説明

延寿国時 鎌倉時代 刀 附:海軍軍刀拵 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣 本阿弥光遜金粉銘鑑定 【流派】延寿 【鑑定/種別】NBTHK 特別保存刀剣 【時代】古刀、鎌倉時代後期 文保頃(1317-1319年) 【銘】無銘(本阿弥光遜金粉銘「延寿国時 本(花押)」) 【造り】刀 【刀工大鑑評価】500万円 【藤代評価】上作 【長さ】70.6 cm(二尺三寸三分) 【姿】鎬造り 【反り】腰反り 【反り寸法】1.4 cm 【棟】庵棟 【重ね】7 mm 【元幅】3.0 cm 【先幅】2.1 cm 【茎状態】大磨上 【茎形状】普通、切尻 【目釘孔】四個 【鑢目】不明 【刃文】小沸出来の細直刃。僅かにほつれ、物打付近でやや細くなる。所々小足入る。匂口は締まり明るい。 【帽子】直ぐに小丸、返り浅い。二重刃、火焔風の働きあり。 【鍛え】小板目に大肌交じる。柾目肌が顕著に現れ、流れ肌も見える。細かな地沸がつき、両面に白毛映りが立つ。 【解説】 本作は、肥後延寿派の祖・国村の子であり、同派を代表する名工として知られる国時の秀逸な一振りです。 国時は肥後菊池氏のお抱え工として、元弘・建武(1330年代)頃に活躍しました。刀工大鑑では500万円の評価を冠し、藤代義雄氏の評価では上作、また山田浅右衛門による「大業物」にも列せられています。 製作から約700年という歳月を経ながら、研ぎ身の状態は極めて良好です。明るい小沸のついた格調高い細直刃は、延寿派の真髄を示す見事な出来映えです。 また、本作には刀剣界の伝説的鑑定家である本阿弥光遜(1879-1955)による「延寿国時」の金粉銘が施されています。1998年には日本美術刀剣保存協会により、その鑑定を裏付ける「特別保存刀剣」に指定されました。 附帯する拵は、第二次世界大戦時の大日本帝国海軍・海軍軍刀拵です。海軍将校が実際に佩用していたもので、兜金には当時の所有者の家紋が残されています。 拵の状態は概ね良好ですが、経年による鮫皮の傷みや変色など、実戦を経た歴史の重みが感じられます。猿手は正絹の紐式。縁の駐爪は作動しますが、鯉口の受穴とは完全には噛み合いません。当時のオリジナル品であり、相応の時代感があります。 海軍軍刀は現存数が少なく、希少な資料でもあります。数百年にわたる戦乱の世を渡り歩いてきたこの刀を手にすることは、まさに歴史の架け橋に触れるような感動を覚えることでしょう。 銀無垢一重ハバキ、白鞘、海軍軍刀拵(米国製つなぎ付)。 白鞘袋、拵袋が付属します。 本阿弥光遜の金粉銘を有し、特別保存刀剣に指定された鎌倉時代の名刀。さらに海軍軍刀拵が附帯するという、歴史的価値の極めて高い一振りです。 nihontocraft@bellsouth.net 戻る

