Beschrijving ITEMBESCHRIJVING: Wordt geleverd met kimono of katoenen tas. Wordt geleverd met certificaat van supein Nihonto. Wordt geleverd met NBTHK Tokobetsu Kicho. Wordt geleverd met kopie van tokorusho (het origineel moet in Japan blijven). Katana gesigneerd Fujiwara Kuniyoshi – Bunka 7 (1810) – Shirasaya 1) Volledige Torokusho Vertaling (Tochigi Nr. 5479) Prefectuur: Tochigi Categorie: Katana Lengte: 67,9 cm Mekugi-ana: 1 Nakago-inscripties: Omote: “Gesmeed door Fujiwara Kuniyoshi.” Ura: “Een gelukkige dag van de 2e maand, Bunka 7 (1810).” Uitgegeven: 12 oktober 1957 (Shōwa 32). 2) Beschrijving van het lemmet Lemmet Een goed uitgebalanceerde katana uit het begin van de 19e eeuw die de kenmerken van laat-Edo vakmanschap toont: Sugata: Shinogi-zukuri met een zachte kromming en een precieze chu-kissaki . Hamon: Rechte suguha met milde variaties en interne ko-nie activiteit. Deze gecontroleerde stijl past goed binnen verschillende Fujiwara-gerelateerde groepen die in die tijd actief waren. Jihada: Fijn itame met lichte mokume-elementen; stabiel, consistent staalpatroon. Boshi: Vloeiende voortzetting van de suguha die een nette ko-maru vormt. Nakago: Oude patina, één mekugi-ana, duidelijke mei en datum. Het vakmanschap is coherent en typisch voor de normen van het begin van de 19e eeuw. 3) De smid — Fujiwara Kuniyoshi De eervolle Fujiwara-lijn werd gebruikt door verschillende scholen in het Japan van de Edo-periode. De kenmerken van dit lemmet—schone suguha, strak itame, gebalanceerde proporties—komen overeen met smeden die actief waren rond de Bunka-periode (1804–1818) . Een gedateerde inscriptie (1810) versterkt sterk de historische waarde en traceerbaarheid van het stuk. 4) Shirasaya Gepresenteerd in een goed gemaakte shirasaya , met zorgvuldige houtselectie en pasvorm: Stabiele vochtigheidsomstandigheden Bescherming tijdens opslag Traditionele behuizing voor gesigneerde en gedateerde lemmeten Dit duidt op zorgvuldige langdurige bewaring. 5) Historisch-technische




















Chikuzen (Kyushu classical group; Dangisho) · 筑前 · 1260-1261頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
