説明

和泉守兼定は、『定』の字のウ冠の中を『之』と切ることから『ノサダ』の呼称があり、年紀作に見る作刀期間は、明応二年(一四九三)から大永六年(一五二六)までの三十三年間、天文(一五三二~五五)初年頃に没したと云います。 銘振りは、最初『濃州関住兼定作(造)』と切り、明応十年(一五〇一)頃までは、『定』の字を楷書で切ります。それ以降『之定』銘となり、永正七年(一五一〇)頃に『和泉守』を受領、以降『和泉守(藤原)兼定作』と切ります。短刀の場合、『兼定』二字銘が圧倒的に多く見られます。鑢目は刀、脇差しは鷹の羽、短刀は檜垣、茎尻は栗尻ですが、後期晩年作になると、どの寸法でも鑢目は筋違い、茎尻は尖って入山形、剣形風になります。 作風は、頭の丸い互の目、互の目丁子刃が主体で、湾れ、矢筈刃、箱刃、尖り刃が交じり、刃縁の柔らかく締まった作が多く、短刀には、来写しの直刃が多く見られます。 彫り物は簡素な棒樋や護摩箸程度で、濃厚な意匠の彫りは皆無、長大な作は僅少であり、やや寸の詰まった作が大半を占めています。 本作は、二字銘ながら之定銘、銘も鮮明でピシッとして気持ちの良い銘振りです。 年紀はありませんが、銘振り、鑢目等からして、永正末年頃の作と鑑せられる同工最良期に当たります。 これまで之定短刀は、数十振り掲載しましたが、寸法八寸前後、出来は来写しの細直刃が大半、本作は九寸四分強、身幅しっかりとしています。 小板目に板目、杢目を交えて良く詰んだ綺麗な地鉄は、地沸微塵に厚く付き、細かな地景繁く入り、互の目、小互の目、角張った刃、湾れを交えた刃は、刃縁良く沸付いて明るく締まり気味となるなど、正に之定の典型を示しています。 寒山先生鞘書きによると、その由来は不明ですが、『鬼怒川兼定』の号を付しており、『地刃の出来優れ、その景色絶雅(この上なく雅やかな様子)。兼定は同銘が数工あるが、この作は、いわゆる和泉守兼定の代表作也。』とあります。 最上作にして最上大業物、末関筆頭鍛冶、和泉守兼定の典型乱れ刃短刀、これは狙い目です。

短刀 兼定(之定銘)(和泉守)(号鬼怒川兼定) Tanto:Kanesada
売切れ
Tokuho売切れ

短刀 兼定(之定銘)(和泉守)(号鬼怒川兼定) Tanto:Kanesada

短刀

売却済

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仕様

長さ

28.5 cm

元幅

2.75 cm

作者について

Kanesada兼定

1 重要美術品2 御物1 特別重要刀剣33 重要刀剣

兼定は美濃関の二代和泉守兼定で、定の字のウ冠の中を「之」と切ることから一般に「ノサダ」と称される刀工である。説明書はその活躍を明応から大永にかけて、室町時代末期の数十年に置き、兼元と並ぶ当代の美濃を代表する工とする。説明書が記すように、古刀期にあって珍しく受領「和泉守」を許された刀工であり、しばしば藤原姓をも切った。初代が平明に銘したのに対し、その名を頂点へ運んだのはこの手であり、刀剣書は端的に「すぐれたる上手」と評する。定の字を楷書から「之」の字体へ改めた時期を、説明書は明応八年十一月以降、同九年八月以前と置き、三代の「ヒキサダ」とは区別する。 本工の典型はこの華やかな美濃の手である。姿は室町時代末期の刀で、身幅広く先反りつき、時に大鋒となって堂々たる体配を呈し、平肉は切るための刀のごとく豊かである。処々僅かに流れて総じてつんだ板目に、地鉄は地沸つき白け映り立つ。刃文は賑やかなもので、互の目に丁子・尖りごころの刃を交え、匂勝ち小沸つき、足・葉わずかに入り、砂流しかかり、極く僅かに飛焼かかる。帽子は乱れ込み掃きかけて、先尖りごころとなる。この作域の最上手の作について、説明書は地刃ともに冴え、「ノサダの本領を示したもので、同工中の白眉」と記す。 地鉄は終始その手の要である。板目、時に小板目につみて杢を交え、地沸つき白けごころのある地が、ほとんどの作に見える。肌の流れるところは柾ごころとなり、そこに立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、美濃の地鉄の淡い白け映りである。この白ける地こそ極めの拠るところで、より明るい備前の映りと作を分かつ見どころである。その上に匂口を締めて冴えさせ、働きは足・砂流し・小沸に托される。ある磨上の刀は中程やや華やかに乱れて飛焼を交えるが、刃の本体は賑やかな互の目にとどまる。 本工の作はおよそ二つの作域に分かれ、その線は説明書みずからが引く。華やかな美濃の刃の傍らに、よくつんだ小板目に細直刃を焼いた意図的な山城写しがあり、説明書はこれを来国俊など山城の名手を狙ったものとする。この作域について、同名中、京物写としては「此の右に出るものはない」と評する。なおこの手であることの見どころも同じ一文に名指される。すなわち、これだけ出来ていても刃中にフシのあること、静かな直刃にわずかに互の目が交ること、姿が先反りごころとなり、板目が山城物と異なって白けることである。刀・短刀のほか稀な薙刀まで作域は広く、数口には菊花紋と「伊勢於山田是作」の銘を切ったものがあり、その紋ゆえに「山田打」として珍重される。 関派のうちで本工を分かつのは、まさに極めの言うところである。室町期に兼定と銘する工は数名あり、和泉守を冠する者も一人に限らないため、説明書は各代の区分をなお未定とし、「之」の字を切る手も四人は区別し得るとする。その中でこの工の銘振りが最も称揚され、「技術も一番優れ」世上に賞玩されるとし、永正の年紀を見る作を群中第一に挙げる。白ける板目に焼いた明るく賑やかな美濃の刃と、互の目を秘めた来国俊風の細直刃とが、周囲の平明な関物から本工を分かつ確かな標である。説明書はその作域を「作域も広く美術的価値も高い」と称える。 収集の観点では、よく残るがけっして多くはない、晩期古刀の大名である。藤代の極めは上々作。この記録に国宝はなく重要文化財もないが、その地位は特別重要刀剣一口と重要刀剣の連なり、そのうちに重要美術品の太刀を含んで支えられ、その作は最上の大名家を経てきた。特別重要刀剣の刀は紀州徳川家の家老三浦将監の指料であり、一口の太刀は武田信玄の父、左京大夫信虎のために打たれた。菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、その作は島津・佐竹・京極・山内・秋元の諸家、また佐野美術館に記録される。特別重要刀剣はわずか一口、他は重要刀剣以下であるから、在銘のノサダは稀にというよりは時折世に出て、鎌倉の大名よりは見つけやすい。それでも由緒の確かな永正の佳作は、世に現れれば一個の画期であり、刀剣書がすぐれたる上手と呼ぶ工の作である。

刀剣商

コレクション情報

samurai-nippon.net

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