二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
正幸(まさゆき)、寛政(1789-1801年)、薩摩。 銘:「薩州住正良」、「伯耆守平朝臣正幸」、「薩摩国伯耆守平朝臣正幸」。 本名は伊地知次右衛門、通称を仲蔵、のちに平覚と称す。銘の読みについては「まさゆき」のほか、資料により「まさよし」とされることもある。 初期には「正平」や「季陣」と銘じ、二代正良の子として生まれた。父の没後、三代正良を継承したが、寛政元年(1789年)十二月朔日に伯耆守を受領した際、「良」の字を「幸」に改め、以降「正幸」と銘じるようになった。 寛政五年(1793年)からは「薩摩官工」の添銘を切る。文政元年(1818年)四月二十二日、八十六歳で没。 元平とともに江戸後期の薩摩を代表する双璧と称され、現存する記録によれば四十名を超える門人を育成した。 身幅広く、重ね厚く、平肉豊かにつく。反りは浅く、総じて豪壮かつ屈強な姿となる。 鍛えは、初期には板目に杢目が交じり、後年には板目に大肌が交じる。いずれも地沸厚くつき、概して元平よりも肌目が立ち、地景が顕著に現れる傾向がある。 刃文は、焼幅の広い華やかな浪打調の乱れ(のたれ乱れ)や互の目乱れを焼き、初期には直刃ほつれも見られる。焼頭には沸が強くついて尖りごころとなり、砂流し、二重刃、芋蔓などの働きが豊富である。 帽子は丸く返り、掃き掛けや沸崩れを見せる。棒樋を掻き流すものも多い。 茎は刃上がりの張った舟形に近い形状を呈し、先は細い剣形尻となる。鑢目は切。 上々作。
在銘 · Satsuma · 新々刀 · 長さ 57cm · 反り 0.8cm








































二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
正幸(まさゆき)、寛政(1789-1801年)、薩摩。 銘:「薩州住正良」、「伯耆守平朝臣正幸」、「薩摩国伯耆守平朝臣正幸」。 本名は伊地知次右衛門、通称を仲蔵、のちに平覚と称す。銘の読みについては「まさゆき」のほか、資料により「まさよし」とされることもある。 初期には「正平」や「季陣」と銘じ、二代正良の子として生まれた。父の没後、三代正良を継承したが、寛政元年(1789年)十二月朔日に伯耆守を受領した際、「良」の字を「幸」に改め、以降「正幸」と銘じるようになった。 寛政五年(1793年)からは「薩摩官工」の添銘を切る。文政元年(1818年)四月二十二日、八十六歳で没。 元平とともに江戸後期の薩摩を代表する双璧と称され、現存する記録によれば四十名を超える門人を育成した。 身幅広く、重ね厚く、平肉豊かにつく。反りは浅く、総じて豪壮かつ屈強な姿となる。 鍛えは、初期には板目に杢目が交じり、後年には板目に大肌が交じる。いずれも地沸厚くつき、概して元平よりも肌目が立ち、地景が顕著に現れる傾向がある。 刃文は、焼幅の広い華やかな浪打調の乱れ(のたれ乱れ)や互の目乱れを焼き、初期には直刃ほつれも見られる。焼頭には沸が強くついて尖りごころとなり、砂流し、二重刃、芋蔓などの働きが豊富である。 帽子は丸く返り、掃き掛けや沸崩れを見せる。棒樋を掻き流すものも多い。 茎は刃上がりの張った舟形に近い形状を呈し、先は細い剣形尻となる。鑢目は切。 上々作。
在銘 · Satsuma · 新々刀 · 長さ 57cm · 反り 0.8cm








































二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。