説明

文政二年奥州白河城下に生まれた泰龍斎宗寛(たいりゅうさい そうかん)は名を大野一といい、天保元年に十二歳で江戸の固山宗次に入門した。刃味が殊に優れてしかも美しい刀の鍛造に情熱を燃す宗次と寝食を共にして修業し、さらに刀身彫も修め、天保七年には古河藩土井侯に仕官している。独立後も研究を重ね、師に勝るとも劣らぬ刃味の優れた美刀を手掛けた。 この平造脇差は、新都東京で新国家建設が進められていた明治三年三月に、特別の需で精鍛された一口。棟は宗寛らしく真に造り、身幅広く両区深く重ねが厚く、屹然と立った棟の稜線が刃の線と軌を一にし、ふくらから鋒に結ぶ線も緩みなく洗練味のある姿。小杢目鍛えの地鉄は地景が細密に入り、地沸が微塵に付いて煌めき、鉄色は一際晴れやか。互の目丁子乱の刃文は、袋形の刃、片落ち風の刃、焼の中に丸い玉焼を配した刃を交えて逆がかり、帽子は浅く乱れ込んで長めの小丸に返る。蒼く冴えた焼刃は、刃縁に純白の小沸が付いて明るく、焼の谷には足が零れて射し、匂で霞立つ刃中は極上の景観。茎の仕立ては丁寧で、保存状態が良く未だ白く輝き、得意の隷書体の銘字 が入念に刻されている。備中青江の逆丁子を範に精鍛されたもので、仕上がりは上々である。 「誠壽造」の銘のある菊、梅、竹、蘭の四君子図銀地揃い金具と牡丹図目貫で装われた、青貝微塵散鞘の美しい拵が付帯している。 注1... 藩主土井利位は、雪の結晶を研究するなど蘭学好みの開明的な君主。因みに古河藩は天保八年に大塩平八郎を捕縛して勇名を馳せた。 注2...鎺の上蓋内に菊文形鑚が深く打ち込まれている。

脇差 銘 於東京泰龍斎宗寛造之 明治三年三月日 Wakizashi Signed. Tokyo ni oite Tairyusai SOKAN kore wo tsukuru Meiji 3 nen 3 gatsujitsu
Tokuho

脇差 銘 於東京泰龍斎宗寛造之 明治三年三月日 Wakizashi Signed. Tokyo ni oite Tairyusai SOKAN kore wo tsukuru Meiji 3 nen 3 gatsujitsu

脇差

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仕様

長さ

30.4 cm

元幅

3.03 cm

作者について

Koyama Munetsugu Sokan宗寛

1 重要文化財4 重要刀剣

宗寛は文政初年に大野平蔵の子として奥州白河城下に生まれた。鍛刀の師は固山宗次であり、その作刀は天保の末年頃から始まる。作風の変遷として、阿武隈川宗寛と銘し生まれ故郷の阿武隈川を姓として用いた時期、泰龍斎の号を常用しだした安政元年頃からの時期、江戸深川箱崎に居住した時期、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となった時期などが知られる。銘字は初め楷書体であるが、安政四年八月頃から隷書体に改めている。明治に入っても作刀しているが、廃刀令以後は見られない。明治十六年一月二十三日に歿している。 宗寛の作風は、身幅が広く重ね厚く、反り浅く大鋒となる新々刀期の豪壮な姿を呈する点に特色がある。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつき、地景が細かによく入る。刃文は丁子乱れを基調とし、小丁子、小互の目、互の目、袋丁子風の刃、角ばる刃などを交え、足が長くよく入り、匂勝ちに小沸つき、細かに金筋、砂流しがかかる。匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込み、先小丸、長く返る。作風の時期的な変化として、比較的初期の作は丁子に出入りが見られ、焼刃に高低があって変化に富む傾向がある。截断銘を伴う作も遺されており、伊賀乗重のような人物が試刀に関わったことが知られる。 宗寛の刀は、地刃ともに健全で、総じて出来が良い。特に、匂口明るく冴えた刃が頑健な姿形に映える点が評価される。新々刀期の豪壮な姿を示しつつ、華やかな作風を示すものもある。截断銘と共に、宗寛の高い技術が遺憾なく発揮されている点が評価される。

刀剣商

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