説明

Stock number:KA-030523Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)・Era(Jidai): Yamashiro(Kyoto)・Late Kamakura period 1299~Blade length(Cutting edge): 73.7cmCurve(SORI): 1.6cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.85cmThickness at the Moto-Kasane: 0.76cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.10cmThickness at the Saki-Kasane: 0.55cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Shape(Taihai): Shinogizukuri,Iorimune,Ko-kissakiJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Ko-gunome, Ko-choji, TogaribaTemper patterns in the point(Bohshi): Midarekomi then komaru round tipRegistration Card: Fukuoka【Additional Information】京都は、延暦十三年(794)の平安京の遷都以降、日本における政治・経済・文化の中心であり、当時の最先端技術が生まれ、集まり、数多くの名工を輩出した地でありました。同地では平安後期より三条派、五条派、鎌倉初期から粟田口派などの刀工一派が存在しました。山城国の刀工一派の中でも、鎌倉中期より粟田口派とは作風を異とした「来」を冠する一門が現れます。国行を事実上の祖として本作 国俊は国行の子として伝わり、孫太郎と称します。来国俊の作品については、二字国俊と来国俊の三字銘があり、両名を同人、別人とするかは、室町後期より議論の的で、現在でも定説には至っていません。二字国俊の作風は、父国行を思わせる豪壮な太刀姿に、猪首切っ先、華やかな丁子を主体とした刃文となります。また来国俊については二字国俊と比して細身で、小切っ先、直刃もしくは、直調で小模様に互の目が混じる優美で穏和な印象を抱かせる作風となります。以上のような作風の相違点があり、また「二字国俊の作品の多くが太刀で、現在まで伝わっている短刀が一振であった一方で、三字銘の国俊は短刀が比較的多くみられる点」などから両者の別人説が論じられています。同工の作品には、徳川美術館所蔵の「来国俊/正和二二年十月廿三日□□歳七十五(1315)」と年紀が刻された重要文化財が現存しています。また国立博物館所蔵の太刀「国俊/弘安元年十二月日(1278)」があり、先述の三字銘国俊から生年を仁治元年頃(1240)と推定すると、弘安年紀の太刀は三十八歳頃の作品に相当します。同一刀工の経年の変化などから刀工銘や作風に相違が生じたものと考えるならば、国俊が長命であった点も含めて同人説も肯定されます。同一派の祖である国行をはじめ、嫡流である国俊、国光、国次は皆、最上作に位列されて高名であり、その中でも同工の作品は国宝、重要文化財及び重要美術品に指定多数であり、熱田神宮が所有する国宝「熱田の来国俊」や、豊臣家・徳川家伝来の「愛染国俊」など、古来より同工の作品に魅せられた者多く、刃味優れて大業物にも列せられて、現在まで広く知られる名工であります。本作体配は、刃長が二尺四寸三分。大磨上げながら身幅確りとし、元先幅差つき、重ね尋常で鎬筋が凛と立ち、反りよく利いて、小切っ先となる来派らしい古雅な刀姿です。地鉄は板目肌良く詰んで、地沸つき、良く練れた肌が全体に表れ、沸映りが立つ、精美な鍛えとなります。刃文は総体小模様で、直調に尖り刃、小互の目、小丁子を交えて、細かな変化に富んだ焼刃が横手まで続き、匂口には小沸が付き、柔らかに明るくよく冴えます。刃縁には処々ほつれを交えて、足・葉入り、働き盛んであります。帽子は小さく乱れて先小丸へ返ります。茎には本阿弥光遜による金象嵌が残されます。本刀、古来より名高い来国俊の秀抜の一口。同工の特色がよく顕現され、特に焼刃は同工と同時期の諸刀工にみられる、古作らしい小模様の変化が誠に惹き付けられる見所となります。白鞘、金着二重はばき、特別保存刀剣鑑定書。

Katana [Rai-Kunitoshi(O-wazamono)][N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Token
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売却済

