
近江大掾藤原忠広
売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Kanei (1624-1644)
仕様
48.9 cm
1.6 cm
3.1 cm
2.3 cm
肥前近江大掾忠広は初代肥前忠吉の子で、名を橋本平作郎、新左衛門尉。寛永九年、父忠吉没後に忠広を襲名し、寛永十八年に近江大掾を受領。生涯忠吉銘を名乗らず、元禄六年に八十歳という長寿を全うし作刀期間は六十年に及んでいる。この頃は肥前刀の知名度も全国区となり、また鍋島藩の手厚い加護も受けて数多くの名刀を世に送り出している。 本作は忠広らしい直刃を焼いた典型作。深い反りで姿が良く、身幅あるも棒樋を掻いて引き締まって見える。清涼な小板目肌はまさに忠広のそれで、地景も密について出来が良い。刃文は小沸がたっぷりとついた直刃で所々鼠足が入り、帽子は小丸に返っている。銘は鏨もしっかりとして茎の錆色も良い。 黒呂鞘に黒々とした赤銅金具で渋くまとめた拵が付属。柄は大粒の鮫皮に紺色の蛇腹糸で仕立て、鐔は赤銅磨地、縁頭は赤銅石目地、目貫は金地龍図、小柄笄は赤銅七々子地糸巻図で纏めてている。保存刀剣鑑定書附。

売却済
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Kanei (1624-1644)
48.9 cm
1.6 cm
3.1 cm
2.3 cm
肥前近江大掾忠広は初代肥前忠吉の子で、名を橋本平作郎、新左衛門尉。寛永九年、父忠吉没後に忠広を襲名し、寛永十八年に近江大掾を受領。生涯忠吉銘を名乗らず、元禄六年に八十歳という長寿を全うし作刀期間は六十年に及んでいる。この頃は肥前刀の知名度も全国区となり、また鍋島藩の手厚い加護も受けて数多くの名刀を世に送り出している。 本作は忠広らしい直刃を焼いた典型作。深い反りで姿が良く、身幅あるも棒樋を掻いて引き締まって見える。清涼な小板目肌はまさに忠広のそれで、地景も密について出来が良い。刃文は小沸がたっぷりとついた直刃で所々鼠足が入り、帽子は小丸に返っている。銘は鏨もしっかりとして茎の錆色も良い。 黒呂鞘に黒々とした赤銅金具で渋くまとめた拵が付属。柄は大粒の鮫皮に紺色の蛇腹糸で仕立て、鐔は赤銅磨地、縁頭は赤銅石目地、目貫は金地龍図、小柄笄は赤銅七々子地糸巻図で纏めてている。保存刀剣鑑定書附。

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Kanei (1624-1644)
48.9 cm
1.6 cm
3.1 cm
2.3 cm