小振りの太刀もまま見掛けるとされる

在銘の剣は両鎬造で反りがなく、大きく焼落して、とび焼がかかり、匂口はウルミごころに小沸がよくつく。在銘の短刀は平造で先反りが僅かにつき、のたれに小丁子を交え、小足が入り、上半に湯走りがかかって、倶利伽羅の欄間透を彫る。常の作に比して地刃の沸づきが強い点が注目されると記される。小太刀は典型の作風をそのまま示し、中直刃調の下を大きく焼落し、佩裏に長銘を切る。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

紀新太夫と称した。

彦山の僧定秀との関係は、弟子とも、師とも、また子とも伝えられ、所伝が分かれる。

後鳥羽院番鍛冶の一人と伝えられる。

元久二年(一二〇五)紀の太刀が現存し、その活躍期はほぼ明らかとされる。

その元久二年紀の太刀自体は再刃であるが、行平の年代を定める資料として貴重とされる。

最も古い刀剣書たる正和銘尽が既に行平の偽物の多いことを載せ、銘字の巧みなものは皆偽銘と説く。

銘字は他工と異なりひっかいたように稚拙で、そこに彼の独特さがあるとされる。

銘は当時の一般刀工とは反対に佩裏に切るのを常とする。

勿論一般太刀銘のものも僅かながら現存する。

栄誉

御番鍛冶Goban Kaji (Go-Toba's Imperial Forging Rotation)

番鍛冶の一人と伝(拡張)

後鳥羽上皇が月番で召した刀匠の栄誉。承元〜承久年間(1208〜1221年頃)、御所に結番を作り月毎に作刀させた。流派横断の栄誉であり、各刀匠は本来の流派(粟田口・福岡一文字・古青江など)に属したまま本栄誉を持つ。NS-Gobankajiには上皇自身の菊御作のみが属する。

名簿を見る→
享保名物帳Kyōhō Meibutsu Chō (Catalog of Celebrated Blades)

焼失7(計7口・全て焼失之部)

享保4年(1719年)、本阿弥家が八代将軍徳川吉宗に献上した名物刀剣の台帳。平安〜南北朝の刀剣約274口(現存168口+焼失約80口+追記約26口)を刀工別に収載し、号の由来・寸法・代付・伝来を記す。本栄誉は名物帳に作品が所載される刀工に付与され、詳細欄には刊行集計による口数(正確な場合)または所載名物の号を記す。

指定

国宝1
重要文化財10
重要美術品5
御物2
特別重要刀剣5
重要刀剣15

名工ランク

1.20 (指定作品38点)

刀工の上位1%

伝来

伝来記録26件 の鑑定作品における Yukihira

伝来ランク

名家所蔵15点、伝来記録26件

刀工の上位3%

素点:3.27 / 10

刀姿

評価作品38点の分布

銘

評価作品38点の銘の種類

販売中

系譜

Yukihira
弟子(2名)
  1. 1.兼平Kanehira
  2. 2.正恒Masatsune1指定

Ko-Bungo派

Ko-Bungo派の他の刀工

  1. 1.定秀Sadahide5指定
  2. 2.正恒Masatsune1指定