説明

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 [N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Token 江戸時代後期、下総国古河藩の抱え工として活躍した泰龍斎宗寛、古河候注文打の作品。宗寛は、文政初年に奥州白河に生まれ、嘉永年間(1848年)に江戸に出て、当時備前伝の第一人者と言われた固山宗次門に入門、その後深川箱崎町に住し、下総国古河藩の抱え工となり活躍したと伝えられている。彼の作刀は天保の末年頃(1840年)から始まり、その後の作品に「阿武隅川宗寛」と銘する物があって、生まれ故郷の阿武隅川を姓として用いている。彼は明治に入っても作刀しているが、廃刀令以後の作品は見られず、明治16年(1883年)1月23日に歿している。本作は先の大きく延びた大切先に刃肉を落とした幕末期の典型的な鋭い体配を示し、刃文は師、宗次風の焼き刃に変化を加え、華やかな丁字乱れを焼いた健全な一振りである。宗寛をはじめ宗次一門は、地鉄の美しさ、刃文の華やかさに加え、刀剣の命の切れ味に定評があり新々刀における裁断銘の多さでは群を抜いており、本作にも彼の師、宗次と交流があったとされる成瀬家家臣、伊賀藤四郎の手により最も困難とされる太々を裁断した事が宗寛自身によって切り付けられている。このように新刀期のものが常とする金象嵌ではなく、本人の切り付銘であることは新々刀時代に見られる特色である。加えるに本作は茎全体を覆う程に丁寧な銘文が切られており、その内容をかみ砕くと、「平安時代後期の猛将、平景政有縁の子孫、嶋田某の工匠、泰龍斎宗寛が江戸に在勤の折、古河藩藩主からの注文により制作する。」となり、大名から制作を注文されるという名誉ある仕事に対し、常にも増して丁寧に自らの出自を述べ、渾身の制作にあたった事が窺える名品である。また彼が嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となっていたとする伝承を肯定する面で宗寛の研究資料的にも貴重な作品である。

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仕様

長さ

69.6 cm

反り

1.4 cm

元幅

3 cm

先幅

2.3 cm

作者について

Koyama Munetsugu Sokan宗寛

1 重要文化財4 重要刀剣

宗寛は文政初年に大野平蔵の子として奥州白河城下に生まれた。鍛刀の師は固山宗次であり、その作刀は天保の末年頃から始まる。作風の変遷として、阿武隈川宗寛と銘し生まれ故郷の阿武隈川を姓として用いた時期、泰龍斎の号を常用しだした安政元年頃からの時期、江戸深川箱崎に居住した時期、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となった時期などが知られる。銘字は初め楷書体であるが、安政四年八月頃から隷書体に改めている。明治に入っても作刀しているが、廃刀令以後は見られない。明治十六年一月二十三日に歿している。 宗寛の作風は、身幅が広く重ね厚く、反り浅く大鋒となる新々刀期の豪壮な姿を呈する点に特色がある。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつき、地景が細かによく入る。刃文は丁子乱れを基調とし、小丁子、小互の目、互の目、袋丁子風の刃、角ばる刃などを交え、足が長くよく入り、匂勝ちに小沸つき、細かに金筋、砂流しがかかる。匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込み、先小丸、長く返る。作風の時期的な変化として、比較的初期の作は丁子に出入りが見られ、焼刃に高低があって変化に富む傾向がある。截断銘を伴う作も遺されており、伊賀乗重のような人物が試刀に関わったことが知られる。 宗寛の刀は、地刃ともに健全で、総じて出来が良い。特に、匂口明るく冴えた刃が頑健な姿形に映える点が評価される。新々刀期の豪壮な姿を示しつつ、華やかな作風を示すものもある。截断銘と共に、宗寛の高い技術が遺憾なく発揮されている点が評価される。

刀剣商

飯田高遠堂

iidakoendo.com

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