徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
Stock number:WA-040216Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry・Era:Sagami(Kanagawa)・Edo era 1658Blade length(Cutting edge): 53ccmCurve(SORI): 0.75cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.1cmThickness at the Moto-Kasane:0.71cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.5cmThickness at the Saki-Kasane: 0.6cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneEngraving: Bohi on each sideJigane(Hada): Itame with JinieTemper patterns(Hamon): Ogunome-midare with NieTemper patterns in the point(Bohshi): Komaru with HakikakeRegistration Card: Nagano・1951【Additional Information】八幡山清平は元和四年金沢に生まれます。本名を辻村清平といい初代加州兼若の四男です。慶安末年(1651)江戸へ出て同地の刀鍛冶と交友し、兼若伝に江戸の新風を加えた清平独特の作風を創り上げました。後に稲葉家に抱えられた清平は小田原城下に移住します。延宝七年以降は相州八幡山清平と刻銘したことから「八幡山清平」と呼ばれるようになりました。切れ味に優れ業物としても有名です。体配は、すりあげて尚、刃長が1尺7寸5分と脇指としては立派な長さで、棒樋を表裏に掻き流します。身幅広く、重ねともに確りとした一振です。地鉄は、板目肌が練れて流れ、地沸が厚くつく強い地金です。刃紋は匂口明るく小沸ついて互の目が大きく乱れる誠に華やかな刃です。刃縁に絡むように現れる砂流し金線の働きは特に際立っており魅了されてしまいます。帽子は金線交じえ掃き掛けて小丸へ返ります。白鞘、金着一重ハバキ、保存刀剣鑑定書、本刀は無銘ながら八幡山清平と極められた躍動感あふれる出来映えの楽しめる脇指です。





相州伝 · 相模 · 1673-1681頃
刀剣大鑑 上位60%
現在1点販売中
清平は辻村五郎右衛門といい、初代甚六兼若の四男である。元禄二年紀の作刀に「行年七十歳」と銘したものが遺存し、これによれば出生は元和六年と理解される。『古今鍛冶備考』に「加州金沢住辻村高平四男、五郎右衛門と号、万治己亥の年東武へ移住云々」[[c:1]]とあり、その後稲葉家の抱え工となり、小田原へ転居したと伝えている。しかし承応二年紀の作刀には既に「於武州江戸造之」と銘しているので、その出府は承応二年か或はそれ以前のことと思われる。稲葉家に抱えられた時期については、「相州八幡山住清平作」[[c:2]]ときったものが寛文二年紀の作刀から始まること、万治二年紀の作に「於江戸辻村清平」とのみきっていることなどから、おそらく万治二年以降寛文二年までの間と推量される。
作風は、彼本来の加州物を基盤に、その上に同工独自の作域を樹立したところに特色を見せている。板目が総体に流れて柾がかった鍛えに、互の目に小のたれ・小互の目などを交えた刃を焼き、小沸がよくつき、砂流しがかかるなど加州物の風が窺えるが、同派一般のものに比して、地刃に地景・金筋・沸筋等が目立ち、沸が一段と強くつき、刃中には尖りごころの刃が交じり、匂口が明るいなどの態にこの工独特のものがある。父兼若、兄景平に似て、のたれの刃文に箱がかるところがあり、兼若一門の特色をも示す。
不動国行写しの作には、焼幅をやや狭く取って湯走りと二重刃とが焼頭にかかる様が見られ、彼が古作の国行を意識したであろうことが窺い知られる。「不動国行」は『享保名物帳』に焼失の部として記載される名物で、清平に経眼する写しは稀である。長寸で堂々たる姿を呈する作もあり、地刃の出来よく出色のものは清平の代表作といえよう。資料的にも貴重であり、清平の研究に不可欠な工である。
清平の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在20点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:WA-040216Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry・Era:Sagami(Kanagawa)・Edo era 1658Blade length(Cutting edge): 53ccmCurve(SORI): 0.75cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.1cmThickness at the Moto-Kasane:0.71cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.5cmThickness at the Saki-Kasane: 0.6cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneEngraving: Bohi on each sideJigane(Hada): Itame with JinieTemper patterns(Hamon): Ogunome-midare with NieTemper patterns in the point(Bohshi): Komaru with HakikakeRegistration Card: Nagano・1951【Additional Information】八幡山清平は元和四年金沢に生まれます。本名を辻村清平といい初代加州兼若の四男です。慶安末年(1651)江戸へ出て同地の刀鍛冶と交友し、兼若伝に江戸の新風を加えた清平独特の作風を創り上げました。後に稲葉家に抱えられた清平は小田原城下に移住します。延宝七年以降は相州八幡山清平と刻銘したことから「八幡山清平」と呼ばれるようになりました。切れ味に優れ業物としても有名です。体配は、すりあげて尚、刃長が1尺7寸5分と脇指としては立派な長さで、棒樋を表裏に掻き流します。身幅広く、重ねともに確りとした一振です。地鉄は、板目肌が練れて流れ、地沸が厚くつく強い地金です。刃紋は匂口明るく小沸ついて互の目が大きく乱れる誠に華やかな刃です。刃縁に絡むように現れる砂流し金線の働きは特に際立っており魅了されてしまいます。帽子は金線交じえ掃き掛けて小丸へ返ります。白鞘、金着一重ハバキ、保存刀剣鑑定書、本刀は無銘ながら八幡山清平と極められた躍動感あふれる出来映えの楽しめる脇指です。





相州伝 · 相模 · 1673-1681頃
刀剣大鑑 上位60%
現在1点販売中
清平は辻村五郎右衛門といい、初代甚六兼若の四男である。元禄二年紀の作刀に「行年七十歳」と銘したものが遺存し、これによれば出生は元和六年と理解される。『古今鍛冶備考』に「加州金沢住辻村高平四男、五郎右衛門と号、万治己亥の年東武へ移住云々」[[c:1]]とあり、その後稲葉家の抱え工となり、小田原へ転居したと伝えている。しかし承応二年紀の作刀には既に「於武州江戸造之」と銘しているので、その出府は承応二年か或はそれ以前のことと思われる。稲葉家に抱えられた時期については、「相州八幡山住清平作」[[c:2]]ときったものが寛文二年紀の作刀から始まること、万治二年紀の作に「於江戸辻村清平」とのみきっていることなどから、おそらく万治二年以降寛文二年までの間と推量される。
作風は、彼本来の加州物を基盤に、その上に同工独自の作域を樹立したところに特色を見せている。板目が総体に流れて柾がかった鍛えに、互の目に小のたれ・小互の目などを交えた刃を焼き、小沸がよくつき、砂流しがかかるなど加州物の風が窺えるが、同派一般のものに比して、地刃に地景・金筋・沸筋等が目立ち、沸が一段と強くつき、刃中には尖りごころの刃が交じり、匂口が明るいなどの態にこの工独特のものがある。父兼若、兄景平に似て、のたれの刃文に箱がかるところがあり、兼若一門の特色をも示す。
不動国行写しの作には、焼幅をやや狭く取って湯走りと二重刃とが焼頭にかかる様が見られ、彼が古作の国行を意識したであろうことが窺い知られる。「不動国行」は『享保名物帳』に焼失の部として記載される名物で、清平に経眼する写しは稀である。長寸で堂々たる姿を呈する作もあり、地刃の出来よく出色のものは清平の代表作といえよう。資料的にも貴重であり、清平の研究に不可欠な工である。
清平の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在20点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).