説明

銘および年紀入りの新々刀期、会津藩お抱え工による脇差です。 金家紋(木瓜紋)をあしらった格式高い武家拵に収められています。 会津刀工と木瓜紋の組み合わせは、幕末の精鋭剣客集団「新選組」との歴史的背景を彷彿とさせ、非常に興味深い一振です。 その詳細は後述することとし、まずは刀身と外装の諸元について解説いたします。 【体配】 姿:鎬造、庵棟、鳥居反り 切先:中切先 肌:小板目肌 刃文:互の目丁子乱れ、沸出来。砂流し、金筋、稲妻入る。 帽子:乱れ込み、大丸、掃き掛けごころ 茎:生、勝手下がり鑢目、栗尻 【銘文】 表:奥州会津住三善長道 裏:天保十四癸卯年八月日 【解説】 本作は八代三善長道(1795-1865)の手によるものです。 本名を三善権八、のちに藤四郎と改めました。彼は「会津鍛冶棟梁」の称号を授けられた名工であり、自らも藩士であったと考えられています。事実、その作品の中には「東奥会陽臣三善長道」と、会津藩士であることを示す銘を切ったものも存在します。 また、父である七代長道は、十代和泉守兼定と合作銘の刀を鍛えており、将軍家と親密な関係にあった会津松平家に深く仕えていたことが伺えます。

Wakizashi by Miyoshi Nagamichi

Wakizashi by Miyoshi Nagamichi

脇差

€12,000

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

刀工

Nagamichi

時代

Shin-shinto

仕様

長さ

51.5 cm

反り

1.35 cm

元幅

3 cm

先幅

2 cm

流派について

Aizu Miyoshi School会津三善派

会津三善は、岩代会津に興った新刀の一門で、三善長道とその系をいう。説示が伝えるところによれば、長道は三好藤四郎と称し、伊予松山に住した長国の孫にあたる。長国は加藤嘉明に抱えられた工で、寛永四年に加藤家が伊予から奥州会津へ移封となった際、これに従って会津へ移り、長道の父政長もまた長国と共に会津へ移った。長道は寛永十年に会津で生まれ、長国の門に学んで初め道長と銘し、万治の頃に陸奥大掾を受領して名を長道と改め、貞享二年に五十三歳で歿している。藩主家の移封に随伴した一門が会津の地に根を下ろし、長道に至って会津新刀の事実上の祖と目されるに至った経緯が、説示の各所に共通して記される。なお一説に津田助広の門とする伝えも見えるが、説示はその作柄をもっぱら江戸の長曽祢虎徹に引き寄せて述べている。 作風は、説示が繰り返し記すところでは、のたれに互の目を交え、高低のある乱れ刃を本領とする。多くは直ぐ調に短く焼き出し、その上は焼幅を広くとって小のたれや大互の目に互の目を交え、処々で互の目が二つ連れて瓢箪刃風を呈する点が、ほぼ全作に共通する特色である。足は長くよく入り、匂深く、沸が厚くつき、荒めの沸やむら沸を交えることもあり、砂流しがかかって金筋が入り、匂口は明るく冴える。鍛えは板目に杢や流れ肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入る。帽子は直ぐ調あるいは浅くのたれて小丸に返り、先を掃きかけるものが多く、説示はこれを虎徹の帽子に相似すると評する。総じて、江戸の長曽祢虎徹のハネトラ時代の作柄に近いとされ、見分けの要点もこの虎徹に通う乱れ刃と瓢箪刃風、厚い沸の働きに置かれる。 伝承の面では、生ぶ茎に栗尻、鑢目は勝手下がりを常とし、指表棟寄りに長銘を切る作例が伝わる。截断銘を伴う作が少なくなく、山野勘十郎久英の金象嵌截断銘や、神谷源次可朋の試し銘を裏に添えるものが説示に挙げられている。伝来として名高い一口は、池田屋事件の功により会津藩主松平容保から新撰組の近藤勇が賜ったと伝え、のちに谷干城将軍の蔵に帰し、さらに土佐山内家へ伝来したものである。年紀のある作も資料として重んじられ、ことに貞享二年紀の刀は長道歿年にあたることから最晩年の作と理解され、資料的にも貴重とされる。鑑定にあたっては、瓢箪刃風を交えた高低ある乱れ刃と虎徹に通う帽子、厚くついた沸と砂流し・金筋の働きが手がかりとなり、長道の最も得意とした作域を示す出来こそ、この一門を見定める拠りどころとなる。

刀剣商

Mandarin Mansion

mandarinmansion.com

€12,000

Mandarin Mansionで見る