二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
2尺5寸を超え、堂々とした姿を見せる水田国重。本国は備中ながら江戸や美作でも作刀していることから、俗に江戸水田と呼ばれる。水田国重一派は室町後期から続く名門で、江戸期に入ってより一層の活躍を見せて同国一の人気を誇った。本作は裏銘から江戸に移る前の作と思われ、激しい出来映えが若々しい。腰開きの互の目刃文で始まり、刀身中央からは鎬地に掛かる勢いで荒々しく、普段あまり見かけない豪快な刃文が特徴的。刃中には得意の荒沸がたっぷりと付いて時おり地へ溢れて輝き、物打ち付近は厚い沸で丁子足を入れた混沌とした動きが楽しめる。切先は全てに焼きが入る一枚帽子で、地鉄は詰んだ小板目肌。茎も生ぶで研ぎ減りもなく、水田国重らしい仕上がりを存分に堪能できる。保存刀剣鑑定書附。













新刀 · 備中 · 1673-1681頃
藤代 Chu-jo saku
現在2点販売中
國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 備中
現在16点販売中
水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品がお気に召さなかった場合は、理由の如何に関わらず遠慮なくご返品ください。その際、返送料はお客様のご負担にてお願いします。ご返金は商品到着後、販売時と同じ状態であることを確認の上、即日ご指定口座にお振り込みさせていただきます。店舗にてご購入された場合、クーリングオフの適用範囲外となります。
2尺5寸を超え、堂々とした姿を見せる水田国重。本国は備中ながら江戸や美作でも作刀していることから、俗に江戸水田と呼ばれる。水田国重一派は室町後期から続く名門で、江戸期に入ってより一層の活躍を見せて同国一の人気を誇った。本作は裏銘から江戸に移る前の作と思われ、激しい出来映えが若々しい。腰開きの互の目刃文で始まり、刀身中央からは鎬地に掛かる勢いで荒々しく、普段あまり見かけない豪快な刃文が特徴的。刃中には得意の荒沸がたっぷりと付いて時おり地へ溢れて輝き、物打ち付近は厚い沸で丁子足を入れた混沌とした動きが楽しめる。切先は全てに焼きが入る一枚帽子で、地鉄は詰んだ小板目肌。茎も生ぶで研ぎ減りもなく、水田国重らしい仕上がりを存分に堪能できる。保存刀剣鑑定書附。













新刀 · 備中 · 1673-1681頃
藤代 Chu-jo saku
現在2点販売中
國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 備中
現在16点販売中
水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品がお気に召さなかった場合は、理由の如何に関わらず遠慮なくご返品ください。その際、返送料はお客様のご負担にてお願いします。ご返金は商品到着後、販売時と同じ状態であることを確認の上、即日ご指定口座にお振り込みさせていただきます。店舗にてご購入された場合、クーリングオフの適用範囲外となります。