宗次

Koyama Munetsugu

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重要巻 49, 番 212 · 刀

概要

固山宗次は享和三年に奥州白河に生まれ、俗名を宗兵衛、号を一専斎・精良斎といった。説明書は、その師は米沢の加藤綱英といわれると伝えつつ、作風から勘案すれば「むしろ弟の加藤綱俊の影響力が大きい」と付け加える。初め白河松平家に仕え、藩が移封されると勢州桑名藩の藩工となって江戸麻布永坂に住し、弘化二年に備前介を受領した。文政後半から明治初年に至るまで作刀し、西山・固山・備前介藤原宗次など数様に銘を切り、説明書は現存作が甚だ多いとする。その生涯を説明書は一言で「作風は一貫して備前伝」とまとめる。

本工の特色は備前風の丁子・互の目丁子である。丁子に互の目・角張った刃・尖りごころの刃・小丁子・小互の目を交え、足長くよく入り、ある説明はその互の目丁子を備前兼光にみる作風とする。匂勝ちに小沸つき、説明書が最も多く立ち返るのは匂口で、大半の作に明るく冴え、数口ではさらに締まりごころとされる。最も華やかな調子に仕上げたある天保の刀について、説明書は「常にも増して華やかな丁子主調の乱れ刃に仕上げており」と評し、上半の金筋と明るい匂口を挙げる。

地鉄もまた変わらぬところである。常の地鉄はよくつんだ小板目で、細かに鍛えて無地風に見えるほどであり、地沸細かにつき、時に細かな地景が入る。説明書はこの二つを併せて本工の成功を要約し、「地鉄のよくつんだ綺麗な鍛えに、匂勝ちの丁子乱れを焼いて成功している」とする。帽子は乱れ込んで小丸に返り、時に先尖って掃きかける。彫物は棒樋あるいは二筋樋で、時に梵字・護摩箸・倶利迦羅や神号を伴い、男義次がその一部に彫物を施した。

本流のかたわら、彼は意識的な写しの工でもあった。説明書はある大小について「この大小は宗次の写し物の典型であり」とし、刀は末備前、とくに与三左衛門尉祐定に、脇指は応永備前の盛光・康光に倣い、映りを出すことに成功しているとする。天保十一年の脇指は、相州鎌倉の荏柄神社の社宝である正宗所伝の庖丁形の大振りな脇指を写し、江戸芝神明宮に奉納されたものである。別の作域として天保年間の身幅広く長寸の作があり、重ね厚く、地鉄は常の緊まった肌と相違して板目に杢・流れ肌を交えて肌立ち、地沸・地景がつく。説明書はこの態を天保の作にまま見るところとする。静かな直刃の作も残るが稀である。

幕末における彼の位置は、備前伝の完成度とその刀身の記録の豊かさにある。説明書は「備前伝の名手として相当に有名であったようで」と記し、古河侯の命によって大小を作っている。多くが千住などで試された山田家の截断銘を帯びる。一刀は予州宇和島藩主伊達宗城侯の命により外国船の環鉄を以て鍛えられ、説明書はその銘文を「幕末史の上からも貴重」とする。無地風に近い小板目に焼いた明るい丁子乱れは、彼が学んだ鎌倉の作の深く柔らかい匂口と分かつところである。

収集の上では、宗次は稀品というよりも在銘の豊かな名工である。藤代は上々作とする。国宝・重要文化財はなく、指定の上の位置は重要刀剣にあり、五十二口が指定され、すべて在銘で、幅広の丁子乱れの刀が典型作・代表作とされる。記録される伝来は古河侯とその藩士、庄内藩の松平親懐、宇和島の伊達宗城侯に及ぶ。多く作られて多く残るため、出来のよい在銘・年紀の宗次は折に触れて世に出、記録の確かな試し銘のある幕末備前伝の一刀を収集家が手にする、近づきやすい道の一つであり続けている。

歴史的重要度

宗次の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

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指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品—
御物—
特別重要刀剣—
重要刀剣52

名工ランク

鑑定

年紀作

伝来

刀種

評価作品52点の分布

銘

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系譜

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