説明

Stock number:KA-020321Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Juyo ToukenCountry・Era:Bizen(Okayama)・Late Kamakura period about 1312~Blade length(Cutting edge): 74.5cmCurve(SORI): 2.25cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.02cmThickness at the Moto-Kasane:0.72cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane:0.50cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Osuriage, Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 3Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneJigane(Hada): Itame & MokumeTemper patterns(Hamon): Chu-suguha, Gunome, Kogunome with SunanagashiTemper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Tokyo【Additional Information】【重要刀剣図譜より】形状鎬造、庵棟、身幅広め、元先の幅差ややつき、重ねほぼ尋常、大磨上ながら輪反り風に反り深く、中鋒。鍛板目に政杢交じり、肌立ち、地沸つき、処々地斑状の肌合いを交え、地斑映り立つ。刃文中直刃基調に互の目・小互の目・角ばる刃など交じり、足・葉よく入り、逆足を交じえ、小沸つき、金筋・砂流しかかる。帽子直ぐ調に小丸ごころ。茎大磨上、先切り、鑢目浅い勝手下がり、目釘孔三、無銘。説明雲生・雲次・雲重らの刀工は、備前国宇甘庄に在住したため宇甘派とも、またいずれも「雲」の字をその名に冠するところから雲類とも呼称されている。雲次は一説に、雲生の子と伝え、現存する製作年紀には正和・文保・建武があり、その活躍年代は明らかである。雲類の作風は当時の長船物とは相違する点があり、備前伝の中に山城風が混在し、さらに隣国備中青江派の影響も少なからず受けており、備前物中異色の存在といえる。この刀は、大磨上ながらも輪反り風に反りが深くついた体配を示し、板目に杢が交じり、肌立った鍛えに、地沸がつき、金筋・砂流しがかかるなどの出来口をあらわしている。上記の如く、雲類の特色が顕然としており、地刃の出来口よりして、雲次の極めが最も至当と鑑せられる。焼刃には足・葉や金筋・砂流し等がよく働いて味わい深く、秀抜な出来映えを示している。

Katana[Unji][N.B.T.H.K] Juyo Token
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売却済

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仕様

長さ

74.5 cm

反り

2.25 cm

元幅

3.02 cm

先幅

2.45 cm

作者について

Ukai Unji雲次

7 重要文化財13 重要美術品6 特別重要刀剣112 重要刀剣

鎌倉時代末期から南北朝時代の初めにかけて、備前国宇甘庄、後に鵜飼とも書かれる地に、名に皆「雲」の字を冠する雲生・雲次・雲重らの刀工が住し、鵜飼派あるいは雲類と呼ばれる。雲次は一説に初代雲生の子と伝えられ(「雲生の子或いは弟」とする説明書もある)、正和・文保・建武の年紀作を遺す一派唯一の年代の拠り所であって、指定書は繰り返し「その活躍年代は明らかである」と記す。雲生に年紀作がないため、一派全体の年代は正和四年(一三一五)・建武二年(一三三五)等の在銘作によって定まる。その作風は長船の主流と相違し、備前伝の中に山城風が混在し、隣国備中青江派の影響も少なからず、「備前物中異色の存在」と評される。藤代の位列は上々作。 太刀は身幅尋常で反りは輪反りごころとなって京風を帯び、鎬はやや高く、生ぶのものには踏張りが残る。同時代の長船本流が丁子を焼くのに対し、雲次は直刃を基調とする。細直刃ないし中直刃に小互の目・小丁子・小乱れを交え、処々角張る刃を交え、足・葉がよく入って青江風に逆がかり、「直刃締り逆足入る出来は備中物に通じ」とされる。匂口は締まりごころに小沸つき、時に沈みごころとなり、金筋・砂流し・ほつれがかかる。特別重要刀剣の説明書は「暗部の濃い独得の映りと丸く返る帽子と大筋違の鑢目に此工の見どころを示している」と一文に要約し、銘字の「逆鏨」は雲次のみならず同派共通の手癖とする。これらの揃った一口を指定書は「地刃に雲次の典型かつ出色の出来口が示されている」と述べる。 鍛えは板目に杢を交え、約んだものは小板目となり、処々刃寄りに流れ、地沸厚くつき地景細かに入り、鉄色はやや黒みがかる。地には雲類独特の黒い地斑が交じり、諸書に「指で押した様な黒い映り」と記される古調な映りが立つ。映りは焼きに応じて消長し、沸の強い作については「地刃の沸がつよく、ために地映りは殆んど立っていない」と記される。 「大別して作風は二様あって」、小板目がよく約み直刃調の匂口が締まる、京物や青江に紛れる手と、板目が肌立ち直刃に逆がかる乱れを交えて沸よくつく手とがあり、映りは「前者の方が鮮明である」。後者にはほつれ・砂流しがかかり帽子の掃きかける態があって、「大和風が加味されている」と読まれる。これに造込みの作域が重なる。極めの中には薙刀および薙刀直しの一群が大きく、直しに際して鋒の棟を削いだため帽子は自然焼詰めとなり、「薙刀樋に添樋」の彫が残ることが多い。雲次・雲重と極められた無銘の薙刀直しが少なからず存在することから、「彼らは薙刀の製作にも巧みであったことが窺われる」。完存の在銘薙刀一口が重要刀剣にあり、短刀は稀有である。 派内の見分けは父雲生との間に引かれる。或る無銘刀の指定書は「同派の雲生に比し、刃縁にほつれ等が入り沸がやや強く感ぜられ」として雲次に極めた。雲次は一派の沸の手であり、流れごころの肌や砂流し・金筋の働きは父より目立ち、匂口の締まりはむしろ雲生に譲る。また「雲生・雲次は京に出て後醍醐天皇の御用を勤めたと伝え、備前物の中では最も京物に近い作風をみせている」とされ、「雲次には茎に十六葉の菊花紋のある太刀がある」ことが伝説の裏付けに挙げられる。代別については指定書は単に雲次と極め、年紀によって世代を分かつ。南北朝期まで同名一、二の存在が認められ、本間は「経眼した長銘の雲次は、大体初代と思われるが、二字銘には初、二代を区別し難いものがある」と記す。 指定を受けた作は百三十八口。重要文化財七口・特別重要刀剣六口・重要刀剣百十二口・重要美術品十三口で、国宝はない。在銘四十七口に対し無銘八十八口、在銘はほぼ太刀で、「備前国住雲次」の長銘(年紀を添えるものがある)と「雲次」の二字銘とがあり、正和四年紀の太刀は重要文化財である。重要文化財の七口は文化財として伝え置かれ、所在の知られるものは京都国立博物館・熱田神宮・厳島神社・徳川美術館等に蔵され、戦前の認定には徳川黎明会・根津美術館・陽明文庫(近衛文麿伝来)の名が見える。伝来は備前池田家・前田家・秋元家・三井家・皇室に亙り、一口の太刀の茎には天文三年(一五三四)の武田信虎所持の切付銘があって、「銘文は資料的にも貴重である」とされる。これは戦国期の所持銘であって在銘ではない。特別重要・重要の百十八口を数える雲次は雲類の中で最も手に触れ得る名であるが、その多くは秘蔵されて市に現れることは稀で、現れるのは多く無銘の刀や薙刀直し脇指であり、在銘太刀は一段と稀である。

刀剣商

銀座誠友堂

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