紫原(藤原)寿良は、東龍斎清寿門下の逸材であり、文政十二年に生まれ、通称を久太郎という。聲乗・孔叟・耕叟・龍眼斎等の号を用いた。東龍斎派の粋な江戸前の技術をよく継承し、師に次ぐ名工と賞されている。幕末から明治初期にかけて作品を残した。
寿良の作風は、江戸趣味豊かな清寿の技法を基盤とし、銀無垢、赤銅、四分一などの素材を駆使した象嵌色絵を得意とした。地金には朧銀槌目地を用いるなど、独特の地金を演出する工夫も見られる。高彫、片切毛彫、容彫など多様な彫技を駆使し、金、銀、素銅、四分一などの色金を巧みに使い分け、季節や情景を表現する。特に、色漆高錆漆絵の鞘にあしらわれた雁や雲は仄かに翠色に色付いて、奥行きがあり見事であると評される。作風は総体的に落ち着いた風情が感ぜられる。
寿良は、東龍斎門下中、随一の腕利きと称される。その作品は、江戸趣味を色濃く反映し、意匠と技法の両面において高い評価を得ている。「徳者本也 財者末也」の訓書を意匠に組み込むなど、作品には寿良の思いが込められている。重要刀装具の指定を受けている作品には、追儺図鐔、大国主鐔、林和靖・巨霊人図小柄・縁頭、赤人・西行詠歌図三所物などがあり、その作域の広さと表現力の豊かさを示している。