西蓮は鎌倉時代末期の筑前の刀工で、『光山押形』に所載される長銘、すなわち文保元年(一三一七)紀の「筑前国博多談議所国吉法師西蓮」[[c:6]]と切った太刀の主である。この一銘がその人を解き明かす。国吉は俗名、西蓮は剃髪して名乗った入道銘であり、談議所とは対蒙古防衛のため博多に置かれた政庁、鎮西談議所とみられる。説明書はこれを良西の子・実阿の父と伝え、また大左の祖父とし、左文字を生み出す系譜の頭に立つ工とする。現存する銘文は「国吉」「談議所国吉」「西蓮」「談議所西蓮」の諸様に見え、この役所に仕えた刀工の記録である。
その手は九州古典派の典型で、極めの言葉がこれをはっきりと名指すほどに一貫している。鍛えは板目に大板目・杢を交えて肌立ち、流れごころとなり、時に柾がかる。山城物のよくつんだ小板目ではなく、大模様の肌立つ地鉄である。その上に地沸・地景が細かに入り、かねは黒みをおびて、説明書のいうかな色に黒みがある。多くの作に淡い白け映りが立つが、これは備前の明るい乱れ映りではなく、黒い地鉄の沈んだ映りである。刃文はもう一つの見どころで、焼幅低めの直刃あるいは細直刃を焼き、刃縁ほつれて喰違刃・打のけを交え、上半に二重刃風がかかり、小沸つき、砂流し・金筋かかる。匂口は冴えず、うるみ、時に沈みごころとなる。説明書はこの全体を一語にまとめて、その作を「九州古典派の風を墨守した作域」[[c:1]]と評する。
地鉄こそ、すべてを読み解く拠りどころである。板目が肌立って流れ、地沸微塵につき、地景入り、黒いかねが淡い白けを帯びる。これは良西・実阿と共有する地鉄で、幅広の大磨上の作には時に区際に水影をみる。その地に対して直刃は低く静かに、刃縁がほつれて、ある説明書のいう通り「焼刃は直刃がほつれて匂口がうるむ」[[c:2]]。ある重要刀剣はその刃を大和物風の直刃と読み、うるみの匂口を九州物に共通する特徴とする。帽子は直ぐ調あるいは浅くのたれて掃きかけ、小丸に返るか焼詰めとなり、太刀・刀には表裏に棒樋、時に添樋を掻き通す。
この一つの手のうちに、説明書はもう一つの register を引く。匂口の淋しい一群の傍らに、沸がより強くついて小沸よくつき匂深く、砂流し・金筋を交え、時に飛焼をみて匂口の明るくなる手があり、これを最も左文字との関係を思わせるものとする。在銘の静嘉堂短刀について、その「後者は左との関係を多く思わせる」[[c:3]]と記す。同じ思いはある重要刀剣でより有名に述べられ、「天才児左文字が生まれ出るだけの礎地は西蓮の作に見られる」[[c:4]]と評する。もっとも記録の大半は無銘で、官の指定を受けた作のうち在銘はおよそ八口、大多数は大磨上で、時代と一派から本工に極められ、数口は本阿弥家の金象嵌・金粉・朱の極めを伴う。
筑前の西蓮を分かつのは、まさに説明書がその個性として名指すところである。彼は備前の工ではなく、その明るい乱れ映りを見せない。地は黒く肌立って流れる九州の板目に沈んだ白けを帯び、刃はうるみの直刃で、冴えた明るい線ではない。後年の明るい相州風の左とは、その直刃の静かさと華やかさの不在によって分かたれ、しかも沸の強い手はそこへと先を指す。幅広で鋒の延びた大磨上の刀が南北朝の年代を思わせ、ある重要刀剣がその姿から南北朝期とみたいとする一方、後の説明書は鎌倉末期にも鋒の延びた作例が確認されるとして、本阿弥光徳の西蓮極めを妥当とする。結局のところ彼は、左文字へと至る大筑前の系譜が育った静かな根である。
収集の観点では、稀な初期の九州の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、その記録は重要文化財一口、特別重要刀剣・重要刀剣の級、そして戦前の重要美術品を通じ、官の指定を受けた作はおよそ四十五口、そのうち生ぶ在銘は僅かである。説明書はその少なさを強調し、ある生ぶ在銘の太刀をその資料性が極めて高いものとし、ある特別重要刀剣の刀を「西蓮極めの中でも傑出した出来映え」[[c:5]]と称える。その作は来歴の確かな旧家・機関に伝わる。静嘉堂文庫は若杉家旧蔵の在銘短刀を蔵し、作は薩摩島津家、重富島津家、島津義弘の伝来を経て、徳川将軍家、前田家へと下る。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、その多くは伝えられて売り立てられることはなく、在銘の西蓮が世に出ることは稀であり、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、左文字に至る大筑前の系譜がいかに始まったかを語る証である。
西蓮の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 筑前
