説明

Stock number:KA-060825Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Juyo TokenCountry・period:Musashi・Late Edo period 1837Blade length(Cutting edge):72.7 cmCurve(SORI): 1.8cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.12cmThickness at the Moto-Kasane: 0.82cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cmThickness at the Saki-Kasane: 0.65cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Kesho O-Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri,Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada): Koitamehada,mokumeTemper patterns(Hamon): Choji midare, Gunome, Kochoji, KogunomeTemper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Fukushima【Additional Information】【重要刀剣図譜より】形状鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差目立たず、重ね厚く、少しく踏張りごころがあり、反り浅めにつき、中鋒延びる。鍛小板目肌つみ、杢交じり、地沸微塵につき、表裏腰元荒い地沸むらにつき、地景細かに入る。刃文丁子乱れに互の目・小丁子・小互の目・尖りごころの刃など交じり、華やかに乱れ、足長くさかんに入り、匂勝ちに小沸微塵につき、細かに砂流しかかり、処々に金筋入り、匂口明るい。帽子小さく乱れ込んで、小丸に返り、先掃きかける。彫物表裏に棒樋を掻き通す。茎生ぶ、先浅い入山形、鑢目大筋違に化粧つく、目釘孔一、佩表上半の平地刃寄りにやや大振りの注文者銘と、その下より茎先にかけて平地中央に同じく長銘があり、裏目釘孔を挟んで平地中央にやや大振りの年紀がある。説明固山宗次は、享和三年奥州白河に生まれ、俗名を宗兵衛(惣兵衛)といい、一専斎・精良斎と号し、兄に宗平・宗俊がいる。彼の師は加藤綱英と伝えられているが、その作風から勘案すれば、むしろ加藤綱俊の影響力が大きいものと思われる。 初めは白河松平家の抱え工であったが、藩が勢州桑名へ移封後は、江戸に住して桑名藩工として作刀した。 その居住地は麻布永坂という。弘化二年に備前介を受領している。彼の作刀期間は文政の後半から明治初年の頃までに亘っており、その遺例も非常に多く、作風は一貫して備前伝であり、よくつんだ綺麗な鍛えに、匂勝ちの丁子乱れを焼いて成功している。この刀は、丁子乱れに互の目・小丁子・小互の目・尖りごころの刃等が交じり、華やかに乱れ、足が長くさかんに入り、匂勝ちに小沸が微塵につき、細かに砂流しがかかり、処々に金筋が入り、匂口が明るいなどの出来口をあらわしている。常々の同工のこの種の作域に比して、多種の刃を交えて刃文が変化に富んでおり、且つ華やかに乱れている。 さらに刃中の働きも上々で、匂口の明るい点と併せて特筆される。また小さく乱れ込んで、先が小丸に返った帽子には、同工独特のものがある。同作中の優品で、宗次の特色が存分に表示された一口であり、加えて幅広で中鋒が延び、重ね厚の体配は豪壮で、しかも健体である。

