東龍斎派の粋な江戸前の技術を伝える紫原(藤原)寿良は、文政十二年(一八二九)に生まれ、通称を久太郎という。説明は彼を「東龍斎清寿門下の逸材」とし、「師に次ぐ名工と賞されている」と記す。聲乗・孔叟・耕叟・龍眼斎等の号を用い、幕末から明治初期に亘って作品を残した。二十四考に題材をとった脇指拵の鉄鐔には戊辰の年紀があり、説明はこれを明治元年にあたるとする。
説明が屈指の作とするのは雨下猛虎図小柄である。虎の姿は奈良派の土屋安親が得意とし、その後岩本昆寛、泰山元孚、村上如竹等も試みたが、本作は鉄の磨地に四分一を用いて高肉に彫った虎に色絵を施し、据文象嵌としたもので、量感に富み、眼光鋭く、太く大きな前足によって精悍な虎の姿を表す。説明はこれを「寿良の技量がいかんなく示された屈指の作」とする。
地金は得意の四分一磨地を主とし、赤銅、鉄、朧銀、金無垢、銀無垢にも及ぶ。遊行柳図小柄について説明は、確かな鏨使いと「柔軟性に富む円やかな彫り口」を挙げ、「裏の猫掻鑢はこの派によくみるところである」と記す。赤人・西行詠歌図三所物では、余白の四分一地に「特殊な技法で濃淡をつける」ことによって、小柄には寂寥感、笄には駿河湾の広さと富士の高さを強調する。追儺図鐔では朧銀地に槌目を利かせて独特の地金を演出する。
画題は人物、とりわけ唐の仙人・聖人が多い。三仙人図鐔の松竹の鋤出彫には「清寿流の手法が窺え」、林和靖・巨霊人図小柄・縁頭は赤銅磨地に高彫、色絵、平象嵌、けし鍍金を駆使する。大国主鐔は「徳者本也 財者末也」の訓書を添え、説明は「作品は沈着とした雰囲気に満ちている」と評する。
説明は彼を「東龍斎門下中、随一の腕利き」と称し、漁夫に大原女図目貫について「清寿門下随一の金工」と得心させられる出来とする。金無垢の総金具を備えた合口短刀拵や、銀無垢で四季を表した拵もある。なお縁頭と鐔を寿良が作った一口の脇指拵の小柄は蛟竜斎府川一則の作で、寿良の手ではない。
その指定作は重要刀装具・重要刀装の十四点で、特別重要の作はなく、現所蔵者や大名家の伝来は記録されていない。一枚の鐔は龍獅堂の箱に納められ、伊藤勝見の箱書がある。