綱俊は本国出羽米沢の生まれで、本名を加藤八郎といい、長運斎と号した。のち江戸に出て麻布に住し、米沢上杉家の藩工として活躍した。説示には米沢上杉家の藩士であったとも伝え、文久三年、六十三歳ないし六十六歳で没したとある。これら新々刀期を代表する刀工の一人である。
作風は備前伝を主調とし、匂出来の丁子に互の目を交じえた刃文を最も得意とする。ほかに直刃、濤瀾乱もあるが、いずれの場合も鍛は小板目肌が細かにつみ、無地風となって地沸がつくのを常とする。帽子は乱れ込んで小丸に返り、彫物には丸止めの棒樋に添樋、あるいは梵字・倶利迦羅・護摩箸に爪などを伴うものがある。茎は生ぶ、先栗尻、鑢目は化粧つきの筋違で、指表棟寄りに長銘ないし五字銘を切り、裏に年紀を添えるものが多い。濤瀾風の大互の目を焼いて頻りに玉を焼くものもあり、地鉄は新々刀共通の無地鉄に近い。
評価としては、丁子に互の目を交じえた備前伝の典型的作風を示すものが綱俊の一典型として高く評価される。注文主に対する代金受領書や彫同作の添銘を附帯するもの、大小揃って遺るものなどは、いずれも作者を知る上で好資料とされる。