説明

日本刀 大刀・小刀(大小) 志賀関・大道 鑑定書付(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣) 【解説】 – 刀(大刀) 本作は「志賀関(しがせき)」と極められた一振りです。志賀関はもともと美濃国の鍛冶集団でしたが、室町時代中期に尾張国志賀(現在の名古屋市北区周辺)へ移住し、室町後期にかけて大いに繁栄しました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定に基づき、本作は約500年前(室町中期〜後期)の作と推測されます。その作風は、美濃伝の特色を色濃く反映したものです。 脇指(小刀) 本作は、室町時代末期に美濃国(現在の岐阜県)で活動した「大道(だいどう)」と極められた一振りです。鑑定書に詳細な年代の記載はありませんが、当方より協会へ確認したところ、室町後期の作と推定されているとのことです。「大道」の名を冠する刀工は室町末期から江戸時代にかけて数名存在しますが、中でも最も著名なのが「陸奥守大道(むつのかみだいどう)」です。彼は当初、美濃で「兼道」と銘じていましたが、永禄12年(1569年)に京へ上りました。その優れた技量から正親町天皇より「大」の一字を賜り、後に「大兼道」さらには「大道」と改名したことで知られています。 美濃国について 美濃国は、日本刀の歴史において最も重要な作刀地の一つです。武士の時代、この地では多くの流派が競い合い、「美濃伝」と呼ばれる独自の伝法を確立しました。その特徴は、直刃調の中に「尖り刃」が交じる華やかな刃文や、白く現れる「映り」などに見て取れます。美濃伝の源流は鎌倉時代末期(1280-1330年頃)の大和伝にありますが、室町時代に全盛を迎え、江戸時代までその伝統は受け継がれました。 特に戦国時代には、武器としての需要の高まりから美濃伝は空前の繁栄を遂げました。美濃は明智光秀が治め、隣国には織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名が割拠する要衝でした。関東と京を結ぶ中心地に位置したことから、諸将にとって注文がしやすく、また美濃刀の「実戦的で切れ味が鋭い」という評判が、多くの戦国大名や家臣たちに愛された理由です。 大小(だいしょう)とは 大小とは、武士が帯刀した二本一組の刀剣を指します。江戸時代には、公の場で大小を差すことは武士の身分象徴(ステータス)であり、幕府の法によっても義務付けられていました。「大」は打刀(刀)を、「小」は脇指を意味します。本作は、意匠の凝らされた豪華な大小拵(外装)に収まっており、当時の武家文化の粋を感じさせる逸品です。 鑑定について 本作(刀・脇指共に)は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」の鑑定を受けています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術品としての価値が高い真作の日本刀に対してのみ発行される信頼性の高いものです。 ※刀・脇指共に、刀身にわずかな鍛え傷(キズ)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身データ】 – 刀(大刀) 長さ(銘文の区から先):65.8 cm 反り:1.8 cm 脇指(小刀) 長さ(銘文の区から先):37.6 cm 反り:1.1 cm 刃文(はもん):焼き入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄・肌(じがね・はだ):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 – 刀:志賀関(無銘・極め) 脇指:大道(無銘・極め) 切先(きっさき):刀身の先端部分 茎(なかご):柄に収まる持ち手部分(中心)

Antique Japanese Sword Daisho Attributed to Shigeseki / Attributed to Daido NBTHK Hozon Certificates

Antique Japanese Sword Daisho Attributed to Shigeseki / Attributed to Daido NBTHK Hozon Certificates

大小

$13,021

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

65.8 cm

反り

1.8 cm

流派について

Seki School関派

美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。

刀剣商

サムライミュージアム

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