清重は、東龍斎派の祖である清寿の養子で、通称を巳之松といい、後に法橋に叙せられ、号を盛雨という。東龍斎清寿門下の逸材である伊藤勝見との合作鐔も現存しており、勝見が武州鐔の宗家である伊藤家の十代目に迎えられたことからも、同時代の刀工との交流が窺える。清重の活動時期は江戸時代末期にあたる。
清重の作風は、金工における高彫、色絵を得意とした。重要刀装に指定されている聖観音菩薩図目貫においては、「金無垢で丸彫と思えるほど立体的に彫り上げ」られており、「容彫は抜群の肉置きを見せ、鏨は隅々まで利いてかつ金性も無類」と評されている。また、群馬松竹梅区大小鐔においては、「実直な高彫と様々な色金を駆使してめりはりをもたせた画面を展開」しており、「広々とした空間が活かされた構成で、見事に蒔かれた魚子もまた見どころであり、構成・彫技・着色と全てにおいて丁寧かつ的確な出来口を示している」と評されている。四霊二神図鐔においては、風神・雷神の二神を高彫色絵で担当し、祥瑞の意匠を晴れやかに表している。
清重の作は、総じて品位が高く、丁寧かつ的確な出来口を示すものが多い。東龍斎派の作風をよく伝えながらも、独自の創意工夫が随所に見られ、その力量は師である清寿に並ぶほどであると評されることもある。現存作が少ないながらも、重要刀装に指定される作品を有し、東龍斎派研究における貴重な資料として、その名を知られている。