
赤坂 銘忠時作 菊透鍔
売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
竪丸形 鉄磨地 地透毛彫 丸耳 赤坂派の初代・二代の忠正親子が江戸へ寛永頃移住し、尾張透の手法と京透の工法に工夫を加えて鐔を制作し、幕末頃まで栄えた。初・二・三代(古赤坂)は、鉄地の鍛が良好で造形は丸形、丸耳で厚手のものが多く、角丸風造りも見られる。四代目忠時の頃から鐔もやや薄くなり、精巧な造込となった。赤坂という呼称はこの一門の職人たちの居住地(現在の東京都港区の赤坂一帯)から用いられた。 赤坂派 忠時 彦十郎は、赤坂派の初代忠正から4代目に相当するが、在銘赤坂派の初代であり、以後9代まで忠時を名のった。 宝永4年(1707年)3代目正虎の跡を受け39年間在職。晩年は家督を二代忠時に譲り、忠宗と称した。延享3年(1746年)没する。 作風は、初代忠正の頃から比べるとやや薄くなり精巧な造り込みとなった。鉄地丸形に社頭、桐、薄、茶筌、末広、茗荷などの図案風な地透鍔を造る。

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竪丸形 鉄磨地 地透毛彫 丸耳 赤坂派の初代・二代の忠正親子が江戸へ寛永頃移住し、尾張透の手法と京透の工法に工夫を加えて鐔を制作し、幕末頃まで栄えた。初・二・三代(古赤坂)は、鉄地の鍛が良好で造形は丸形、丸耳で厚手のものが多く、角丸風造りも見られる。四代目忠時の頃から鐔もやや薄くなり、精巧な造込となった。赤坂という呼称はこの一門の職人たちの居住地(現在の東京都港区の赤坂一帯)から用いられた。 赤坂派 忠時 彦十郎は、赤坂派の初代忠正から4代目に相当するが、在銘赤坂派の初代であり、以後9代まで忠時を名のった。 宝永4年(1707年)3代目正虎の跡を受け39年間在職。晩年は家督を二代忠時に譲り、忠宗と称した。延享3年(1746年)没する。 作風は、初代忠正の頃から比べるとやや薄くなり精巧な造り込みとなった。鉄地丸形に社頭、桐、薄、茶筌、末広、茗荷などの図案風な地透鍔を造る。

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