説明

泰龍斎宗寛は、文政初年に、大野平蔵の子として奥州白川城下に生まれた。鍛刀の師は固山宗次である。彼の作刀は、天保の末年頃から始まるが、その後の作品に、阿武隈川宗寛と銘するものがあって、生まれ故郷の阿武隈川を姓として用いている。彼が泰龍斎と称したのは安政元年頃からで、江戸での住まいは深川箱崎であり、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となったようである。彼は刀身彫も得意であり、師のよき協力者であったろう。銘は初め本刀のように楷書体できるが、安政三年の冬頃から四年にかけて隷書体に改めている。明治に入っても作刀しているが、廃刀令以後は見られない。明治十六年一月二十三日に歿している。 本作は、形状は、鎬造、三ツ棟、身幅やや広めに、重ね厚く、元先の幅差少なく、反り浅くつき、中鋒延びる。地鉄は、小板目肌よくつみ、整美な肌合いとなり、地沸細かにつき、地景入る。頭の揃った小互の目を連れて焼き、足よく入り、匂本位わずかに小沸つき、砂流しかかり、明るく冴え、帽子は、乱込み小丸に返り、先掃きかけるといった優れた出来口を示している。手持ちがズシリと重く健体であることが窺い知られ、最上の研磨が施されていることも好ましい。

No.A00641 刀 泰龍斎宗寛 慶応二年紀
Tokuho

No.A00641 刀 泰龍斎宗寛 慶応二年紀

¥1,700,000

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仕様

長さ

71.4 cm

反り

1.6 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.4 cm

作者について

Koyama Munetsugu Sokan宗寛

1 重要文化財4 重要刀剣

宗寛は文政初年に大野平蔵の子として奥州白河城下に生まれた。鍛刀の師は固山宗次であり、その作刀は天保の末年頃から始まる。作風の変遷として、阿武隈川宗寛と銘し生まれ故郷の阿武隈川を姓として用いた時期、泰龍斎の号を常用しだした安政元年頃からの時期、江戸深川箱崎に居住した時期、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となった時期などが知られる。銘字は初め楷書体であるが、安政四年八月頃から隷書体に改めている。明治に入っても作刀しているが、廃刀令以後は見られない。明治十六年一月二十三日に歿している。 宗寛の作風は、身幅が広く重ね厚く、反り浅く大鋒となる新々刀期の豪壮な姿を呈する点に特色がある。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつき、地景が細かによく入る。刃文は丁子乱れを基調とし、小丁子、小互の目、互の目、袋丁子風の刃、角ばる刃などを交え、足が長くよく入り、匂勝ちに小沸つき、細かに金筋、砂流しがかかる。匂口は明るく冴える。帽子は乱れ込み、先小丸、長く返る。作風の時期的な変化として、比較的初期の作は丁子に出入りが見られ、焼刃に高低があって変化に富む傾向がある。截断銘を伴う作も遺されており、伊賀乗重のような人物が試刀に関わったことが知られる。 宗寛の刀は、地刃ともに健全で、総じて出来が良い。特に、匂口明るく冴えた刃が頑健な姿形に映える点が評価される。新々刀期の豪壮な姿を示しつつ、華やかな作風を示すものもある。截断銘と共に、宗寛の高い技術が遺憾なく発揮されている点が評価される。

刀剣商

つるぎの屋

tsuruginoya.com

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