筑前は九州博多を本拠とした刀工の括りであり、説示が扱うのは良西を祖として西蓮・実阿へと連なる一系の古典派である。良西の弟あるいは弟子と伝える入西に永仁五年紀の太刀が遺ることから、その活躍はおおむね鎌倉時代後期に始まると考えられ、続く西蓮、さらに実阿の代は鎌倉時代末期から南北朝時代の初頭に及ぶ。西蓮は『光山押形』所載の「筑前国博多談議所国吉法師西蓮 文保元年二月」[[c:1]]銘の太刀によって国吉と同一人物であることが知られ、入道銘を西蓮と称した。現存する銘文には「国吉」の二字銘のほか「談議所国吉」「西蓮」「談議所西蓮」などがあり、対蒙古防衛のために博多に置かれた鎮西談議所に仕えた工と目される。実阿は西蓮国吉の子で、相州伝を大成した名工大左(左文字)の父と伝え、この一門が筑前における後代の隆盛の母胎となった。説示が一貫して示すのはこの良西・入西・西蓮・実阿の系譜であり、九州古典派と称される単一の流れである。 地鉄は、板目が大模様に肌立って流れ、刃寄りが柾がかるのを共通の語法とし、しばしば大板目や杢を交え、地沸がつき、地景が入り、かな色が黒味をおびて淡く白け映りや白けごころが現れる。刃文は直刃を基調とし、細直刃から中直刃まで焼幅に幅があるものの、刃縁にほつれや打のけがかかり、二重刃・三重刃風や湯走り・飛焼を交え、金筋・砂流しを伴って、匂口がうるみごころとなる点が繰り返し記される。帽子は直ぐ調に小丸となって掃きかけ、浅く返るものが多い。系中の差異としては、良西の在銘短刀が冠落造に細直刃を焼いて区際を焼き落とす古様を見せるのに対し、実阿は鍛えが一派の中でも最も荒ぶる傾向にあり、時に綾杉風の肌合を呈して直刃に互の目・小互の目を交える点が特徴とされる。西蓮はその中間にあって、焼幅低めの直刃にほつれと細かな働きを見せ、地刃に黒味と白けを伴う作域を本領とする。 鑑定にあたっては、大模様に肌立って流れる板目と柾がかりの地鉄、黒味をおびたかな色、直刃にほつれてうるむ匂口という九州物伝統の様相を要点とし、綾杉風の肌や荒びた風格が看取されれば実阿に、焼幅低めの直刃に細かなほつれが目立てば西蓮に擬される。在銘作の乏しい良西では本短刀のごとき確実な遺品が作域を知る資料として重んじられ、西蓮には本阿弥光徳・光常による金象嵌銘や折紙の極めが伝わって資料性を高めている。代表作には談議所国吉銘の太刀、建武二年紀を有する実阿の作などがあり、伝来には徳川将軍家、重富島津家、上杉家のものが知られる。説示は総じて、無銘磨上の刀に対しても各工の系譜と作域を照らして極めを下しており、九州古典派の様式を墨守したこの一系を、後の左文字一門に先立つ筑前刀の源流として位置づけている。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
14-day return if items arrive damaged or in unexpected condition; customer bears return shipping + insurance; items returned in original condition with all accessories; antique armour non-returnable; only regular priced items refundable; shipping costs non-refundable.
Beschrijving ITEMBESCHRIJVING: Wordt geleverd met kimono of katoenen tas. Wordt geleverd met certificaat van supein Nihonto. Wordt geleverd met NBTHK Tokobetsu Kicho. Wordt geleverd met kopie van tokorusho (het origineel moet in Japan blijven). Katana gesigneerd Fujiwara Kuniyoshi – Bunka 7 (1810) – Shirasaya 1) Volledige Torokusho Vertaling (Tochigi Nr. 5479) Prefectuur: Tochigi Categorie: Katana Lengte: 67,9 cm Mekugi-ana: 1 Nakago-inscripties: Omote: “Gesmeed door Fujiwara Kuniyoshi.” Ura: “Een gelukkige dag van de 2e maand, Bunka 7 (1810).” Uitgegeven: 12 oktober 1957 (Shōwa 32). 2) Beschrijving van het lemmet Lemmet Een goed uitgebalanceerde katana uit het begin van de 19e eeuw die de kenmerken van laat-Edo vakmanschap toont: Sugata: Shinogi-zukuri met een zachte kromming en een precieze chu-kissaki . Hamon: Rechte suguha met milde variaties en interne ko-nie activiteit. Deze gecontroleerde stijl past goed binnen verschillende Fujiwara-gerelateerde groepen die in die tijd actief waren. Jihada: Fijn itame met lichte mokume-elementen; stabiel, consistent staalpatroon. Boshi: Vloeiende voortzetting van