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仕様

長さ

73.7 cm

反り

1.6 cm

元幅

2.85 cm

先幅

2.1 cm

作者について

Rai Kunitoshi國俊

5 国宝7 重要文化財28 重要美術品4 御物21 特別重要刀剣143 重要刀剣

説明書は来国俊の記録を一つの確かな事実から書き起こす。すなわち「来派で最初に来の字を冠した刀工で、以後皆これに倣った」。来国行の子と伝え、鎌倉時代末期の京に作刀し、その経歴は自身の銘から異例なほど読み取れる。年紀作は正応・永仁に始まり、しばらく途絶えた後、正和に再び現れて文保・元応・元亨に及ぶ。徳川美術館所蔵の正和四年(1315)紀の太刀には「七十五歳」の行年銘があり、元亨元年(1321)八十二歳の作がほぼ終末と見られる。この年紀群こそ鎌倉末期来派の編年の骨格を成す。 典型の手は来派本流の最も精錬されたものである。太刀は細身もしくは尋常の身幅に元先の幅差が目立ち、反りは腰反り、磨上のものは輪反りを呈し、小鋒・中鋒に結ぶ。刃文は小沸出来の中直刃・細直刃に小丁子・小互の目を交え、足・葉がよく入り、足は時に茎方向へ斜めに傾く京逆足となる。働きは静かで、処々に二重刃がかかり、細かな金筋・砂流しが刃中に入り、匂口は締まって明るい。帽子は穏やかな小丸に返り、先は僅かに掃きかける。説明書がこの総体に与える評は一貫して「いかにも京物らしい上品で穏やかな作風」である。 極めの根拠の半ばは地鉄にある。鍛えは小板目がよく約み、地沸が厚く時に微塵につき、細かな地景を交えて沸映りが立つ。ある重要刀剣の説明は「殊に地鉄の精良さは特筆される」と記す。所々に「来肌」と称せられる大模様の柔らかい肌合が交じり、短刀では流れて柾がかる箇所もあるが、いずれも疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。よく約んだ小板目、その上の微塵の地沸、鮮明な沸映りの取り合わせこそ、無銘の作を同工に帰す際に説明書が立ち返る要点である。 公刊された記録のほぼ半数は短刀で、これは一派の他の初期の巨匠がほとんど手がけなかった作域である。説明書は、二字国俊の短刀の遺例が名物愛染国俊の唯一口であるのに対し、来国俊には多くの短刀が現存すると繰り返し記す。平造・三ツ棟、身幅尋常もしくはやや寸延びで、鎌倉末期特有の静かな内反りがつき、直刃は時に浅くのたれ、小丸帽子の返りはしばしば長く焼き下げ、区際を焼き込むことが多い。彫物は常習で、刀樋の傍らに細い腰樋や素剣を添え、この添え彫の手法は「来物に特有」とされる。直刃が主調を成す一方、丁子を焼く一群が華やぎの極限に立つ。その代表は国宝指定の太刀であり、第二十七回特別重要に上がった小太刀は、細身で腰反り高く、房の大きい丁子を交えて刃沸がよくつき、「同工作例中で最も華やかな作域」を示し、「宛ら二字国俊を彷彿とさせる」と評される。この彷彿こそ一派の古典的な問いの核心である。二字国俊と来国俊三字銘が同人か別人かは古来の論点であるが、両銘の年紀を合わせると弘安元年(1278)から元亨元年(1321)の約四十年に及び、一人の刀工の作刀期間として無理はなく、七十五歳の行年銘から逆算すれば二字国俊唯一の年紀作は三十八歳にあたる。そして「近年両者の作風・銘字の再検討による同人説が定着しつつあり、別人説の再考を促している」。銘にはなお研究の種が残る。元応頃の銘字はやや草体となって晩年作か二代かが問われ、稀に源の字を添えた銘があり、島津齊宣の指料であった元亨二年折返銘の刀では国の字形が門人来国次の書風に一致し、「来国次の代銘した数少ない例」と推察され、此の手の銘振りは三例を数えるという。 二字国俊との対比は同工の説明の定型である。豪壮な体配に猪首鋒、華やかな丁子主調の乱れを得意とする二字国俊に対し、三字銘の作は細身か尋常の体配に直刃あるいは直刃調に小模様の乱れを交え、総じて穏やかな出来口を示す。同人説が開かれたままであっても、両者の手は作域の上で区分できる。むしろ彼の隣人は派内にいる。最も静かな細直刃は「一見了戒に紛れる」とされ、最も穏やかで大柄な短刀はまず来国光を思わせるが、「格調が一段高く」、極めは国俊に帰着する。門人の来国光・来国次は鎌倉末まで来派を担い、師弟の線の細さは、『名物帳』所収の「名物結城来国俊」が一見国光・国次を思わせると記されることにも表れている。 この位の巨匠としては異例なほど手の届く存在である。藤代の極めは最上作。国宝五口・重要文化財十一口を数え、その下に特別重要刀剣二十一口・重要刀剣百四十三口、両指定で百六十四口が立つ。在銘作が豊富で、ここでは在銘百三十四口に対し無銘九十一口であり、編年が書けるのもそのためである。十口は国宝・重要文化財の級にあって市場に出ることはなく、日光二荒山神社の小太刀はその一つである。徳川美術館は七十五歳の行年銘の太刀を蔵し、ほかに東京国立博物館・根津美術館・佐野美術館・黒川古文化研究所などに収まる。六十一口に伝来が録され、豊臣秀吉、将軍徳川秀忠・家光、尾張・紀州徳川家、前田家、上杉家、鹿児島島津家、信州松代真田家を経る。一方で三十六口が個人の所蔵と記録され、取引可能な重要刀剣の級にはなお多数が残るから、直刃の短刀や太刀、すなわち鎌倉末期山城物の最も純粋な形を示す一口は、真剣な収集家にとって現実に到達し得る目標であり続ける。対して丁子の作と年紀作は、事実上市場の外にある。

刀剣商

銀座誠友堂

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