延寿国時
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延寿国時

売却済

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仕様

長さ

70.6 cm

反り

1.4 cm

元幅

3 cm

先幅

2.1 cm

作者について

Enju Kunitoki國時

2 重要文化財2 重要美術品3 重要刀剣

国時は肥後延寿派の刀工で、鎌倉時代最末期から南北朝期にかけて肥後国菊池郡に活躍した。説明書はその起こりを率直に記し、「肥後国延寿派の始祖は国村」とし、国村は京の来国行の孫と伝える。その山城の流れから一派は気質を受け継ぎ、概ね来風を作域として直刃を得意とする。国村のまわりには国時・国吉・国資・国泰・国信らがほぼ時を同じくして輩出し、国時は国村の子あるいは弟と伝えて初代に数えられる。在銘の太刀二口が重要文化財に指定され、一口は高知の掛川神社に、一口は和歌山東照宮に伝わり、さらに生ぶ茎で二字銘を留める在銘太刀が残るため、互いに見分けがたいとされる一派にあって、本工は比較的よく記録された手の一つである。 その典型は、細身の太刀あるいは尋常な姿の大磨上の刀に読まれ、現存の在銘太刀は腰反り高く、小鋒で、生ぶ茎にやや太鏨の銘を切る。終始変わらぬのは刃文で、直刃を本体とし、多くは中直刃に小互の目を交え、足・葉入り、小沸よくつき、在銘の太刀では僅かに二重刃ごころを示す。これは意図された静かな刃である。説明書は一派の手を山城の親に近いがより控えめと描き、「来物に比しては地刃がやや弱く」、直刃は概して働き少なく沈みごころとなると記す。その中にあって一口が際立つ。伊達家伝来の在銘太刀がそれで、説明書はこれを「直刃の中に互の目が頻りにめだち」、働きが豊富である点で特記する。 地鉄もまた刃文に劣らず一派の特色を担う。やや流れごころの小板目つみた地に、時に大肌を交え、地景と地沸が細かに入り、地の上には備前の明るい丁子映りではなく白け映りが立つ。この冷たく霞んだ映りこそ延寿の地鉄で、来・山城の流れを汲む一派が伝える特色であり、在銘・極めの作いずれにも現れる。鍛えが小板目につまり地沸厚くつくとき、ある説明書の言葉を借りれば、その鍛はいかにもよい。その地に対して帽子は直ぐに小丸となって浅く返り、穏やかな作にはかすかに砂流しがかかる。 本工の記録は作域によって明らかに分かれる。在銘の作、すなわち生ぶ茎の伊達家伝来太刀と金象嵌銘の刀は、直刃に乗る頻りな互の目という個性を帯び、太刀では腰元に棒樋へ添樋を添え、その上に梵字を彫る宗教的な彫物の構成を見せる。もう一つの面は、延寿の代表的な手として極められた大磨上無銘の刀で、姿堂々とし、匂い深く小沸厚くつき、匂口は沈みごころとなる。名と弐ツ胴截断の截断銘を金象嵌で入れた重要刀剣の刀について、説明書はその作風を鎌倉末の延寿派の典型と首肯しつつ、「国時と特に断定すべき見どころは寧ろ掴めない」とする。名そのものは代を重ねて室町に及ぶため、各作の代別はその銘よりも出来から読むべきものである。 肥後延寿の国時を隣り合う手から分かつのは、まさに説明書の言うところである。本工は、より明るく強い山城の真の来の手とは、冷たい白け映りと、説明書の描くやや柔らかな地刃によって分けられ、その刃は沈みごころとなる類とされる。けれども個々の個性が乏しく静かな直刃を共有する一派の中では、その比較的豊富な互の目と足が本工に見分けのつく位置を与え、説明書はその無銘の刀の一口を「来派をおもわせる」中直刃と評する。本工は、山城の作風を南九州に伝えた一門の初代の世代に立つ、肥後の伝統の頭に置かれた静かで鍛えのよい手である。 収集の観点では、明確な記録の跡をもつ稀な初期肥後の名である。国宝はなく、その記録は重要文化財二口、すなわち掛川神社の太刀と和歌山東照宮の太刀、戦前の重要美術品、そして在銘・金象嵌銘・無銘のわずかな重要刀剣を通る。数口に大名家・鑑定家の伝来があり、伊達家伝来の在銘太刀は金沃懸地の毛抜形太刀拵を附し、大磨上の刀には享保六年・七百貫を記す本阿弥光忠の折紙が附属する。その作は今、来歴の確かな旧家と公の機関に伝わり、佐野美術館もこれを蔵する。特別重要刀剣・重要刀剣の級は三口にとどまるため、在銘の肥後延寿国時が世に出ることは稀であり、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、来の作風がいかに九州に根づいたかを語る証である。

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