de suguha die een nette ko-maru vormt. Nakago: Oude patina, één mekugi-ana, duidelijke mei en datum. Het vakmanschap is coherent en typisch voor de normen van het begin van de 19e eeuw. 3) De smid — Fujiwara Kuniyoshi De eervolle Fujiwara-lijn werd gebruikt door verschillende scholen in het Japan van de Edo-periode. De kenmerken van dit lemmet—schone suguha, strak itame, gebalanceerde proporties—komen overeen met smeden die actief waren rond de Bunka-periode (1804–1818) . Een gedateerde inscriptie (1810) versterkt sterk de historische waarde en traceerbaarheid van het stuk. 4) Shirasaya Gepresenteerd in een goed gemaakte shirasaya , met zorgvuldige houtselectie en pasvorm: Stabiele vochtigheidsomstandigheden Bescherming tijdens opslag Traditionele behuizing voor gesigneerde en gedateerde lemmeten Dit duidt op zorgvuldige langdurige bewaring. 5) Historisch-technische




















Chikuzen (Kyushu classical group; Dangisho) · 筑前 · 1260-1261頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
西蓮は鎌倉時代末期の筑前の刀工で、『光山押形』に所載される長銘、すなわち文保元年(一三一七)紀の「筑前国博多談議所国吉法師西蓮」[[c:6]]と切った太刀の主である。この一銘がその人を解き明かす。国吉は俗名、西蓮は剃髪して名乗った入道銘であり、談議所とは対蒙古防衛のため博多に置かれた政庁、鎮西談議所とみられる。説明書はこれを良西の子・実阿の父と伝え、また大左の祖父とし、左文字を生み出す系譜の頭に立つ工とする。現存する銘文は「国吉」「談議所国吉」「西蓮」「談議所西蓮」の諸様に見え、この役所に仕えた刀工の記録である。
その手は九州古典派の典型で、極めの言葉がこれをはっきりと名指すほどに一貫している。鍛えは板目に大板目・杢を交えて肌立ち、流れごころとなり、時に柾がかる。山城物のよくつんだ小板目ではなく、大模様の肌立つ地鉄である。その上に地沸・地景が細かに入り、かねは黒みをおびて、説明書のいうかな色に黒みがある。多くの作に淡い白け映りが立つが、これは備前の明るい乱れ映りではなく、黒い地鉄の沈んだ映りである。刃文はもう一つの見どころで、焼幅低めの直刃あるいは細直刃を焼き、刃縁ほつれて喰違刃・打のけを交え、上半に二重刃風がかかり、小沸つき、砂流し・金筋かかる。匂口は冴えず、うるみ、時に沈みごころとなる。説明書はこの全体を一語にまとめて、その作を「九州古典派の風を墨守した作域」[[c:1]]と評する。
地鉄こそ、すべてを読み解く拠りどころである。板目が肌立って流れ、地沸微塵につき、地景入り、黒いかねが淡い白けを帯びる。これは良西・実阿と共有する地鉄で、幅広の大磨上の作には時に区際に水影をみる。その地に対して直刃は低く静かに、刃縁がほつれて、ある説明書のいう通り「焼刃は直刃がほつれて匂口がうるむ」[[c:2]]。ある重要刀剣はその刃を大和物風の直刃と読み、うるみの匂口を九州物に共通する特徴とする。帽子は直ぐ調あるいは浅くのたれて掃きかけ、小丸に返るか焼詰めとなり、太刀・刀には表裏に棒樋、時に添樋を掻き通す。
この一つの手のうちに、説明書はもう一つの register を引く。匂口の淋しい一群の傍らに、沸がより強くついて小沸よくつき匂深く、砂流し・金筋を交え、時に飛焼をみて匂口の明るくなる手があり、これを最も左文字との関係を思わせるものとする。在銘の静嘉堂短刀について、その「後者は左との関係を多く思わせる」[[c:3]]と記す。同じ思いはある重要刀剣でより有名に述べられ、「天才児左文字が生まれ出るだけの礎地は西蓮の作に見られる」[[c:4]]と評する。もっとも記録の大半は無銘で、官の指定を受けた作のうち在銘はおよそ八口、大多数は大磨上で、時代と一派から本工に極められ、数口は本阿弥家の金象嵌・金粉・朱の極めを伴う。
