赤坂

Juyo
23, 557
Edo伝法鐔工コードNS-Akasaka

1624–1860

国宝
重要文化財
重要美術品
御物
特別重要刀剣
重要刀剣16
16指定品総数
3名工数
36%在銘 36%
81%名工帰属 81%
76現在の出品
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時期区分

流派の歴史における様式の時期区分

1624–1700

古赤坂

7指定
Jūyō7

在銘 0%

1688–1860

赤坂

5指定
Jūyō5

在銘 100%

時期未分類

1指定

時期区分に該当しない名工

流派伝

3指定

流派全体への無銘伝

概要

赤坂鐔は、江戸時代の初頭に京都から江戸赤坂に移住し、以後幕末まで栄えた鐔工の一派である。初代の庄左衛門忠正は寛永から明暦にかけて活躍したと伝えられ、文政年間に子孫の忠時が幕府に提出した由緒書には、初代忠正が明暦三年(一六五七)に歿し、二代忠正が延宝五年(一六七七)に歿したと記されている。初代忠正、二代忠正、三代忠虎の所謂「上三代」の古赤坂には在銘作が確認されておらず、後代の極めに委ねられているのが実情である。元禄頃の四代忠時になって「武州住赤坂彦十郎忠時作」銘をはじめとして在銘作が現れ、以後九代まで嫡流は忠時を名乗った。嫡流のほか、四代忠時に入門した太右衛門忠重が別系を立て、その嫡男忠好もまた赤坂派の一人として鐔作を残している。

鉄の地透鐔工として赤坂派は京・尾張・肥後などと共に高名であり、同派の鉄の鍛えには三枚合わせと称される合わせ鍛えのものが見られる。画題には自然の風物・故事等を凝らした意匠を以て表したものが多く、鉢の木・時雨亭・武蔵野・蟷螂・風竹・輪違・老松などが初代以来の得意とする意匠として知られる。造込みは肉置きが中高となり、透かしの繋ぎが耳際で広くなって安定感があり、耳は丸耳となるのが通例である。切羽台の上部が尖りごころとなる点、笄櫃孔が小柄櫃孔に比して小さめとなる造りは初・二代に顕著な見処として繰り返し指摘される。古い赤坂鐔の造り込みは落ち着いた槌目仕立で、力強い丸耳を備え、文様がシンメトリーにとらわれず自由な気風と手強さがあり、地透しの彫に尖った独特の鋭さがある。その作風には京透と尾張透の影響が感知されるとともに、古正阿弥の影響も窺われ、これらを融合して江戸独自の透鐔の様式を確立した。彫りの内側に顕著に表れた筋状の合わせ鍛え目や耳に見られる縞状の鉄骨には古様がよく示され、品位風格を一段と高めている。

赤坂鐔の見どころの一つに構図の斬新さがあり、その点で最も賞賛されるのが太右衛門忠重である。晩年は「行年八十四才・忠重作」銘が知られる長寿の人で、技術も江戸中期以降の赤坂鐔工中「屈指の上手」と称えられた。忠重は特に意匠が優れており、尾形光琳の文様意匠を採り入れるなど進取の気性に富み、老松の大小二本の枝振りに三階松風の意匠を配した代表作は「肥後鐔にも見られない忠重の独創」と評される。彫口は鋭く、鍛えは上々で鉄に艶があり、耳際の肉を落とした肉置きは忠重の特色をよく示している。また肥後の勘四郎を手本としつつさらに新味を加えた斬新な構図にも、赤坂の伝統を継承しつつ独自の境地を拓いた忠重の力量が窺える。古赤坂の堂々たる気韻から忠重・忠好の粋な透しに至るまで、赤坂派は「粋な透しを本領とした」鐔工の系譜として、鉄透鐔の一大伝統を築き上げた。

指定

16 指定 · 3 名工数

指定の位置づけ

重み付け指定指数 0.11(指定 16 点)

流派中 上位52%

2026/8/2 時点

伝来

伝来記録のある作品 1 点

伝来の位置づけ

伝来指数 1.88(伝来 1 点)

流派中 上位90%

主要工

上位指定の希少度で順位付け

  1. 1.忠正1624-16587
    流派内 43.8%
  2. 2.忠重1730-18165
    流派内 31.3%
  3. 3.忠好1
    流派内 6.3%

現在の出品