説明

筑前信国 短刀 糸瓜に蝉図拵 NBTHK保存刀剣 流派:筑前信国 時代:新刀 銘:無銘 体配:短刀 長さ:16.6 cm 姿:平造り 反り:内反り 棟:庵棟 重ね:5 mm 元幅:1.7 cm 茎の状態:大磨上 茎形状:普通、切尻 目釘孔:1個 鑢目:不明瞭 刃文:小沸出来の直刃。匂口は細く、所々に二重刃が交じる。 帽子:大丸、返りは浅い。 鍛え:板目肌、地沸つく。 【解説】 本作は、糸瓜(へちま)に蝉をモチーフとした極めて独創的な拵が付随する、筑前信国の短刀です。 刀身は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により筑前信国派と鑑定されています。同派は古刀期の信国の流れを汲み、江戸時代に筑前福岡藩でお抱え鍛冶として栄えた名門です。 本刀は大磨上無銘ながら、剣、刀樋、添樋、そして梵字の彫物が残されています。現状、刀身には研ぎ減りや、裏の樋の間に傷が見受けられますが、これほど精巧な彫金拵が誂えられた背景を鑑みれば、幕末当時の所有者にとって並々ならぬ愛着と物語があった一振りであることが推察されます。 特筆すべきはこの拵の出来映えです。鞘と柄は色金(軟らかい合金)で造られており、手に取ると心地よい重厚感があります。内部は朴の木で仕立てられています。 拵全体を一つの彫刻作品に見立て、糸瓜の蔓や葉、そしてそこに止まる蝉を写実的に表現しています。蝉の細部には銀や銅の象嵌が施され、その生命力溢れる造形は見事というほかありません。東洋美術において「瓜と蝉」は、長寿、再生、そして子孫繁栄を象徴する大変縁起の良い画題です。 本作には、拵の形状に合わせて内張りが施された古い桐箱が付属します。箱書きには「糸瓜景拵」「福岡藩黒田家御用鍛冶」「無銘 筑前信国」との旨が記されています。 刀剣コレクターのみならず、工芸品を愛好する方々ともその美しさを共有できる、美術品としての枠を超えた魅力を持つ一品です。 NBTHK保存刀剣鑑定書、および専用の桐箱が付属いたします。鑑賞・研究の双方において、尽きせぬ喜びを与えてくれる稀有な作例です。 (下図:北川歌麿「画本虫撰」より、瓜に蝉の図 1788年) 販売中の一覧へ戻る

筑前信国 Tanto

筑前信国 Tanto

短刀

$4,350

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仕様

長さ

16.6 cm

元幅

1.7 cm

流派について

Nobukuni School信国派

2 重要刀剣

信国派は山城国京都に興った名門で、その流れは南北朝時代に遡る。一派の祖と仰がれる信国は了戒系の京鍛冶で、血脈の上では来の伝統を承けながら、修業の上では相州貞宗の門に入って貞宗三哲の一人に数えられた。来の系譜と相州伝という二つの根がこの一門の作のすべてを導く。銘鑑は祖を建武に置くが、説明書はこれを繰り返し退ける。建武年間の作は残らず、現存最古の延文・貞治の年紀作が貞宗に直結することから、本会は延文・貞治の工をもって初代と見做す。南北朝の末期には永徳・至徳・明徳の代替りの信国が続き、同銘数工があったと見られる。室町初期には左衛門尉・式部丞を冠する応永信国が栄え、これを通常三代と数える。一派は後に豊前へ、さらに筑前へ移り、慶長の頃より明治初年まで福岡藩黒田家の抱え鍛冶として吉貞・吉政・吉次・吉包・重包の代々を出し、新々刀期まで栄えた。 一派に通う語法は、まず地鉄に現れる。鍛えは杢を交えた板目で、刃寄りに流れて柾となりやや肌立ち、地沸を厚くとり地景が頻りに入り、よくつんだ作には淡い沸映りが立つ。刃寄りに流れる鍛えは了戒系の所伝を首肯せしめる証とされ、厚い地沸と頻りの地景は貞宗に学んだ相州伝の痕跡として読まれる。刃文は文様の如何を問わず沸で焼かれ、砂流し・金筋が絶えず働き、匂口は明るい。その作域は二様を基とする。一つは来派の伝統を示した直刃で、中直刃・細直刃に小沸つき、細かにほつれ喰違刃・二重刃ごころを交えて京物の格調を伝える。いま一つは貞宗風ののたれ乱れで、小のたれに互の目・小互の目を交え、足・葉入り、沸厚く明るく、刃縁にほつれ湯走りがかかり、最も多く出会う作域をなす。帽子はのたれ込みまたは乱れ込んで小丸となり掃きかける。御家芸とも言うべき濃密な彫物も貞宗譲りで、梵字・素剣・護摩箸・三鈷剣・倶利迦羅を重ね彫りにし、刀身に八幡大菩薩の神号を切る作もあって、彫物によって一門を見分けうる。代を下ると差異が明瞭となる。南北朝末期の後代は一派に初めて太刀を生み、二様に加えて互の目主調の乱れ刃を新たに見せ、互の目が二つ宛連れたものを腰の低い小のたれで繋ぐ矢筈状の刃を見どころとする。応永信国は左衛門尉が「国」の字のクニ構えの中を左字に作る点を大きな鑑別点とし、直刃と互の目乱れの双方に冴えた沸を宿す。筑前に移った吉包・重包は相州伝の志向と、流れ肌の乱れ映りを伴う一派の丁子乱れとを高い技倆で並べ持ち、重包は名物写しの名手として石堂風に紛う華やかな丁子を、地沸・地景・刃中の沸の顕著さによって石堂と分かった。 鑑定の勘所は明快である。刃寄りに流れる柾がかった肌、厚い地沸と頻りの地景、沸で焼いた直刃と貞宗風ののたれ乱れ、重ね彫りの宗教彫物が一門を束ね、相州の同門とも後世の備前丁子とも分かつ拠りどころとなる。無銘極めも代の弁別も延文三年紀の作との照合によって決せられ、後代は連れ互の目と矢筈刃で、応永信国は逆字の銘で、筑前の工は流れ肌の乱れ映りで読み分けられる。藤代の極めは初代信国を上々作とし、後代から応永信国まで京古刀の上位に列し、筑前の吉包・重包は地方新刀の堅実な工として上作の評を得る。在銘作は祖において短刀・小脇指に限られて稀であり、それゆえ年紀のある後代の太刀・薙刀は何よりの好資料として貴ばれる。伝来は大名家と社寺に厚く、黒田家・浅野家・山内家・佐竹家らの蔵刀に加え、本願寺名物や富士山本宮浅間大社に奉納された式部丞の脇指がある。上位指定の多くは公私の蔵に秘められて市に現れず、在銘の信国が世に出ること自体が稀であって、現れた時は南北朝以来の山城物の蒐集で特筆すべき機会となる。

刀剣商

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