説明

出ました出ました南北朝期応安頃(1368年)(657年前)の無銘なれど法華兼安と極められた素晴らしい小太刀が出ました。法華兼安は備前国福岡一文字延真の末と言われ備後国葦田郡の国分寺に移住しその尼寺で作刀した為に国分寺助国と言われた本兼安はその助国の孫に当たります。有名な相州秋廣や相州廣光と同時代の刀匠です。銘に法華と入れる作品がある為に法華(ほっけ)と言い又大変語呂が良い為に古来(ほっけ)(ほっけ)と言って大変有名ですが、残念ながら在銘の現存作がほとんど有りません。法華派は大和伝と備前伝が上手に交わった作風です。本小太刀は鎬が高く 元身幅広く先身幅も広い刃肉の付いた南北朝期の姿を現し、地金は板目肌に鍛え澄肌も有りチリチリとする鍛肌も現し、地にはオーロラの様な幻想的な乱れ映りを現し見事です。刃紋は匂い出来に小沸の付いた匂いの深い直調の刃に小乱れを交え素晴らしく上手です。青江派の小太刀に紛れる素晴らしい作風です。付属している地金の薄い江戸期のはばきが又貴重です。この度古い御数寄者様から自分も年を取ったので後進の方にお安くお分け下さいとお預かりした為に特別に格安にて御提供いたします、愛刀家垂涎の的で現存作の無い貴重な法華兼安と極められた南北朝期の小太刀を是非お楽しみ下さい。

無銘 法華兼安 Hokke Kaneyasu
売切れ
Hozon売切れ

無銘 法華兼安 Hokke Kaneyasu

脇差

売却済

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

59.4 cm

反り

1.4 cm

元幅

3.1 cm

先幅

2.36 cm

作者について

Ko-Mihara Kaneyasu兼安

12 重要刀剣

兼安の作で年代の確かな最も古い一点は、指表中央に五字を切る「備州住兼安」の銘を持ち、裏に応安二年三月の年紀をもつ平造の小脇指、すなわち一三六九年の作である。兼安は備後の刀工で、葦田郡に拠った法華一乗派の工であり、説明書はその系統を『古今銘尽大全』に拠って導き、三原物とは別系の備後国葦田郡物に属し、その流祖を助国としているとする。この区別こそ、彼を理解する第一の要である。名簿上の呼称にかかわらず、彼は三原派そのものの工ではなく、その指定の文中で繰り返し三原と対比される、隣接する法華の系統に属する。同派は南北朝期より室町期にかけて活躍し、一乗・行吉・重安・重家・信兼らと並んで、兼安は流祖格の一乗に次いで現存作中に挙げられる、この系統の有力な工の一人である。 彼の手は一派の手であり、しかも静かな手である。刃寄りで柾へ流れ、処々に杢を交える板目の上に、焼の低い穏やかな直刃を焼く。中直刃あるいは細直刃で、時に極く浅くのたれを帯び、小互の目が連れて添う。匂勝ちに小沸がつき、匂口は締まって、冴え立つよりはむしろ沈みごころとなり、細かな足・葉が入り、処々に刃縁のほつれを交える。説明書は一派の作風を、焼の低い穏やかな直刃か、直刃調に小互の目の連れたものと端的に述べ、兼安の刀身もほぼ例外なくこの基調を守る。彼は派手な見得によってではなく、乱れに作らぬ直刃の抑制と均しさによって判ぜられる工であり、小互の目はその静かな線に繰り返し打たれる句読点である。 地鉄こそ、彼の一派が最もよく己を標す処である。板目は平らに臥さず立ち、すなわち肌立ち、かねは白け、その上に淡く白け映りが立ち、かな色はやや黒みがかる。身幅広い刀では地沸がつき、立つ鍛えに太い地景が入る。この白く、ややねっとりとした地鉄に、柾へ転ずる流れ肌と、しばしば焼詰める帽子を併せたものこそ、評者が同派の作を大和気質の窺えるものと呼ぶ際に念頭に置くところであり、板目に流れ肌を交え、帽子は焼詰めることもあるなど、「帽子は焼詰めることもあるなど、大和気質の窺えるもの」と総括される。帽子そのものは、一派が併せ持つ二態に読まれる。一つは直ぐに焼詰める大和の決め手であり、一つは先が尖って長く返るものであって、一口がいずれの態を見せるかでその所属がいくらか判ぜられる。 兼安の現存作は二つの作域に截然と分かれ、その稀なる方が在銘である。生ぶの在銘作は平造の小脇指・短刀に限られ、身幅広く重ね薄く、「備州住兼安」の銘と応安年紀を帯び、その数は極めて少ない。説明書は「兼安有銘の作は経眼したものは僅かに五指を掘するに過ぎず」と記す。ある応安二年の脇指は「典型的な作風を示して、銘振りも極めてよい」と賞され、一口の在銘の太刀は「すこぶる珍らしく貴重」とされる。この手の太刀銘はほとんど聞かれぬからである。はるかに大きな作域は、伝法華兼安と極められた大磨上無銘の豪壮な南北朝姿の刀であり、鎬造で鎬やや高く、身幅広く大鋒あるいは中鋒に結ぶ。今日その名が主に拠るのはこれら無銘の大磨上の刀であって、極めは、彼と一派が共有する肌立つ白けた板目、白け映り、小互の目を交えた穏やかな直刃に拠る。銘鑑は、在銘の作に基づいて、その活躍を延文・至徳・応永と区々に比定するが、彼自身の刀身の応安年紀がこれを南北朝期に確と据える。 彼を分かつものは、他派との対比よりも、彼自身の特色によって述べるのが最も良い。ある大磨上無銘の刀は「一見備中青江物に似た作風を示している」と評されながら、その造込みの鎬の高さと、大杢目を交えた鍛えによって兼安の作として留められ、評者はこれらを彼の作と看る特色とする。この一事に一派の本質が凝縮されている。白く、立ち、大和に焼かれた直刃の手は、備中・備後の隣派と見紛われやすく、焼の劇しさによってではなく地と造込みの細目によってそれらと分たれる。柾がかる白けた地の上の直刃調に焼詰めの帽子という彼の作風は、法華の系統が南北朝より室町へ伝える一派の手であり、その帽子と地に読まれる大和気質こそ、諸記録が葦田の系統を、常に比較される三原物から隔てるのに用いる特徴である。 兼安は収集家の獲物というよりは鑑識家の名であり、その記録はその規模について率直である。藤代の評価は彼を中上作に置き、公の記録に載る彼の刀身は十二口を数え、そのいずれもが重要刀剣の位である。国宝も重要文化財も特別重要も無く、指定の記録には誇るべき伝来も著名な旧蔵者も記されない。これが収集家に提供するのは、著名なものというよりは明白で手の届くものである。在銘の兼安、すなわち五字銘と応安年紀をもつ生ぶの平造の小脇指・短刀は、より稀な出会いに属し、現存は五指に数えられ、在銘の太刀はさらに稀である。彼に極められた大磨上無銘の刀は、その作のより見出しやすい面であり、その数口は指定を受けて「同派極めの優品」と賞され、立つ白けた地と、静かに沈む直刃がよく示される。これらが市場に現れるのは時折に過ぎず、現れた折には、古刀諸派を学ぶ忍耐強い者に、備後の大和の影響を受けた手の、健全で典型的な一例を供する。著名な銘を得るというよりは、丁寧な鑑定を築くに足る、劇しさのない確かな一口である。

刀剣商

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