筑前の西蓮を分かつのは、まさに説明書がその個性として名指すところである。彼は備前の工ではなく、その明るい乱れ映りを見せない。地は黒く肌立って流れる九州の板目に沈んだ白けを帯び、刃はうるみの直刃で、冴えた明るい線ではない。後年の明るい相州風の左とは、その直刃の静かさと華やかさの不在によって分かたれ、しかも沸の強い手はそこへと先を指す。幅広で鋒の延びた大磨上の刀が南北朝の年代を思わせ、ある重要刀剣がその姿から南北朝期とみたいとする一方、後の説明書は鎌倉末期にも鋒の延びた作例が確認されるとして、本阿弥光徳の西蓮極めを妥当とする。結局のところ彼は、左文字へと至る大筑前の系譜が育った静かな根である。
収集の観点では、稀な初期の九州の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、その記録は重要文化財一口、特別重要刀剣・重要刀剣の級、そして戦前の重要美術品を通じ、官の指定を受けた作はおよそ四十五口、そのうち生ぶ在銘は僅かである。説明書はその少なさを強調し、ある生ぶ在銘の太刀をその資料性が極めて高いものとし、ある特別重要刀剣の刀を「西蓮極めの中でも傑出した出来映え」[[c:5]]と称える。その作は来歴の確かな旧家・機関に伝わる。静嘉堂文庫は若杉家旧蔵の在銘短刀を蔵し、作は薩摩島津家、重富島津家、島津義弘の伝来を経て、徳川将軍家、前田家へと下る。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、その多くは伝えられて売り立てられることはなく、在銘の西蓮が世に出ることは稀であり、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、左文字に至る大筑前の系譜がいかに始まったかを語る証である。
西蓮の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 筑前
筑前は九州博多を本拠とした刀工の括りであり、説示が扱うのは良西を祖として西蓮・実阿へと連なる一系の古典派である。良西の弟あるいは弟子と伝える入西に永仁五年紀の太刀が遺ることから、その活躍はおおむね鎌倉時代後期に始まると考えられ、続く西蓮、さらに実阿の代は鎌倉時代末期から南北朝時代の初頭に及ぶ。西蓮は『光山押形』所載の「筑前国博多談議所国吉法師西蓮 文保元年二月」[[c:1]]銘の太刀によって国吉と同一人物であることが知られ、入道銘を西蓮と称した。現存する銘文には「国吉」の二字銘のほか「談議所国吉」「西蓮」「談議所西蓮」などがあり、対蒙古防衛のために博多に置かれた鎮西談議所に仕えた工と目される。実阿は西蓮国吉の子で、相州伝を大成した名工大左(左文字)の父と伝え、この一門が筑前における後代の隆盛の母胎となった。説示が一貫して示すのはこの良西・入西・西蓮・実阿の系譜であり、九州古典派と称される単一の流れである。 地鉄は、板目が大模様に肌立って流れ、刃寄りが柾がかるのを共通の語法とし、しばしば大板目や杢を交え、地沸がつき、地景が入り、かな色が黒味をおびて淡く白け映りや白けごころが現れる。刃文は直刃を基調とし、細直刃から中直刃まで焼幅に幅があるものの、刃縁にほつれや打のけがかかり、二重刃・三重刃風や湯走り・飛焼を交え、金筋・砂流しを伴って、匂口がうるみごころとなる点が繰り返し記される。帽子は直ぐ調に小丸となって掃きかけ、浅く返るものが多い。系中の差異としては、良西の在銘短刀が冠落造に細直刃を焼いて区際を焼き落とす古様を見せるのに対し、実阿は鍛えが一派の中でも最も荒ぶる傾向にあり、時に綾杉風の肌合を呈して直刃に互の目・小互の目を交える点が特徴とされる。西蓮はその中間にあって、焼幅低めの直刃にほつれと細かな働きを見せ、地刃に黒味と白けを伴う作域を本領とする。 鑑定にあたっては、大模様に肌立って流れる板目と柾がかりの地鉄、黒味をおびたかな色、直刃にほつれてうるむ匂口という九州物伝統の様相を要点とし、綾杉風の肌や荒びた風格が看取されれば実阿に、焼幅低めの直刃に細かなほつれが目立てば西蓮に擬される。在銘作の乏しい良西では本短刀のごとき確実な遺品が作域を知る資料として重んじられ、西蓮には本阿弥光徳・光常による金象嵌銘や折紙の極めが伝わって資料性を高めている。代表作には談議所国吉銘の太刀、建武二年紀を有する実阿の作などがあり、伝来には徳川将軍家、重富島津家、上杉家のものが知られる。説示は総じて、無銘磨上の刀に対しても各工の系譜と作域を照らして極めを下しており、九州古典派の様式を墨守したこの一系を、後の左文字一門に先立つ筑前刀の源流として位置づけている。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
14-day return if items arrive damaged or in unexpected condition; customer bears return shipping + insurance; items returned in original condition with all accessories; antique armour non-returnable; only regular priced items refundable; shipping costs non-refundable.