Katana[Koyama Soubei Munetsugu][N.B.T.H.K] Juyo Token

Katana[Koyama Soubei Munetsugu][N.B.T.H.K] Juyo Token

¥6,800,000

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仕様

長さ

72.7 cm

反り

1.8 cm

元幅

3.12 cm

先幅

2.5 cm

作者について

Koyama Munetsugu宗次

51 重要刀剣

固山宗次は、享和三年に奥州白河に生まれ、俗名を宗兵衛、号を一専斎・精良斎といい、江戸時代の終わりに備前伝復古の第一人者となった。説明書は、その師は米沢の加藤綱英といわれると伝えつつ、その作風から勘案すれば「むしろ弟の加藤綱俊の影響力が大きい」と慎重に付け加える。初め白河松平家に仕え、藩が移封されると勢州桑名藩の藩工となって江戸麻布永坂に住し、弘化二年に備前介を受領、文政後半から明治初年に至るまで作刀し、西山・固山・備前介藤原宗次など数様に銘を切った。その遺例は新々刀の工のうちでも甚だ多く、天保・嘉永・安政・慶応に亘って年紀が明らかであり、説明書はその作風が「作風は一貫して備前伝」であったと評する。 本工の特徴の手は備前風の丁子・互の目丁子で、その作を何よりも分かつ見どころである。丁子に互の目・尖りごころの刃・小丁子・小互の目を交え、足長くよく入り、説明書はこの作域を鎌倉の備前兼光に通うものとする。一貫して変わらず、彼が範を求めた古作と分かつのは匂口であって、匂勝ちに締まって明るく冴え、小沸よくつき、刃中の明るい点こそ極めの繰り返し挙げるところである。ある天保の刀を、最も華やかな調子に仕上げたものとして、説明書は「常にも増して華やかな丁子主調の乱れ刃に仕上げており」と評し、匂口ふっくらとして柔らか味があり、刃中が明るいとする。 地鉄もまた終始変わらぬところである。常の地鉄はよくつんだ小板目で、細かに綺麗に鍛えて無地風に見えるほどであり、地沸細かにつき、時に細かな地景が入る。説明書はこの二つを併せて本工の成功を要約し、「地鉄のよくつんだ綺麗な鍛えに、匂勝ちの丁子乱れを焼いて成功している」とする。つまり緊まって綺麗な地鉄に匂勝ちの丁子乱れを焼き上げた、というのである。帽子は乱れ込んで小丸に返り、時に先尖って掃きかけ、彫物はある場合棒樋に添樋、時に梵字・護摩箸・倶利迦羅や神号を伴う。 本流のかたわら、彼は意識的な写しの工でもあり、説明書はその写し物を直に記す。ある大小を写し物の典型とし、刀は末備前ことに与三左衛門尉祐定を、脇指は応永備前の盛光・光を写したもので、短い刀身に映りを出すことに成功しているとする。別の作域として、天保年間の幅広・長寸・大鋒の作があり、身幅広く重ね厚く、地鉄は常々の緊まった肌とは相違して、板目に杢・流れ肌を交えて肌立ち、地沸・地景が一段と力強い感を与え、説明書はこの態が天保の作にまま見るところとする。より静かな直刃・直刃調の小調子も残り、本工の手のうち最も稀なものである。在銘・年紀の明らかな工であるから、宗次をめぐる鑑賞の問いは極めにあらず、その出来の質にあり、師についても説明書は同じ正直さで、その手がむしろ加藤綱俊に負うところが大きいと記す。 彼の幕末における位置を示すのは、備前伝復古の完成度と、その刀身の記録の豊かさである。多くが千住などで試された山田家の截断銘を帯び、息義次がその一部に彫物を施した。一刀は予州宇和島藩主伊達宗城侯の命により、外国船の折れた桅の環鉄を以て鍛えられ、説明書はその銘文を「幕末史の上からも貴重」とする。明るく締まった丁子乱れと、その下の無地風に近い小板目は、彼が写した鎌倉の手本の深く柔らかい匂口と分かち、新々刀の備前伝の工の筆頭に彼を据える。 収集の観点では、宗次は稀品というよりは在銘の豊かな名工である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、重要文化財もない。記録の上の位置はもっぱら重要刀剣にあり、その作はよく代表され、幅広の丁子乱れの刀を本工の典型作・代表作とし、ことに匂深く匂口の明るいものを地刃ともに健全な優品とする。その作は美術館よりも来歴の明らかな手を経ており、記録される伝来は古河藩主、庄内藩家老松平親懐、宇和島の伊達宗城侯に及び、一口は鎌倉の荏柄神社に長く伝わった。多く作られて多く残り、いずれも取引の及ぶ級にあるため、出来のよい在銘・年紀の宗次は同格のいかなる名工よりも世に出ることが多く、記録の確かな、試し斬りまで備えた幕末備前伝の一刀を収集家が手にする、最も近づきやすい道の一つであり続けている。

刀剣商

銀座誠友堂

world-seiyudo.com

¥6,800,000

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